Dear Rosy Glow


【十三】


「銀さん? そういや最近見ないねェ。三か月以上来てないんじゃないかな」
「ここんとこ見てないなあ、会ったら早くツケ払いに来いって言っといておくれよ」
 馴染みの定食屋、居酒屋、パチンコ屋。かぶき町へ向かう道すがら心当たりを立ち寄ってみても、返ってくる答えは皆同じ。体調を崩していたのだから当然だろう。それでも聞き込みを続けた。
 例え手がかりが見つからなくても俺がこうして嗅ぎまわっていることが銀時の耳に入るかもしれない。期待はできなかったが、大人しく半年待つという選択肢は持ち合わせていなかった。

 そして、何よりも沖田の疑念――。銀時が体調を崩したであろう時期。食欲の減退、吐き気。頻繁な検診。

 流れ込んできた情報を処理できずにフラフラと街を歩き回る。一体何を信じればいいのかわからない。仮にマグロ漁船の話が本当だとしても、果たしてアイツは帰ってくるのだろうか。
(……とにかく見つけねえと、確かめようがねェ、)
 足が急に重くなり、次の一歩を踏み出せない。動揺で呼吸が浅くなる。自分が何処に立っているのかも一瞬わからなくなった。

「あ、いたいた、副長!」
 何の情報も得られぬまま屯所に戻ると、山崎が俺を見つけて走り寄ってきた。その手には何やら資料が握られている。
「これ、沖田隊長に調べろって言われたんです。それで副長に渡せって、」
「総悟が?」
「はい、渡せばわかるって言ってましたよ。しかし驚きましたね、あんな雑居ビルにこんな大物が」
「何だ?」
 追っている攘夷志士の尻尾でも掴んだのかと封筒から資料を取り出す。目に飛び込んできたのはとある人物のプロフィールだった。
 そこに記されていたのは攘夷浪士などではない、一人の医師。添えられた写真を見て思わず動きを止める。
「緒方喝斎。幕府が開国してから医学を飛躍的に発展させた『医療の父』緒方棒庵の一番弟子です。初めて産婦人科専門の病院を設立して産婆を助産師として提唱したり、教育制度を整えたり、その分野では第一人者ですね」
 長い髭と目を隠す勢いの眉毛は見覚えがあるレベルではない。
「……お前、知ってんのか」
「いえ、もう何年も前にテレビで引退の日を密着してたんでそれ観ただけです。でもデカい病院から退いただけで細々と医者続けてたんですね。生涯現役って奴かぁ、すごいな。で、この医者が何か事件でも関係あるんですか?」
「いや……それは、」
 しどろもどろになってしまわぬよう必死で動揺を抑え込む。
 一つ一つ積み重ねられていく事実が、緩やかに一つの結論を際立たせるよう周りを固めていく。
 引退して自分が診られる範囲の町医者になったとすれば、専門に関わらず患者を診るだろう。元がたまたま産婦人科の権威だった、それだけかもしれない。
 だが銀時は以前あの医者を「ババアに紹介された」と言っていた。江戸中に顔が利くかぶき町の四天王がわざわざあの医者を紹介したのは偶然だろうか。

『てめェには関係ねえって言っただろうが』
 頑なに病名を隠そうとした、あの突き放した態度。
『ちょっと腹冷えたかも、擦ってくんねェ?』
 珍しく甘えを見せた、あの時の言葉。
『俺も、おんなじだ。お前がどうなろうと、俺はこのまま、ずっとお前を、』
『……構わねェよ、俺も、墓まで持っていってやるから、』

 墓まで持っていく「何か」が一つだとは限らない。

「……山崎、」
「はい、何でしょう」
「これは事件とは関係ねェ。前に言った俺の個人的な事だ。勿論命令なんかじゃねェ」
 もしこの奇天烈な仮説が事実なら、答えは。
「……頼みがある」
 握り締めた俺の拳に山崎が視線を向ける。正面へと向き直って改めて口を開くと、山崎は呆れたような溜息を漏らした。
「またそんな似合わないこと言って、くれぐれも空からマヨネーズ降らせんでくださいよ」
「何言ってんだ。降る訳ねェだろ」
 そして俺を見てへらりと笑った。
「実は、俺も気になることがあって調べてたんです」




「僕らだって銀さんが何処に居るか知らないって言ってるじゃないですか。そう毎日来られても困ります」
「本当に連絡の一つも寄越さねェのか」
「だから来たら土方さんにも連絡しますって。じゃあ僕ら依頼があるので失礼します。神楽ちゃん、行こう」
「しつこい男は嫌われるアル。マヨネーズしゃぶって大人しく待ってる方が賢明ネ」
 目を伏せてそそくさと逃げるように家を出て走り去った。一気に走り、人通りが少なくなったところで辺りを窺いながら銀さんが居る施設へと足を進める。
 こうして毎日繰り返される一方的な言い分。彼が納得できない気持ちはわかる。今回は相手の好意を無下にしているとわかっているから尚更チクチクと胸が痛んだ。嘘を吐くのはどうしても苦手だ。
 けれどこうして土方さんが諦めないことにどこか安心している自分も居た。食い下がられて困っているのに、もしあっさり引き下がられたら僕はきっと不安になるのだろう。理由はどうあれ、銀さんを大事に思ってくれる人が近くに居るのだと思える、それは何よりも救いだった。
 それが例えフォローの男と呼ばれる性分からくるものでも嬉しかった。だからこそ余計に罪悪感が増してしまう。
「いいのかな……土方さんにあんなにお世話になってたのに、」
 僕が深い溜息を吐くと、前を歩いていた神楽ちゃんが静かに振り向いた。
「……新八は、どうしたいアルか?」
「どうって、」
 正直わからない。何が一番銀さんの為になるのだろう。
隠していることを聞きたい気持ちはあっても相変わらず本人は飄々として何を考えているのかもわからない。
(……もし銀さんが相手の事を話してくれてたら、僕はどうしたのかな、)
 答えの出ない問いを乾いた空気にそっと浮かべる。
 責める相手がいないから、持て余した想いをどこかに向かわせたいだけなのかもしれない。
(だって、もし、何かあったら、)
 本当にこのままでいいのだろうか。無事で済んだ例はない、と沖田さんは言った。口を割らせる為に法螺を吹いたのだと思いたかったけれど、万が一のことがあったらと考えずにはいられない。
 何年も時間をかけて出産の為に体の準備をしている女性とは違う。急激に理を捻じ曲げられた体では、その負担は比にならないだろう。
 湧き上がる不安が渦を巻いて足元から引き摺り込まれていく。何かを護る為には平気で己の全てを懸ける人だ。いくら忠告したところで無駄だということも痛いほどわかっている。
 銀さんとその相手の人の関係は一時的だったのかもしれない。けれど、きっと、
(……僕らに言わないのは、その人を護りたいからだ、)
 本気なのではないか。今でも。

「神楽ちゃん、やっぱり僕、」
 だったらもう、土方さんに打ち明けて銀さんの相手を探す手伝いをしてもらった方がいいのではないか。そう言いかけると同時に背後から馴染んだ声が響いた。
「お〜、何だお前らまた来たのかよ」
「銀ちゃん!」
 施設の中庭からひょっこり顔を出しながら銀さんが手を振っている。タイミングを失って、僕も曖昧に笑い返した。
「坂田さん、もう教室始まりますよ。行きましょう」
 銀さんの隣でお房さんが時計を指差す。そして僕らに気付いてまた嬉しそうに笑った。
「二人も来る? 赤ちゃんのお世話するでしょ?」
「何アルか?」
「今日は抱っこの仕方とかオムツの変え方とか赤ちゃんに食べさせちゃいけない物とか勉強するの。二人も知ってた方がいいわよ」
「面白そうネ。新八も行くアル!」
「う、うん、僕らもいいのかな」
 教室へ向かう背中をじっと見つめた。後から見てもわからない。けれど時折腹を擦る姿にざわざわと胸が騒いでしまう。


「まず赤ちゃんの両手を体の真ん中に集めて、肩から頭の下に右手を入れてください、そっとですよ」
「頭を持ち上げたら腕を差し込んで、肘を赤ちゃんの頭と首に当てて、手はお尻を支えるように……そう、いいですね。そしたら左腕を膝の裏に入れて、そのままゆっくり体を起こしていきます。うん、坂田さん、お上手ね」
「は、はあ、どーも、」
 目の前で戸惑いながらも真剣に赤ん坊に見立てた人形を扱う姿を見つめた。不思議だ。人形だとわかっているのに、壊れ物を扱うような優しい仕草を見ていると、思わず本物ではないかと錯覚してしまう。
「やっぱり銀子さんは手が大きいから安定するわね」
「赤ちゃんも安心ね、うらやましいわ」
「そうよ、自信持ってね」
「ど、どうも、」
 同じように教室に参加した妊婦たちが和気藹々と銀さんを取り囲む。明らかに不自然な格好をしているにも関わらず、ここでは銀さんの性別を疑う人は誰もいない。
 それどころかDV被害を受けたという嘘事情に同情して、少しでもトラウマを癒してあげたい、と皆こうして銀さんの存在を肯定する言葉をかけてくれる。絵に描いたような優しい世界だ。
 流れで頼ってしまったが、ここへ避難してきたことは正解だったと思う。あの日たまたまお房さんが万事屋に寄ってくれてよかった。
「銀さん、体調はどうなんですか? ちゃんと食べてます?」
 教室が終わると散歩がてら中庭を歩いた。今日はこの後検診があるのだと怠そうに零す姿にまた笑みが漏れる。見た限りでは落ち着いているようだった。
「おう最悪だぜ。胸は張るわ手足はむくむわ食欲はむしろ止んねェしよ。何か食べてねェと吐き気すんだよ」
「食べつわりってやつですかね。お登勢さんがフルーツとか色々持たせてくれましたよ。鉄分とカルシウムしっかりとって甘い物はほどほどにしろって。あと妊娠線予防のマッサージクリームと、シミ出来やすくなるから外に出る時は日焼け止め塗るの忘れないように、ですって」
「……野郎に何言ってんだあのババア」
「いいじゃないですか。心配してくれてるんですから」
 気まずいのか銀さんは頬を掻いて何だか落ち着かないように見えた。何となくむず痒い。
出産というものをこうして身近に感じるのは不思議な感じがした。世の中の親になる人たちは皆こんなに大変な想いをしているのかと改めて噛み締める。自分が此処に居るということは、命を懸けてくれた親が居るということだ。
 一人では、何もできない。
「っ、銀ちゃん隠れるアル!」
 横を歩いていた神楽ちゃんが何かに気付いて僕たちの腕を引いた。木陰に隠れながら、どうしたのかと問おうとして思わず言葉を呑み込む。注意深く周囲を見渡した瞬間、前方に見知った気配があった。
「こちらちょっと重いんでお持ちしますね。どちらに運びます?」
「助かります。ではB棟の事務室にお願いできますか?」
「はい、わかりました」
 出入り業者の作業着を着た男が黙々と納品作業をこなしている。その地味な様子は周囲に溶け込み過ぎて危うく見逃してしまいそうだった。
「な、何で山崎さんがこんなとこに、」
「もしかしてニコチンコの差し金アルか?」
「まさか、」
 万事屋で土方さんと別れてから此処まで尾行されている気配はなかった。もしされていたとしても、僕はともかく神楽ちゃんが気付かないとは思えない。ならば只の偶然なのだろうか。
「……僕、ちょっと確かめてきます。仮にもし山崎さんが僕らのことを探ってたとしても問題ないですよ。僕と神楽ちゃんはここでお房さんに紹介してもらった清掃のバイトをしてるってだけですし」
 神楽ちゃんに目配せしながら気持ちを落ち着ける。
大丈夫、今朝の土方さんの態度からして少なくとも銀さんが此処に居ることはまだバレていない筈だ。ならば居ないという事実を印象付ければいい。
「銀さんは部屋に戻ってください。これから検診ですよね?」
「お、おう。悪ィな」
「任せるアル!」
 顔が見えないように俯いて内股で建物に戻る姿を確認してから、そっと足を踏み出す。じわりと胸が熱くなった。
(……こんなこと、思っちゃいけないんだろうけど、)
 いつも人を護ってばかりの人を護れるのは嬉しかった。きっと神楽ちゃんも同じだろう。
 以前の銀さんだったなら、僕らにも何も言わずに姿を消してしまったかもしれない。
色々な葛藤があっただろうに、銀さんは相手のこと以外は僕らに包み隠さず打ち明けてくれた。助けが欲しいと手を伸ばしてくれた。それが、何よりも嬉しい。
(……僕らで護るんだ。きっと何があっても、)
 一緒に居れば、乗り越えられる。


「あれ? ひょっとして山崎さんじゃないですか?」
「こんなとこで何してるアルか、税金泥棒」
 頬を叩いて一度気合いを入れる。周囲に人が居なくなったことを確認して、後ろからそっと肩を叩いた。
「どうしたの二人ともこんなとこで」
 僕らの姿を見て驚く姿は演技なのか判断できない。平静を装って会話を続けた。
「僕らここで清掃のバイトしてるんですよ」
「そうなんだ。二人で? 旦那は?」
「銀ちゃんはマグロ漁船に乗せられたアル」
「そりゃまた大変だね……」
「山崎さんはどうしたんですか? 潜入捜査?」
 そう問いかけるとキャップを目深に被り、山崎さんは声を潜めた。
「前にさ、橋田屋の旦那が用心棒に攘夷浪士集めてただろ? 万事屋の旦那も本社のビルで岡田似蔵とやり合ったことがあるって聞いたからね、橋田屋関連の施設はたまにこうやって様子をチェックしにきてるんだ」
「そうなんですか」
「今はもう物騒な動きはないから、ほぼ疑いは無いけど、念の為ね」
 いつになく真剣な顔で語る様子に、この人も警察なんだなあと改めて感じてしまう。できるなら、犯罪は起こる前に止められるのが一番良い。起きてしまった犯罪を取り締まる他に、こうして未然に防いでいる事も沢山あるのだろう。
「念の為ついでに似蔵の時のこと聞いておいてもいいかな? 今更それで誰かをしょっ引いたりはしないからさ」
「それなら……別に構わないですけど」
「なら情報料に酢昆布上納するヨロシ」
「それくらいならいいよ。仕事は大丈夫?」
「あ、僕らもう上がったんで大丈夫です。行きましょうか」
 このままこの施設に居るよりは場所を移動した方がいいだろう。僕らが作業着を着ていない言い訳にもなる。
 万事屋へ帰る道すがら話しましょう、と提案すると、山崎さんは特に疑問も持たずに応じてくれた。やはり此処で出会ったのは只の偶然だったのだろうか。会話でも銀さんの居場所については一切聞かれることもなく、ほんの少し肩透かしを食らった気分だった。
「それじゃあ僕らはここで失礼します」
「うん、それじゃまた」
「また酢昆布持ってこいヨ〜」
 袋一杯に買わせた酢昆布に少し罪悪感を抱きながら、万事屋の前で山崎さんと別れる。取り越し苦労だったかと胸を撫で下ろすと、神楽ちゃんがぴたりと動きを止めた。
「……おかしいアル」
「え、何が?」
「銀ちゃんのこと、探る気配なかったヨ」
 出てきた言葉は予想外のものだった。
「毎日毎日、マヨがウチに来てること知らない筈ないアル。しかも近所じゃ銀ちゃんがマグロ漁船に乗せられたって噂になってるネ。知らないフリしたとしか思えないアル」
「確かに……」
 言われてみればそうだ。毎朝上司が同じ時間に姿を消していたら不審に思うだろう。ましてや監察、土方さんが黙っていたとしても気にならないとは思えない。しかも万事屋には沖田さんも一度探りに来ている。にも拘わらず、山崎さんは最初に二人かと尋ねただけで後は何も聞かなかった。
「そういえば橋田屋さんの潜入捜査についてもあっさり教えてくれたし、」
 疑いが少ないからとはいえ仮にも橋田屋に雇われている相手に対してあんなに簡単に目的を明かすだろうか。
「もしかして、」
「こっちを連れ出すのが目的だったアルか」
「まさか、いやでも一旦戻ろう」
 考えすぎだろうか。けれど、もし銀さんの事を探る必要がないとしたら。銀さんがあの施設に居ることを既に知っていたら。銀さんを一人にすることが目的だとしたら──。
(いや、大丈夫。いくら警察でも部屋まではそう簡単に入れない筈だ、)
 そもそも今、銀さんは検診中だ。僕らがその前に着けば何の問題もない。
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