仮初十六夜問答


【7】

 月明りが照らすのは仮初の姿だろうか。
 走れば共についてくるように見えるのに、手を伸ばしても触れることは無い。
 月を落とせば二度とその美しい姿を見ることはできない。わかっていても焦がれてしまう。一時でも、と。


「さあ皆疲れただろ、存分に飲んで食べてくれ!今夜は無礼講だ!」
 全裸で盃を掲げた近藤が叫ぶ。それを合図に皆が声を上げた。
「いやしかし、あの人数を相手に一夜でケリをつけられるとは思わなかったな」
「全くだ。まさかあんなに早く援軍が到着するとは、奴ら慌てふためいていたぞ。いや〜早かったな。土方殿が裏で指示をしていたのか」
「いやそれが、あの新入りたちが牢から逃げたのを追っていたらいつの間にかあの場に着いたんだよ。しかも気付いたら松平様が寄越した隊までまであちこち居るしなぁ」
「ああ、俺もだ。しかしあの新入り見たか?あの崖を躊躇いなく降りちまうんだもんなぁ。義経の鵯越の逆落としとはかくやあらむ、ってな」
「いや〜恐れ入った。土方殿が一目で気に入ったらしいと聞いたがあれほどとは」
 豪快な笑い声と、盃を合わせる音が響く。背後から漏れ聞こえる会話に新八は深い溜息を吐いた。
(……また派手なことしちゃったなあ。気付かれないといいけど、)
 こうなっては仕方ない。余計な心配は一先ず他所へ置いておこう。なるべく考えないようにして膳に箸をつける。無言のまま食べ進めていると、男が一人、新八の隣に腰を下ろした。
「君は酒をやらないのかい?」
 短く切り揃えられた黄みを帯びた明るい髪。隙の無い切れ長の瞳は何処か己を見透かされているように感じてしまう。そして珍しい、新八と同じ眼鏡姿だ。
「あ、えっと、」
「伊東だ。伊東鴨太郎。君の連れはどうしたんだい?」
 告げられた名を己の記憶と照らし合わせて、新八は思わず身構えた。参謀を務める聡い人物だと聞いている。わざわざ新入りの雑兵である新八の元に訪れたということは、単純に労いだけではないだろう。
「その、銀さんは土方さんに呼ばれて、神楽ちゃんはその辺に居ると思うんですけど、」
「そうか、まあ飲もう。酒が駄目なら茶にしようか。この前都からの土産に上等な物を頂いてね、」
 涼し気に見える目元は眼鏡越しではいまいち感情が読めない。新八が平静を装っている傍ら、伊東は茶を持つよう家人に申し付けている。
「あ、あの、すみませんでした」
「何がだい?」
「勝手に牢を抜け出したりして、その、僕ら、」
「いいさ、結果が全てだ。君たちの判断は間違っていなかった。近藤さんも土方君も君たちを処罰する気は元々なかっただろうしね」
「……そうなんですか、すみません僕ら居ても立っても居られなくて、」
 差し出された茶を受け取り、深々と頭を下げる。新八が視線を再び向けると、伊東は静かに盃を傾けた。探られているのかと疑ってしまうせいでどうにも居心地が悪い。せめて銀時か神楽が一緒であれば、どうでもいい話題で煙に巻くのも難しくないのに。
「回りくどいのは苦手でね。単刀直入に聞こう。どこで奇襲の情報を得たんだい?」
 やはり予想した通りの質問に、ゆっくりと茶を飲み込んだ。疑問は当然だ。秘密裏に進めていた作戦が漏れていたとすれば、体制から組み直す必要があると考えるだろう。どうすればいいだろうか。余計な危惧をさせてしまうことは不本意だった。新八たちが此処にいるのは彼らを手助けする為なのだから。
「あの、信じてもらえないと思いますけど、銀さんの勘なんです」
「勘?」
「はい、兵力の差があるから長引くとこちらが不利ですよね。犠牲を抑える為に土方さんならできるだけ早く動くだろう、って。予想が外れていたら牢に戻るつもりでした」
 実際のところ、土方の隊が城を発った事は鳶に知らされたのだが、そんなことは言える筈もない。信じてもらえるかどうかはわからないが、敵ではないということは己の言葉で示しておきたかった。
「……そうか、全く土方君が羨ましいね。何もせずとも忠臣がこうして転がり込んでくるとは。余程前世で徳を積んだとみえる」
 皮肉を含んでそう笑うと、再べ盃の酒を飲み干す。そして、何やら懐を探り出した。
「それにしても、」
 そうして取り出した物を月に向かって翳す。月明りに光るそれを認めた瞬間、新八はぎくりと体を震わせた。伊東の手の中にあるのは、紛れもない、銀時の、
「敵陣に辿り着くまで、僕の予想では下手すれば半日近くかかると思っていたんだが、あんなに早く着くなんてね」
 銀色の小さな毛束が眼前で揺れる。髪の毛ではない。恐らく抜け落ちたものだ。
「そうだな、まるで……狐につままれたかと思ったよ」
「そ、それは?」
「いや、城で厩舎の下男が狐に憑かれた時に見つけたんだよ。珍しい毛色だったからつい拾ってしまったんだ」
 月の光を受けて輝く銀色が何を連想するか難くないだろう。
「君の連れを見ていたら思い出してね」
「あ、あの僕ちょっと神楽ちゃんを探してきますね。お茶、ご馳走様でした。美味しかったです」
 目が泳いでしまいそうになるのを何とか抑えて、新八はそそくさと立ち上がった。
「そうかい、今度は僕とも手合わせしてくれと彼に伝えておいてくれ」
 向けられる柔らかな笑顔にも、生まれてしまうのは警戒心だ。隣の間へ移動しながら新八は頭を抱えた。どうしたものか。只の冗談か、それとも鎌をかけられているのか。まだ判断することは何とも難しい。もし正体がばれてしまえば、此処に留まることはできないだろう。人間が異質の者を受け入れるとは思えない。新八もかつてはそうだった。己の理解を超えるものは恐ろしい。そしてその恐怖心が迫害を生む。ましてや狐だ。化かす生き物だと忌み嫌いながら、神だと祀るのは祟りを恐れているからなのだろう。
(……せっかく銀さんなんやかんや楽しそうなのにな、)
 銀時は人になりたいのかもしれないと幾度思ったか知れない。万事屋をしていたという言い訳は、決して嘘ではなかった。銀時はこれまで自分の社を訪れる者に、何度も手を貸してきた。時には自分が悪者になっても、運命に抗おうと戦う者の背をそっと押して、何人もの人を見送ってきた。ずっと、一人で。
「あ、新八くんこっちこっち!」
「あれ?山崎さん、」
 不意にかけられた明るい声に引き戻される。声の方へ視線をむけると、山崎がニコニコと新八を手招きしていた。連れられて一際盛り上がっている広間に入ると、宴の中心には近藤ともう一人、初めて見る屈強な男が座っていた。鍛え上げられた体と左目から頬にかけてくっきりと残る傷痕。数々の修羅場を生き抜いてきた証が体のあちこちに刻まれている。新八がその存在感に圧倒されていると、察したように山崎が耳打ちした。
「凄い迫力だよね、」
「ど、どなたですか?」
「さっきの戦で僕を庇ってくれてね。いや〜強いのなんの、まさに一網打尽だよ。近藤さんも気に入っちゃってさ」
「大陸の方なんですか?」
 こんな兵がいたのかと感嘆の息を吐く一方で、思わず疑問が口を突いて出た。元々城に仕えていた者ではないのだろうか。身に着けている武具や装束は唐物に見える。
「そうみたい、旅の途中で戦に巻き込まれちゃったみたいで、」
「いや〜いい食べっぷりですな〜えっと、夏侯惇さんでしたっけ?」
 山崎が上機嫌に耳打ちする傍らで、近藤がニコニコと盃を傾ける。男は酒をやらないのか、一心不乱に膳の物を掻き込んでいるようだ。そして箸を止めずに顔を上げると、無表情で近藤の問いに答えた。
「いや、夏侯惇ではない。神楽惇だ」
(神楽ちゃんんんんん!!!)
 大声で突っ込まなかった自分を褒めてやりたいと思いながら、新八は衝動を抑えて神楽の隣に腰を下ろした。周囲の様子を窺いながら小声で耳打ちする。
「何やってんの!」
「愚問を……女子供を戦場に駆り出す訳にはいかぬ、」
「そりゃそうだけど!変化するならもうちょっと溶け込む努力して!それじゃどう見ても大陸の覇者だろ!」
「大陸か……懐かしいな、あの頃は曹操も若かった」
「アンタ化けたのここ二、三年でしょうがァァ!何で千年以上前の出来事語ってんだ!」
「お、何だ二人盛り上がってるな!さあ、もっと飲んで食べて!」
 酒を呷る者、踊り出す者、宴はさらに盛り上がり夜が更けていく。



(……俺も、酒飲みてェな、)
 用意された離れの座敷に佇みながら、銀時は小さく溜息を吐いた。土方を待つよう鉄之助に申し付けられてからもう半刻が経っている。他にも家人は居るのだから、後は任せて宴会に出ても良いだろうとは思う。だが、土方の体調も気にかかった。行水を済ませてから来るだろうと鉄之助は言っていたが、大丈夫なのだろうか。せめて湯浴みをして体を温めて欲しいが、自分一人の為に他の者の手を煩わせることはしないのだろう。もどかしさに唇を噛む。
(今度、俺の山で湯治させてやりてェな。まあ、暫くは戦の後始末で無理か、)
 夜空に流れる雲を見つめながら、握っていた拳を開いた。月明りを手繰るように手招けば、狐火が揺らめいて消えていく。戯れにそう繰り返しながら夜風を楽しんでいると、次第に眠気が襲ってきた。振り払うように伸びをして軽く頬を叩く。すると、漸く土方の気配が近づいてきた。
「……万事屋、」
 かけられた声に振り返り、居住まいを正す。だがその黒髪が濡れていることに気付いて、銀時はすぐに土方の元へと駆け寄った。懐から取り出した手拭いを被せて手早く水分をしみ込ませる。そのまま強引に奥の座へ導いても、土方は疲れているのかされるがまま身を任せてきた。
「馬鹿、ぶり返すぞ。無理しねェで湯浴みすればよかったのに、大丈夫かよ」
「少し休めば治る、気にすんな」
 肩に羽織をかけてやりながら、髪を乾かすことに集中する。濡れたままではまた熱が出てしまう。手拭いで視界を遮りながら、背後にこっそりと狐火も灯した。こんなに実用的な使い方をしたのは初めてだ。
「なあ、」
「何だ」
 髪を探っていると、土方が気持ち良さそうに息を吐く。喉の奥が熱い。ただ、言わなければならないことがあった。
「……その、勝手な真似して悪かった」
 手を止めて、正面へと向き直る。牢を抜け出したことは命に背いたことと同じ。戦が上手くいったこととは別の話だ。咎は、受けなければならない。
「万事屋、」
 静かな声が、銀時を呼んだ。黒い瞳に自分の姿が映る。ああ、まただ、と銀時は熱を散らすように息を吐いた。この、夜を集めたような瞳に映されると胸が疼く。繰り返される衝動は、もはや勘違いと呼ぶことはできなかった。まるで見えない力に囚われているように動けずにいると、土方は銀時を見つめたまま懐を探り出した。そして、取り出した懐剣の鞘を抜き、銀時に柄を握らせた。
「なに、」
 意味がわからずにいると土方は銀時の手を取り、切先を自分の喉元へ突きつけた。
「抑える自信がねェ、嫌なら、迷わず此処を掻き斬れ」
「はあ?」
 何を言い出すんだ、縁起でもないと懐剣を放り投げる。具合が悪くて気が触れてしまったのだろうか。落ち着かせようと土方の手を取ろうとしたが、同時に視界が反転した。床の間と天井が急に現れ、それすらも遮るように土方の姿が近づく。そこで漸く銀時は自分が押し倒されていることに気付いたのだった。
「行水してもちっとも治まらねェ。てめェが火つけやがったんだ」
「ひゃ、」
 熱を持った吐息が耳元を擽り、熱い手の平が薄い着物の上から銀時の肌を這い回った。
「へ、なん、で、」
「てめェは、剣の護法童子か」
「は?」
「戦場で、てめェが俺の元に降りてきた時、そう思った。そんなもん、信じちゃいねェのに、」
 金色の肌と宝剣を持つ、毘沙門天の眷属である護法童子。銀色に光り、空を駆ける姿が重なった。自分を選んで降り立ったのだと。
「んな、馬鹿なこと、」
「ああ、馬鹿だ。んなことどうでもいい。てめェが欲しいだけだ。今度は、謀っちゃいねェ」
 賊を炙り出す為に演技をした時とは違う。帯を解かれ、熱く形を変えた欲望を太腿に擦り付けられて、銀時はその熱さに思わず慄いた。嫌なのかなど考える隙も無い。胸元を探っていた手が色付いた箇所を辿る。きゅうと摘ままれば、そこは応えるようにはしたなく立ち上がってしまう。
「あっ、ん、」
「万事屋、いや……銀時、」
 耳朶を食まれながら名を呼ばれた瞬間、じわりと唾液が湧いてしまう。静かに疼いていた筈の胸は激しく鼓動を刻み、跳ね除けようと伸ばした手はいつの間にか縋るように土方の着物を掴んでいた。
「あ、待っ、」
「待たねェ」
 震える尖りを口に含まれ、舌で扱かれる度に腰が跳ねる。這い回る舌は獣が毛繕いをするのとは違う。喰われてしまうのではないかと恐れさえ抱くのに、何故か可愛がられていると錯覚するのだ。まるで意識も身体もバラバラにされていくようだった。
「ひじかた、っ、あ、」
「大丈夫だ、良くしてやるから、」
 勝手に潤んでいく瞳のせいで視界が滲む。ゾクゾクと腰から痺れが奔って、力を入れることができない。発情期でもないのにいつの間にか欲望は勃ち上がり、土方の着物を濡らしていた。
「ぁ、ん……やだ、俺、あっ、あ、」
「銀時、」
 刺激を求めて腰が揺れてしまうのを抑えることができない。混乱して息が上がる。少しでも熱を逃がそうと頭を振ると、顎を捕らえられて土方の唇が押し当てられた。
「っん……ふ、」
 開きっ放しの口に、熱く濡れた舌が入り込んでくる。口内を舐め回されると、また勃ち上がった自身が悦んで先端を濡らしてしまう。上顎を擽られて、感じる場所を擦られると堪らなかった。
「口が、いいのか、」
 どろりと溶けた思考に抗えず、無言で銀時は顔を赤らめたまま舌を伸ばした。すると今度は土方の唇が銀時の舌を挟み込むように扱く。同じ所作で自信を扱かれて、また先走りが溢れてしまう。
「んんー、ひじかた、ひじかたぁ、」
「可愛いなテメー、そんなに気持ちいいか、」
 気持ちいい。恥ずかしい。何気色悪いこと言ってやがんだ黙りやがれ。浮かんでは消えていく思考が溶け合って、喘ぎながら土方にしがみ付くことしかできない。
「あ、もう、出ちまう……っ」
「銀時、ぎんとき、」
 欲を孕んだ声に名を呼ばれて、目の前が真っ白に染まった。
「んっ、出る、っあん、」
 土方の首に手を回して欲望を吐き出すと、そっと頭を撫でられた。優しい仕草に再び胸が疼く。肩口に頭をぐりぐりと擦り付けながら、その肌を甘く噛んだ。
「ひじかた、」
 顔を上げてその名を呼び返せば、今度は顔中に唇が寄せられる。気持ちが良い。されるがままに体を擦り寄せていると、何故か急に土方の動きが止まった。それも絡繰りの歯車が外れたかのように、妙に、不自然に。
「銀、時……?」
 驚愕に見開かれた瞳が銀時へと向けられる。視線の意味を探ろうとした瞬間、銀時もまたそれに気が付いた。

「お前、それ、」

 隠していた筈の耳と尻尾を、己の欲望と共に出してしまったという事実を。


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