Dear Rosy Glow


【5】


外階段を降り、玄関に着く前に中から駆け寄る影が見える。思わず表情が緩んでしまうのは年を取った証拠だろうか。扉に手をかける前に、戸は勝手に開いた。
「お登勢様、おかえりなさいませ」
「遅くなってすまないね。準備済んだら店開けるよ」
「はい、あの、銀時様は、」
心配そうな視線は機械のそれではない。血の通った人間だ。たまがここに来てから随分と経った筈なのに、まるで昨日のことのようだ。月日は年々過ぎるのが早くなる。今日のことも何年後かにはまたそう思いながら思い出すのだろう。
「医者に行かせたらアンタが思った通りだったよ。だからもうソレはしまっときな」
白い手が握り締めている物を指差して苦笑いする。薬屋から戻ってきたたまがそれを差し出して仰天したのは今朝のことだ。真面目な顔で渡しに行くというのを慌てて止めた。
「まったく、若い娘にいきなり妊娠検査薬なんざ突き出されたらアイツひっくり返っちまうよ」
「そういうものでしたか……銀時様に使って頂こうと思ったのですが、」
「でもまあ、ありがとうね」
カウンターに入り、グラスを一つ一つ磨いていく。曇りが晴れるのは気持ちがいい。
「それで……銀時様はお産みになられるんでしょうか」
たまはまだ少し心配そうな表情のまま、客のキープボトルを拭き始めた。手を止めて、そっと視線を送るとゆっくりと向き直る。
「赤ん坊ができてるって言われた時、あのバカなんて言ったと思う?」
「それは……私には想像がつきませんが、」
「穴一つしかないのにどっから出すんだってさ。医者に堕ろすんなら早くしろって言われて初めて驚いてたよ。そんな選択肢があることすら頭からすっ飛んでたんだろうね」
そして、相手のことについても。以前のようにもし遊び歩いていたのなら相手はわからないと言うだろう。家の前に赤ん坊が置き去りにされていた時の反応が正にそれだ。
『相手のこと、聞かねェのかよ』
今回、聞かれる前にああ言ったのは何も聞かれたくないから。相手はわかっているけれど、言うつもりはない。その相手のこともまた護るつもりなのだろう。
「……漸くの本気の相手なんだろうに、不器用なことだねェ」
「お登勢様、」
ひとり言のように呟いた言葉に、たまが不思議そうに首を傾げる。まだ心配そうにしながらも、穏やかな表情は口元に笑みすら浮かべているようだった。
「どうしたんだい、急に笑って」
「いえ、申し訳ありません。銀時様のお体は心配なのですが……無事お生まれになったら、お登勢様はおばあちゃんになられるのですね」
思ってもみない言葉に面食らうと、たまが嬉しそうに微笑む。純粋な喜びがじわじわと伝わってくるようだった。温かい感情が満ちて、柔らかく温度を上げる。
「孫は良い、と皆様よく仰られています」
「冗談じゃない、よしとくれよ。ほら、時間だよ。暖簾出してきてくれるかい?」
「はい、承知致しました」
手際よく暖簾を持って入口に向かう姿に続けて声をかけた。
「たま、暫くはアイツらの依頼手伝ってやんな。力仕事なんかは無理だろうからね」
「はい!」
先程吸うのを止めた煙草を再び取り出し火をつける。無理矢理ケースに戻したせいで少しひしゃげているが、煙を吸うのには全く問題ない。深く肺へと吸い込み、少しずつ輪を作りながら吐き出した。
「……ったく、世話の焼けるバカ息子だねェ」



◇◇◇



「今度ばかりはと思ったんですがねェ、またお早いお帰りで」
「何がお早い、だ。嫌味かよ」
二か月ぶりの屯所はどこか違和感があるように感じてしまう。出迎えた沖田の嫌がらせの攻撃も随分と大人しいものだった。久しぶりに袖を通した隊服もいつもより重く感じる。
「トシ、戻ったか。いや〜よかったよかった」
「近藤さん、時間あったら手合わせしてくれ。随分鈍っちまったよ」
「ああ、いつでもいいぞ!その代わり暫くは部屋で大人しくしてくれよな。体も心配だし、事務仕事も溜まってるからな」
ニコニコ笑いながらそう告げられて、思わず顔を顰めてしまいたくなる。心配してくれているのはわかるが、後者が本音なのではないかと疑ってしまう。
これ以上引き篭もっていたら腐りそうだ。勘を取り戻す為にも、少しでも剣を振らなければ。
「ああ、そういや報告がまだだったな。総悟、山崎はどうした?」
報告が遅れればこっぴどく叱られるのはわかっている筈なのに、珍しく山崎の姿が見えない。何かあったのかと問えば、二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。
「山崎の野郎なら三日前戻ってきてから一切部屋から出てきませんぜ」
「ああ?何してやがんだ」
「それがなあ、」
沖田は興味が無さそうに風船ガムを膨らませている横で、近藤が腕を組み、何やら悲しそうに頷いた。
「どうやら本格的に失恋しちまったらしいんだよ」
「はあ?んなことかよ!ふざけんな公私混同もいいとこじゃねェか、あの野郎、士道不覚悟で切腹だ!」
「まあまあ、そう言ってやるなって、俺にはわかる……俺もお妙さんを失っちゃあ正気で居られる自信はねェ」
「姉御が近藤さんのものになったことありやしたっけ?」
「総悟、お前にはまだ早いか……俺にはわかる……そう、お妙さんの秘めた想いは確かに俺の魂と繋がってるんだ」
ただでさえ時間が惜しいのに、これ以上付き合ってはいられない。そのまま恋語りを始める近藤を無視して、怒りのまま山崎の部屋へと向かう。
(……あの野郎、仕事を何だと思ってんだ、)
そもそも山崎はあのロボ娘に恋をしていたのではなかったか。ロボ娘相手に今更失恋が確定したというのはどういうことだろうか。まさか本当に叶うと思っていた訳でもあるまいし、と考えてから思い直す。山崎の思い込みはともあれ、漸く面と向かってフラれたということだろうか。
足を進めていくと、部屋が近づくにつれて何やらどんよりとした空気が漂ってきた。どんどん重くなる空気に舌打ちして扉の前に立つと、ぐずぐすとすすり泣く声と呪詛のような嘆きが聞こえてくる。
「山崎ィ!テメー何してやがんだァァァ!仕事しろ!」
襖をぶち破り、こんもりと盛り上がっている布団を剥ぐ。胸倉を掴み上げると、泣き腫らした瞼が目に入った。原型が無くなるほど腫れ上がり、細くなった瞳からハラハラと涙が落ちていく。
「だっ、だって、おれ、見ちゃったんです……」
「ああ?」
ジメジメジメジメしやがってカビが生えそうだ。拳を振り上げてみても、山崎はしくしくと泣くことを止めない。げんなりすると同時に背後から声がかけられた。
「まあまあ土方さん、泣きっ面に針刺すような真似なんて止してやってくだせェよ」
「お、沖田隊長〜!」
「で?一体何見ちまったんでィ、言ってみな」
オイ、ちょっと待て。何で俺が悪者みてェになってんだ。悪いのは仕事サボってるコイツだろ。
そう言ってやりたかったが、仕事に戻すにはこっちの方が聞くかもしれない。黙って胸倉を掴んでいた手を離すと、山崎は鼻を啜りながら沖田に縋りついた。
「た、たまさんが……ひっく、こ、この前、薬屋で妊娠検査薬買ってたんです……うっ、うっ、」
「はあ?」
「あ、あんな、清純な娘さんが……うっ、」
てっきり恋人と一緒に居るところでも目撃したのかと思いきや、明後日の答えに閉口する。沖田も同じなのだろう。虚をつかれてポカンと口を開けるのが見えた。
「それだけかィ?」
「そーですよ!に、妊娠なんて……!うわああああ!たまさんんんん!」
呆れて言葉が出てこない。盛大に息を吐いてから、沖田へと耳打ちする。
「……オイ、ありゃカラクリだってツッコんでもいいのかコレ、」
「まあまあ、土方さんはもうちょっと黙っててくだせェよ」
沖田がまた新しい玩具を見つけたような顔をし出したのに呆れて、再び山崎の胸倉を掴み上げた。
「付き合ってられるか。オイ、山崎いい加減にしろ!そんなもんどうせ誰かの使いに決まってんだろーが!」
「……え?」
ギャーギャーと喚いていた口が、ピタリと止まった。
「本人が使うって言ったのかよ?」
「……いえ……そういや、聞いて、ない、です、」
「ったく、てめェそれでも監察か!メソメソすんのは確認してからにしろ!」
「はっ、はいいいいいい!」
絶望に陥っていた表情が、一気に希望で満ち溢れる。山崎はそのまま立ち上がると、電光石火の勢いで走り出した。
「そっか!そうですよね!副長〜!ありがとうございます!きっとそうだ!たまさんんんん!」
「オイ!今じゃなくて!今は事件の報告しろって言ってんだよ!」
小さくなっていく背中に向かって怒鳴り付けるが、思い込みの激しい男には届く筈もない。帰ってきたら切腹だと呟いて、苛立ちを抑える為に煙草を取り出す。久しぶりの煙は肺に染み入るようだった。
「……にしても、誰に買ったんですかねェ。あそこババァとガキしかいねェのに」
「んなのどうでもいいだろ。近所だろうが知り合いだろうが、あの街じゃ顔広いみてェだしな」
「近所、ねェ、」
俺の言葉に珍しく考え込むような仕草をする姿に首を傾げる。近所、という言葉に一瞬あの男の顔が浮かんだが、振り払うように再び煙草を吸った。

墓まで持っていくつもりの想いを、あの日初めて口にした。きっと、アイツも俺が死に際に居なければ応えることはなかっただろう。
こうしてしぶとく生き恥晒して舞い戻ってきた姿を見たらどうするのだろうか。いや、だからこそ、会った時には何も無かったように振舞うべきだなのだろう。

『……構わねェよ、俺も、墓まで持っていってやるから、』

あの時の言葉が、互いの意志なのだから。



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