Dear Rosy Glow


【6】


青天の霹靂とはまさにこのことだと思う。怠そうにソファに寄りかかって腕を組む姿を思わず三度見した。放たれた言葉に対して脳が働くことはなかった。ちょっと何言ってるかわかんない、芽生えた感想はそれだけだ。眼鏡を押し上げて一つ深呼吸をする。
「あの、ちょっと意味がわからなかったんですけど、もう一回言ってもらっていいですか?」
そんなことを言いながら、正直もう一度言われるのは勘弁して欲しいと思っていた。理解してしまったら僕はどうしたらいいんだろう。ひやりと背中に汗が流れる。そして、僕の視線を受けて、銀さんが首を傾げた。表情に変化はない。
「だから〜子供できたんだって、」
「へえ〜誰にですか?」
妙に胸がざわつく。まるで「これから雨降るんだって」みたいなテンションで宣う銀さんを訝しげに見つめると、銀さんはいつも通り気だるい顔つきのまま口を開いた。
「俺だけど」
「……は?」
部屋の時が止まる。固まった僕の横で、神楽ちゃんが銜えていた酢昆布をポロリと落とした。銀さんだけが何も変わらず鼻を穿っている。もう一度言葉の意味を確認する為に脳内で今の映像を巻き戻した。子供ができた。うん、それはおめでたい話だ。誰の話だろう。わざわざ僕らに言うってことは良く知ってる人なんだろうけど。で、それが、
「っえええええええ!子供ォォォ!?銀さんの!?」
「本当アルか!男の子?女の子?どっちネ!?」
「それはまだわかんねェけど」
「いつわかるアルか!妹アルか?弟アルか?キャッホォォォ!」
「だいぶまだ先だぞ、あれ?わかるの何か月だったっけな?」
「ちょ、ちょっと待ったァァァ!」
咀嚼しきれない僕を置いてきぼりにして先へと進んでいく二人に慌てて声を上げる。ちょっと待て。
机を叩いて勢いよく立ち上がる。すると二人が冷静な目で射抜いてきた。まるで僕がおかしいと言わんばかりだ。何でこんな扱いを受けねばならないのだろう。明らかにおかしいのはそっちなのに。
「ど、ど、ど、どういうことですか!銀さん!アンタそもそも、お、お付き合いしてる人が居たんですか?」
物事には順序ってものがある。いつの間にそんな話になっていたんだろう。困惑する僕に銀さんはしれっと答えた。
「居ねェけど、」
「はあああああ?」
「まじアルか、なら銀ちゃんもデキ婚するアルか?パピーと一緒ネ」
「いや、結婚はしねェよ」
「ええええええ!」
あまりの展開に頭がついていけない。それはいくらなんでもあんまりじゃないだろうか。
「ま、待ってください。付き合ってないのに子供ができて?結婚はしない?そんなの酷すぎますよ!銀さんまさか責任取らないつもりですか?」
唾を飛ばす勢いで畳み掛けると、銀さんは煩そうに顔を顰めた。
「責任取らねェならお前らに言う訳ねェだろ」
「だ、だって……そしたら、どうやって、」
生まれたら子供だけ引き取るということなのだろうか。恋人でないなら有り得るかもしれない。けれど、そんなの相手の女性が可哀想だ。自分の体を犠牲にして、お腹を痛めて子供を産むのに。
一体この人は何を考えているのだろう。何一つ理解できないまま言葉を探していると、銀さんは僕の思考を遥かに超えたことを再びさらりと口にした。
「おう、だから責任持って俺が産む訳」
「……は?」
「俺が、したの。妊娠」
告げられた言葉を一文字ずつ浮かべてみたが、それらは意味を成さないまま宙に消えた。
「はあああああ?」


部屋の空気とは裏腹に外はやけにいい天気だ。時計の針がカチコチと流れる時間を刻んでいる。たっぷり数十秒固まった後に聞かされた成り行きを今一度反芻して額を抑えた。あまりのことに熱が出そうだ。
「……それで、その茸のせいで妊娠したってことですか、」
「おう、さすがぱっつあん、もっと騒ぐと思ったぜ」
銀さんのけろりとした様子に呆れて深い溜息を吐く。どうしてこの人はこうなのだろう。
「できればそうしたいですけど、前に銀さんが女の人になったのも見てますし……今更何があってもというか、」
「でも銀ちゃん、今は男なのに産めるアルか?」
「何かその辺は何とかなるみてェなんだけどよ、バレるとマズいらしくて」
銀さんはそう言うと少し困ったように首を竦めた。そりゃそうだろう。他の星で男性が妊娠した例があるといっても地球では恐らく初めてだ。マスコミに面白可笑しく騒ぎ立てられた上、あちこちの研究機関をたらい回しにされるのは予想がつく。信頼のおける医師を既に見つけているのなら、誰にも知られないほうが子供にとっても良さそうだ。
「まあ、そうですね。僕らも絶対に漏らさないようにしますから、」
「安心するネ。銀ちゃんのことは私たちが護るアル」
神楽ちゃんが自信満々に胸を叩いて親指を上げる姿に笑みが漏れる。銀さんも少しホッとしたように表情を緩めた。何だかむず痒い。
「そっか、なら具合悪いのもそのせいなんですね」
「おう、悪ィな。仕事は当分たまが手伝ってくれるって言うからよ。頼むわ」
「任せるアル!」
「わかりました。まずは安静にしててくださいよ。何か食べられそうなものありますか?僕ちょっと買ってきます」
あの体調の悪さが二日酔いでなかったのなら、僕が居ない時間も銀さんは碌に食べてなかった筈だ。
玄関を出て外階段を降りながら、何が良いかと思考を巡らす。
(食べやすくて、栄養のある物、か。また戻しちゃうかもしれないけど、フルーツとかなら食べれるかな?)
そういえば近しい人に妊婦が居たことはない。何を注意しなければならないのだろう。
本屋の前を通りかかると、店頭に並んだ雑誌の表紙が目に入る。思わず足を止めた。
(……たまご倶楽部かあ、いやでも僕一人じゃ買う勇気無いな。後でたまさんに一緒に来てもらおう、)
表紙の赤ちゃんが幸せそうに微笑んでいる。何だか不思議な感じだ。肩の力が抜けて、静かに息を吐いた。空が青い。
(そういえば、相手、誰なんだろ、)
与えられた情報量があまりに多過ぎて、すっかり聞くのを失念してしまった。
(銀さんの説明が本当なら、相手も男の人ってことだよな……その人は銀さんが妊娠してるの、知ってるのかな、)
少なくとも自分が万事屋に居た時間に銀さんが誰かと連絡を取っている気配は無かった。そして、恋人ではない。結婚するつもりもない、という言葉。遊びだったということなのだろうか。
(……不倫、とか?いや、それはないか、)
ちゃらんぽらんに見えても、彼は「人」を大事にする人だ。お互い割り切った関係、というのはあるかもしれないが、わざわざ誰かを傷つけるようなことはしないだろう。先程のやり取りを考えると、相手については全く触れなかった。だとしたら、
「銀さんが、遊ばれちゃったのかな、」
有り得なさそうで、可能性が無いとも言い切れない。捨てられて打ちひしがれて、せめてこの子だけはと産む決意をしたのかもしれない。思えばここ二か月位、銀さんの様子はどこかおかしかった。時折ぼんやりしていたことが多かった気がする。
「……銀さん、大丈夫かな」
ふと浮かんだ考えが妙に現実味を帯びていて思わず空を仰ぐ。すると、不意に背後から声がかけられた。
「な〜に百面相してやがんでィ」
「あっ、沖田さん!土方さんも!」
声の方に振り向くと、隊服に身を包んだ二人がパトカーから降りてくる。久しぶりの姿も見えた。
「よかった、土方さん退院したんですね。おめでとうございます。見廻りですか?」
「ああ、リハビリがてらな、」
土方さんは自販機でコーヒーを買い、直ぐに車に戻っていく。元気そうな姿にホッとしていると、今度は沖田さんが思い出したように手を叩いた。
「そういや、旦那の具合はどうでェ?」
「えっと、まだちょっとかかるみたいですけど、とりあえず大丈夫です。その節は迷惑かけちゃってすみませんでした」
「具合?あの野郎どっか悪ィのか?」
何のことだと土方さんが眉を顰める。そういえばあの時彼は屯所に居なかった。当然銀さんの体調が悪かったことなど知らないだろう。
「あ、いえ、一時的なものなんで、もうお医者さんにも診てもらいましたし、」
「旦那、医者にかかるほど悪かったんですかィ」
隠さなければと意識しているせいなのか、二人の視線がやけに鋭く感じてしまう。落ち着けと自分に言い聞かせて、真っ直ぐ視線を返した。大丈夫、具合が悪かったといって、まさか男が妊娠しているなんて夢にも思わないだろう。
「えっと、飲み過ぎで胃とかその辺が荒れてるみたいなんですよ。しばらくは強制的に禁酒ですね」
これを機に治ってからもお酒控えてくれるといいんですけど、と付け加えてから軽く頭を下げた。
「じゃあ、僕は買い物の途中なんで行きますね。土方さんもお大事にしてください」
「ああ。オイ、総悟、行くぞ」
土方さんに呼ばれて、沖田さんもパトカーへと乗り込む。そのまま走り去る車を見送って、ホッと胸を撫で下ろした。
(戻ったら、その辺の言い訳ももうちょっと考えないとな。変に意識してボロが出ちゃいそうだ、)
足を進めながら、再び思考があちこちへと飛んでいく。色々衝撃が大きすぎてちっとも落ち着かない。
(……銀さんの相手、どうせ男の人なら土方さんみたいな人だったらよかったのにな。チンピラだけど、なんやかんや真面目だし、色々フォローしてくれるし、)
考えても仕方ないことだとわかっている。けれどそんなことすら思わずにはいられない。
(まあ、あの二人に限ってそれはないか。犬猿の仲だもんな)
男の身でありながら、命を宿して、その事実を受け入れる。もしも自分なら、と考えてみようとしても欠片すら到底想像がつかなかった。
あの飄々とした姿の裏で、銀さんは一体何を思っているのだろう。

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