Dear Rosy Glow


【4】


事は約二か月前に遡る。単純な話だ。例のごとく宇宙から届いた荷が正に今ニュースで見た物とよく似ていた。何でも見た目はしめじだが風味は松茸の貴重な茸らしい。但し価格は松茸の比ではないそうだ。
だったらこんな怪しげな茸より松茸そのものを送って欲しかった。松茸より高価なのに松茸っぽいとか言ってやるなよ本末転倒じゃねェかと心底思ったが、ドッグフードすら切らしている家庭にとっては腹に入れば何でもよかった。
しかし煮てみたり焼いてみたりしゃぶしゃぶにしてみたりと様々な食べ方をしてみたものの、結局坂田家にとっては椎茸が一番美味いという結論に落ち着いたのだ。
「何だいそりゃ。せっかくの茸も浮かばれないねェ」
「そんなことはどうでもいいんだよ。あの野郎ふざけやがって!」
抽斗を漁りながらもう既に薄れかけていた記憶を辿る。取り出したメモ帳に記された番号を息つく間もなくダイヤルした。長いコール音がますます腹立たしい。
「はいこちら快援隊本部で、」
「オイ辰馬いるかァ!?至急代われそのモジャモジャ大仏パーマにされたくなかったらな!」
「おお〜その声は金時か!久しぶりじゃの〜」
毎度暢気に響くやたらデカい声に脳内でぷつりと何かが切れる音がした。
「銀時だっつってんだろ!何してくれてんだテメー!何だあの茸は!ふざけんじゃねーぞ!」
「アッハッハッハいきなり何の話をしとるんじゃ〜?」
「テメーが二か月前に送ってきた茸だよ!妊娠するってどういうことだ!アア?」
「茸?……ああ!美味かったろう?まっこと松茸の味がしちゅう、珍品じゃき!」
目の前に居れば胸倉掴んでぶん殴ってやりたいところだったが、残念ながらリモートではそうはいかない。血管が破裂して額から血が噴き出しそうだ。何回か同じやり取りを繰り返すと、辰馬は漸く思い出したように受話器の向こうで手を叩いた。
「おお、ありゃたまげたのぅ。ワシもついこの前知ったぜよ。まあしかしおんしが女子にモテんのはわかっちゅう、いらん心配じゃき」
「そうじゃなくて!男もするってのは、」
「へーきへーき、効果があるのはせいぜい食べてから三日じゃ。おまんとこは心配ないじゃろ〜」
食べてから、三日。だったらあの日は――あの時、土方と触れ合ったのはいつだっただろうか。受話器が持つ手が震える。頭の中でサァッと音がして、血が引いていくのがわかった。
「とにかく!もう二度と得体の知れねェもの送ってくんなよ!じゃあな!」
知らなかったのなら、これ以上聞いても無駄だ。余計なことを言って墓穴を掘るのは避けたい。電話を叩き切り、脱力してズルズルと座り込む。頭を抱えてありったけの息を吐くと、背後から同じように深い溜息が重なった。
「オイ、ババァ、」
「……声デカいから全部聞こえてたよ」
「だろうな……あああああマジかよ」
両手でガシガシと頭を掻いて天を仰ぐ。この時、俺は酷く動揺していた。そもそも茸を食べようが食べまいが、子供は一人では作れないのだ。
「銀時、」
「ああ?」
「何やら心当たりがありそうだね」
投げかけられた言葉が背中から突き刺さり、心臓を貫いて穴を開ける。
振り向くとお登勢は懐から取り出した煙草に火をつけようとして、何かに気付いたように再びそれを仕舞い込んだ。
「いやまだそうと決まった訳じゃねェし……何か、そういう気の使われ方されっとどうしようもねェんだけど、勘弁してくれよ」
「……まあどっちにしろ医者には行きな。口の堅いの紹介してやるから、ほら準備しな」
「は?今から?」
「吐き気治まってる内に診てもらいな。それとも子供らも一緒に行くかい?」
「……わぁったよ、」
本当にそれが原因なのかもわからないのにこれ以上大事になっては堪らない。腹を決めて着替えると、お登勢の後を追って家を出た。何となく帯を緩めに結んでしまったことに気付いて、どうしようもない気持ちになった。



◇◇◇



「はい、できてますね。おめでとう」
目が隠れるほどの白髪の眉と長い白髭。どこぞの仙人かと言わんばかりの老いた医師がアル中のように手を震わせながら、あっさりと微笑んだ。
「……オイ、ちゃんと診ろ耄碌ジジィ、その眉毛根こそぎ毟ってやろうか」
「ん〜そしたらね、アレだね、最後に月の物が来たのはいつですかな?」
「来る訳ねェだろうがァァァ!」
「ああ〜そうかい生理不順かい。まあ大丈夫大丈夫」
「おいバーさん!大丈夫かこのジジィ」
何の緊張感もなく続けられる言葉に我慢できず掴みかかろうとすると、隣から腕を叩かれる。気まずさも相まっていっそ泣いてしまいたいくらいだ。
「銀時、止しな。藪だけど腕は確かだよ」
「藪医者確定してんじゃねェか!」
一刻も早く逃げ出したいが、腹にエコー機器を当てられているので動けない。ぎゃいぎゃいと騒ぐ俺の声など聞こえないのか、老医師は淡々と作業を続けている。
「はい、コレね。臍から繋がって、何か臓器的なものができてる訳。で、これが赤ちゃんね。わかる?」
「はあああ?」
促されるまま画面を見つめるが、そこに映っている物は白と黒の波にしか思えなかった。
「うん、心拍も確認できるね、七週目くらいかな?」
「……心拍、」
心拍。告げられた言葉がずしりと重く圧し掛かる。この体の中で、俺以外の何かが命を刻んでいる。まさか本当に、俺と、アイツの、
想像するだけで眩暈がしそうだ。なんて長い一日だ。これは夢じゃないのか。
「おい、ジジィ。できてるって言ったってどうやって出すんだ。俺ァ出す穴なんざ一個しかねェぞ」
混乱しながら咄嗟に浮かんだ疑問を口にする。だいたい男の体にそんな器官ができるなんて、相当ヤバい事態なのではないだろうか。寄生して腹を食い破ったえいりあんが、なんて映画を思い出してゾッとしていると、二人が少し驚いたように俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「まあ、帝王切開になるだろうね。それと、もし堕ろすなら早めに。来週中には決めてもらわんと」
「……堕ろすなら、」
「うん、そうそう、産むとしても難しい出産になるだろうから、相手の方にも一度来てもらわんとね」
鸚鵡返しに応えることしかできなかった。老医師がもう一度来週中だと繰り返すのがどこか他人事のように聞こえた。器具を外され、ゆっくりと起き上がる。反射的にそっと腹を撫でた。まだ何の感触も無い。応える筈もない。


「それじゃ私は店開けるから戻るよ。体冷やすんじゃないよ、いいね?」
「へいへい、」
再び布団に押し込められて、新八たちと交わした会話と似たようなやり取りを繰り返す。本当に長い一日だ。いつまで経っても覚めない。
「おい、バーさん、」
「何だい」
お互いを見ようとすることもなく、一人零す。まるで鏡に向かって喋っている気分だ。
「相手のこと、聞かねェのかよ」
ゆっくりと静寂が訪れる。時計の秒針の音がやけに大きく響いた。
「……言いたくなったら聞くけどねェ、どうせその分じゃ相手にも言うつもりないんだろ?相手が何だって構やしないよ。この街はそういう場所さ、アンタが一番良く知ってんじゃないのかい?」
「……おう、」
不安の中に、ふわりふわりと柔らかな熱が触れる。
「まあ産むにせよ産まないにせよ。あの子らにはちゃんとけじめつけて話すんだね。とにかく今はゆっくり休んで体力つけな」
「……おう、」
「家賃はちゃんと払うんだよ」
「……」
「オィィ早速寝たフリかい!」
足音は次第に遠ざかり、カラカラと軽い音を立てて玄関の戸が閉まる。目まぐるしい時間に次いで訪れる静寂は、再び現実感を奪っていった。
事実を告げられても未だ何も理解できない。頭の中は何が何だかわからない、その想いだけで埋め尽くされている。

『思わぬ贈り物が届くかも?きっと生涯の宝物になりますよ』

それでもこの、命は。


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