仮初十六夜問答


【6】

 所々調子を外した童歌が里山に響く。色付いた紅葉が葉を落としていくのを惜しみながら天を仰いだ。
 濃淡の木々は混ざり合うことなく、赤や黄に染まった葉を誇らしげに揺らしている。
「銀ちゃん、これは食べられるアルか?」
「おま、何でもかんでも放り込むんじゃねェよ。俺たちだけが食うんじゃねえんだぞ」
 神楽が目に付いた物を次々と籠に入れていく。一抹の不安を覚えて銀時は思わず手を止めた。これでは中がごちゃ混ぜになっているだろう。
「こりゃ月夜茸だ。毒あんぞ」
「銀ちゃんがこの前焼いてくれたのと同じに見えるネ。美味しかったアル」
「アレは平茸。似てるから気をつけろよ。俺も軸見ねェとわかんねえから。お前は茸じゃなくて木の実とか探しな、」
 唇を尖らせながら、見分けがつかないと残念そうに耳を垂らすので、励ますように頭を撫でた。
「銀さん、これ位でいいんじゃないですか?結構取れましたね、定春も連れてくればよかったかな」
 額の汗を拭いながら、新八が満杯になった籠を背負う。思ったより重労働になってしまった。そろりと二人の顔を盗み見ると、察したのかじっとりとした視線を返される。
「で?丸一日近くトッシーとよろしくやってたアルか?」
「ほどほどにしてくださいよ。僕じゃ神楽ちゃんの暴食抑えきれないんですから」
「……のヤロー、てめェ等のせいで益々面倒臭ェことになっちまったじゃねーか!」
 拳を握り締めて睨み付けると、神楽はキョトンとした顔で首を傾げている。
「何か問題アルか?護るんなら近くにいるに越したことないネ」
「神楽ちゃん、」
 窘めるように新八が咳払いを一つして、少し気まずそうに銀時へと向き直った。
「そ、その、深い仲になった訳なんですから……えっと、言霊の事は別として、縁があるってことなんでしょうし、僕ら反対なんてしませんから!」
「はあ?」
「いや、そりゃ九尾ともあろう者が人間の妾だなんて、僕もちょっと思わないわけじゃないですけど……人間だろうが妖怪だろうが自分の気持ちに従って生きるべきですよね」
「オイ、てめェらもか。俺の話を聞けっつーんだよ。誰が妾だ!やってねえよ!」
 明らかに話の流れがおかしい。どいつもこいつも何なんだ。舌打ちしたい衝動に駆られて二人を睨み付けると、背後から白い影が近づいてくるのが見えた。気配を察して三人同時に視線を向ける。屋敷に置いてきた筈の定春が、珍しく急いだ様子で駆け寄ってきた。
「どうした、屋敷で何かあったか?」
 お約束のように銀時に噛み付いてから、神楽に甘えて顔を擦り付ける。踏んだり蹴ったりな気分だったが、構わず先を促した。土方はどうしたのだろう。また噛み付いて粗相をしたと追い出されたのだろうか。
「銀ちゃん、トッシーが城に向かったって言ってるネ」
「何でまた……まだ具合も悪いのに」
 戦が近いのだろうか。銀時は頭上に手を翳すと、上空を旋回している鳶を呼んだ。ふわりと肩に舞い降り、鳶が翼を広げて挨拶する。立派な羽根を労わるように撫でた。
「……そうか、ありがとな。また教えてくれると助かる」
 九尾の気に触れて嬉しいのか、答えるように一鳴きすると再び飛び立つ。
「戻るぞ。戦が近い上にどうにも分が悪そうだ」
「負け戦になるアルか?」
「そうならねェように護んだろ」
 戦は数と戦術が勝負だ。いくら個人が強かろうと数には負ける。大黄蜂も蜜蜂の大群には勝てないのだ。いくら九尾といえど、自然の摂理や運命を覆すことは銀時にはできない。特に人に化けている間は派手に妖力を使うことは避けてきた。人と生活を共にしている間は、人として過ごす。誰に教わった訳でもなく、物心がついた時にはそれが道理だと知っていた。
「……銀ちゃん、」
 定春の背に乗って傍らを奔る神楽が、何か言いたげに銀時を見つめて唇を噛んだ。視線の意味はわかっている。言霊は放っておいても、土方がその天寿を全うした時には消えるだろう。長くても後何十年の話だ。銀時にとってはほんの僅かな時にしか過ぎない。狐は千年の時を生きることも珍しくないのだから。
「大丈夫、わかってら」
 あまり入れ込み過ぎるなと言いたい気持ちがあるのだろう。そうだ、わかっている。別れが、すぐ来ることなど。


「止まれ!」
 城門の前で数名の兵が立ちはだかる。行く手を阻むあからさまな敵意に三人は足を止めた。
「銀髪と女子供の三人組。間違いないな」
「あの、僕ら怪しい者じゃありません。土方さんの屋敷で、」
「ああ、存じておる」
 知っているにもかかわらず、男たちの態度が軟化する様子は無い。不審に思いながら首を傾げると、三人を取り囲むように長槍が向けられた。
「……どういうことだ」
「貴様らが間者でないかと疑う者が多い。暫くの間捕らえておけ、との命が下った」
「そんな!」
 淡々とした説明に新八が抗議の声を上げる傍らで、銀時は静かに息を吐いた。
「……それは、土方が?」
「いや、沖田殿の命だ。大人しくしていれば手荒な真似はしない。疑いを晴らす為だ」

 石畳に茣蓙を敷いただけの空間は、陽が落ちると殊更冷える。定春も一緒に押し込められたおかげで牢は狭いが、三人と一匹身を寄せ合えば充分な暖が取れた。冷たい足を柔らかな毛並みの中に差し込めば、定春は抗議をするように再び銀時の頭を噛んでいる。
「困りましたね。銀さん、どうしますか?」
 木窓の隙間から零れる月光を眺めながら新八は頭を巡らし、腕を組んだ。土方に好意的な見方をすれば、自分たちの疑いを晴らす為というのは嘘ではないのだろう。沖田は彼の部下で、斬り込み部隊でありながら時には女を操って暗殺までこなすと聞いている。もし、間者だと確信があるのなら、即座に自分たちの首を飛ばしにくる筈だ。それに、銀時は昨夜の事を誤解だと言っていたが、少なくとも土方から敵意を向けられたようには見えない。嫌そうに新八たちに弁明する姿はむしろどこか楽しそうにも映ったほどだ。
(……深い仲になったんだからって言ったのは冗談って訳でもなかったんだけどな、)
「あの、銀さん、」
 先ほどの問いかけが聞こえなかったのだろうと再度声を上げる。すると、遮るように目の前に手を翳された。
「……少し黙って寝たフリしてろ。神楽もだ」
「へ?」
「いいから、」
 訳が分からないまま言われた通りに瞳を閉じる。そのまま神経を研ぎ澄ますと、遠くから警備に勤めている者の声が聞こえてきた。人間には聞こえない距離だ。
「しかし、まだ何のお達しも無いとは、殿はどういうおつもりなんだ」
「ゆっくり休めと言われてもな。こうしてる間にも敵軍が近づいているというのに」
「いや、恐らく松平様に援軍の要請をしているのだろう。返事を待っているのであれば今夜奇襲をかけるというのは無さそうだな」
 不安と疑念が入り混じった声が届く。同じような会話はあちらこちらでされているようだった。新八が再び銀時へと視線を向けると、彼は珍しく鋭い顔つきで窓の外を見つめていた。
「銀さ、」
「行くぞ」
「へ?行くって?」
「戦だ」
 この話の流れでいきなり何を言い出すのか。こうして漏れ響く兵たちの声は聞いていないのだろうか。立ち上がる後ろ姿を引き留めようとすると、新八にも窓の外の様子が初めて目に入った。昼間、銀時の肩に降りてきた鳶が夜の空を旋回している。そう、鳥は吉兆を告げる生き物だ。



 夜の帳が下りれば闇が動く。風を切るように馬を走らせながら、土方は流れ落ちる汗を拭った。夜明けまでの時間を指折り数えて空を憎む。いくら興奮状態に陥っていようとも、体の不調は誤魔化せないものかと唇を噛んだ。
 少数の部隊のみを引き連れ、内密に城を出てからどのくらいだろうか。奇襲をかけるには早さが勝負だ。今夜の出陣は無いと思わせられれば勝機が上がる。明日以降になっては意味が無い。敵陣へ近づくと馬を降り、気配を殺す。見張りが気付く前に、声を上げる前に一撃で斬り伏せた。まるで隠密の真似事だ。だが本陣に近付くにつれて当然その数は増えてくる。
「く、曲者!」
 土方が喉を敵の突く寸前に叫び声が響いた。声を受けて、別の隊から敵襲を知らせる合図が放たれる。
(……もう少し近づきたかったが、仕方ねえな)
 川を隔てた向こう側に敵の本陣がある。陣の奥には山が聳えており、背後からの急襲は困難だろう。断崖絶壁とまでは言い難いが、獣でも降りるのを躊躇ってしまいそうだ。攻めるには真正面から川を渡って乗り込むしかない。沖田や山崎が率いる部隊は第二陣として、土方よりも後に城を発っている筈だ。川を迂回し、上流から攻め込む手筈になっている。彼らの到着までどれだけ相手の戦力を削ぐかが鍵だ。
『お前の傍に置いといてくれれば、それでいいから、』
 ふと脳裏を過ぎる銀色の光。淡い萩の香り。望みを尋ねておきながら、真逆の仕打ちをどう思っただろう。恨んでいるだろうか。だが、疑惑を抱かれている今の状態で、他の兵と共に行動させれば全体の士気に関わる。腕が立つなら尚更だ。
 そんな想いもどこか言い訳めいているような気になるのは、何かを恐れているからに他ならない。
(いや、駄目だ。今は考えるな、)
 少しでも早く、早くと己に言い聞かせながら、我先にと斬り込んだ。土方の姿を見て、遅れを取ってはならないと兵が続く。数で負けていることは勿論、もう一つの気がかりは武具だった。どんなに腕の立つ者でも、大軍を相手にしては刃が使い物にならなくなる方がきっと早い。土方が危惧した通り、本陣に行き着く前に刃が零れだす。共に斬り込んでいる部下も同じようだった。
「行くぞコラァ!」
「何だありゃ?」
 その時だった。崖上を見つめて兵の一人が驚きの声を上げた。すると、一呼吸遅れて視線の示す方向から怒号が響き渡る。どういうことだと思いながらも迂闊に余所見をする訳にはいかない。陽動に気を取られて命を落としてきた者は数知れないからだ。そうわかっていたのに、一人の声がいやにはっきりと土方の耳へ届いた。万の兵の中、ただ、一人。
「    」
 そして、その姿を確認した瞬間にどよめきと怒号の正体を知る。背後の崖を一人の男が馬で駆け降りていた。それに続くように、やや慎重になりながら隊が続く。まだ沖田たちが到着するには早い。それどころか隊の中心には指揮を執っている近藤の姿も見える。一体何がどうなっているのか。有り得ない出来事に土方の脳は混乱した。もしかしたら自分はとうに斬られていて、此処は常世が見せる幻の中なのではないだろうか。何せ今己の衝動を支配しているのは、こうして真っ直ぐに向かってくる男だけなのだ。
「万事屋、お前、どうして、」
 触れ合う熱に互いの背中を預けながら、顔を見ずに問う。響いた言葉に銀時が小さく笑った。
「言ったろ。何か滋養のあるもん取ってきてやるってよ、」
 ほら、と懐に忍ばせた巾着袋を鳴らして土方に指し示す。
「零余子。半分煮て、残りは飯と一緒に炊いてやるよ。本当は自然薯狙いだったんだけどな、もうちょっと寒くなってからのが美味いし、」
 屋敷で交わした会話の続きだ。柔らかな口調と鋭い剣筋が現実を薄めていく。ああ、そうなのか、と妙に納得する己が居た。穏やかな日常も、苛烈を極める戦場も、彼にとっては同じ日常なのだ。只の「生」がそこにあるだけのことだと。
「行くぞ!」
 予想よりも遥かに早い援軍の到着に敵は乱れ、陣が崩れ出す。ここが勝機と鼓舞するうちに上流から沖田と山崎の隊が合流した。勝負は、もはや着いたも同然だった。


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