Dear Rosy Glow


【十二】


日当たりの良い南向きのワンルーム。一口コンロのミニキッチンと二ドアの冷蔵庫。ビジネスホテルのようなシンプルな家具。バストイレは別で、同じフロアにはコインランドリーもある。充分過ぎるくらいだ。
「地下にスーパーとドラッグストアも入ってますし、セキュリティも安心です。こちらのエレベーターはカードキーに紐づいてますので他のフロアには止まりません」
「二階の多目的ホールもお好きな時にご利用下さい。ママさん教室やマタニティヨガなんかもやってますよ。これ、教室のスケジュール置いときますね」
「へ〜、至れり尽くせりだ……ですね」
「何から何まですまないね、世話になるよ」
「いえ、とんでもない! 私が今も勘七郎と一緒に暮らせているのは万事屋さんたちのおかげです。旦那様もくれぐれもよろしくと仰ってますので、何か不自由なことがあったら遠慮なく言ってください!」
施設の案内をしながらてきぱきと動く姿は以前と変わっていない。差し出されたカードキーを受け取ると、彼女、お房はじっと俺の顔を見つめてきた。
「それにしても本当に万事屋さんそっくりですね、体格まで、」
思わず視線を外してしまうと、隣から咳払いが聞こえてきた。
「男みたい、かい?」
「あっ、いえ、そういう訳じゃ」
「不憫なことだよ……この子はね、銀時のいとこなんだけど女だてらに腕が立つって昔攘夷戦争に駆り出されてねえ。ドーピング紛いの怪しい薬を投与されて筋肉が異様に発達してこんな体に……」
ワザとらしく目頭を押さえてお登勢が辛そうに顔を伏せる。
「そうだったんですか……」
「しかもやっと人並みの幸せ掴めると思ったら相手がとんだDV野郎でね、このままじゃあ腹の子もろとも殺されちまうって命からがらウチに逃げてきたんだよ」
「そんな……なんて酷い」
目にうっすらと涙を浮かべるお房の姿にぐさりと良心が痛む。そして勝手に土方をDV野郎にしてしまったことにも心で詫びた。
思わず視線を逸らして俯いていると、お房は元気づけるように俺の手を両手でしっかりと握り込んだ。
「銀子さん、大丈夫ですよ。ここはそういった被害を受けた方のシェルターなんです。ここへ来たからにはもう安心ですから! これからは元気な赤ちゃんを産むこととご自身の幸せを第一に考えてくださいね」
「……あ、アリガトウゴザイマス、」
「ここでは万事屋の皆さんと先程登録された銀子さんの主治医の方しか入れないようになってますし、銀子さんの情報も外には決して漏らしません。何かあっても橋田屋記念病院で対応できますので何も心配いりませんよ」
笑顔でそう言うと深々と頭を下げて、お房が部屋を後にする。ドアが閉まり、気配が遠ざかると同時に二人深い息を吐いた。
「あの橋田屋の旦那がこんな施設立ち上げるまでに変わるとはねえ。すっかり孫馬鹿になったみたいで安心したよ」
「……そうだな。何か嘘吐いてんのが申し訳ねえけど」
「アンタの妊娠が公になりゃ騒ぎになるのは目に見えてんだから、あながち嘘でもないよ。それじゃあ私は戻るからね」
「おお、悪ィなババア」
「銀時、」
ひらひらと手を振りながら見送ろうとすると、開いたままのドアの前でお登勢がピタリと止まった。こちらを振り向かないまま、再び溜息が静かに部屋の中に響く。
「いいのかい、黙ったままで」
「何が」
「……墓まで持ってくつもりなら、その墓暴かれることも覚悟しときな。相手がアンタを恨むような奴じゃないなら余計にね」
返答を期待していない、ひとり言のような呟きが揺れて落ちる。
「ったく……似た奴ばっかりだよ。いつの時代も、」
その言葉が何を指すのか問い返す余裕もなかった。あの医者といい、どうしてこう年寄りは敏いのだろうか。
俺が黙ったままでいると、ドアが静かに閉まり、足音も段々と離れていく。
(……土方、)
今だけだ。きっとお前も俺も、お互いが居ない生活に慣れていく。そうしたら、すぐに楽になる。あの時俺はお前が居なくなることを覚悟した。
時は変わらず過ぎていく。『当たり前』になりさえすれば、それ以上何も傷つかない。

安定期へ向かって少し膨らみを持ってきた腹を励ますように撫でた。
「ったく、お前もとんでもないトコに来ちまったもんだな。生まれる前からハードモードで悪ィなァ、」
子は親を選べない。だったらせめて、後悔だけは絶対にしない。
「でもまあ、うるせえのが周りにいっぱいいるからよ。退屈だけはさせねェから、」
必ず、護るから。




「いない?」
咥えていた煙草を思わず落としそうになってしまった。最後に会ってから二週間、連絡はなかったものの一目でも姿が見られればいいと呼び鈴を押した。
不在であるかもしれないとある程度予想していたが、続く少女の言葉は意外なものだった。
「家賃たまりにたまってついにマグロ漁船に乗せられたアル。当分帰ってこないネ」
「マグロっていうか遠洋漁業というか……まあそういうことなんです。たぶん半年くらいかかると思います」
「半年?」
告げられた事実にを受けて、消そうとしていた煙草が今度は携帯灰皿ごと落ちていく。確かに次の依頼は大型だと言っていた。だが、それはあまりにも、
「そ、それじゃあ僕らも今から別の依頼が入ってるので失礼しますね」
詳しく聞こうとしたが、取りつく島もなく二人は背を向けてそそくさと家を出て行ってしまう。俺は閉ざされた玄関の前に一人立ち尽くしたまま、混乱することしかできなかった。
(……どういうことだ、)
いくら家賃の支払いが滞っているからといって、病み上がりにそんな過酷な現場に行かせるだろうか。しかもここは只の大家と店子の関係ではない。家族と言っても過言ではないだろう。
万一、銀時が進んでその依頼を受けたとしても、子供たちがあんな状態だったアイツを知っていて向かわせるとは思えない。
碌に食事もできない日が続いていた。最後に会った時はもう大丈夫だと言っていたが、それもあくまで酷い時に比べたらの話だ。体力勝負の漁なんて自殺行為に等しい。
ならば、嘘を吐いている? 何の為に?
言いようのない不安が腹の底から湧き上がってくる。
(いや、落ち着け、)
無駄に疑っても意味はない。伝えられた言葉が信じられないのなら、まずはそれが嘘だと証明しなければ先には進まないのだ。
両手で頬を叩き、拳を握り締めて万事屋を後にする。
無事であればそれでいい。その確証が欲しかった。



「副長〜! 言われたデータ取り寄せました。もうウィルススキャンは済んでます」
「ああ、悪いな」
差し出されたメモリーを受け取りパソコンを開く。視線で退出を促すと、山崎は何か言いたげに顔を上げた。
「何だ」
「調べ物でしたら俺がやりますよ。その為の監察なんですし」
純粋に職務を全うしようという真面目な視線に思わず良心が痛む。私的な出来事にデータを横流ししただけでもアウトだというのに、これで監察まで使ったら切腹もいいところだ。
「いや、悪ィ。個人的なことだ、」
「そうなんですか。まあでもどこで何が繋がってるかなんてわかりませんもんね。何かあったら動きますんで言ってください」
「ああ」
「じゃあ、失礼します」
こういう時に限ってやる気を見せてくるものだから質が悪い。普段からサボらず真面目に励んでくれればと嘆きたいような気持ちで退出する背中を見送った。
仕事に支障が出てはならない。オフである今日の内にある程度詰めておきたかった。
画面を食い入るように見つめ、並んだリストを検索する。
銀時と最後に会ってから二週間、その間に江戸を出港した船の船員名簿だ。もし本当に乗っているのならば名前を変えて潜り込んだ可能性もあるが、ひとまず坂田銀時という名があるかを確かめねばならない。幸いにもこの二週間のうちに届出のない不審船は確認されていなかった。
そして彼らの指す『遠洋漁業』が海だとも限らない。同時期にターミナルから出国した人物のデータも調べていく。こちらはゲート通過の際、監視カメラの映像も残っている。
(……正直、これを調べたところで居場所がわかる訳でもねェが、)
もしこの中に確認できたらどうするのか。子供たちを問い質したところで、大人しく答えるとは思えない。それが銀時の希望なら尚更だ。
俺の事が嫌で逃げたのではないか。一方通行ではないと思っていたのは自分だけだったのではないか。
気を抜けば溜息を吐いてしまいそうになる。
何も言わずに消えたということは、つまりそういうことなのだろう。それでも追うのは只のエゴだ。未練がましく生にしがみついて、惨めったらしく足搔き続けると決めた。お前の明確な否定の意志を確認できない限り、足を止める理由は何処にも無い。
噛み締めていた唇を潤す為、卓上の湯呑に手を伸ばす。
だが、一口含んだ瞬間、反射的に噴き出した。
「からっ! んだこれ! さては総悟か!」
舌と喉を突き刺すような辛みに悶絶する。匂いが無かったせいで全く気付かなかった。毒ではないだろうが、また妙な物を手に入れて試したかったのだろう。
「総悟はどこだ!」
「は、はいいぃ、」
只でさえ苛立っているところを刺激されて、常に切れっぱなしの堪忍袋の緒はもはや木っ端微塵だ。
通りすがりの隊士の胸倉を掴んで怒鳴り付けると、彼は青い顔をして食堂を指差した。
「なんかキッチン借りるって言ってましたけど、」
「何?」
まだ何か企んでいるのかと食堂へひた走る。ついでに何か飲み物を手に入れて、口に残る辛味を流してしまいたい。
「総悟!」
勢いよく扉を開けると、何やら香ばしい匂いが広がっていた。
「おや、土方さんじゃねェですか、腹でも減ったんで?」
「てっめェ、……何してんだ」
沖田の手元には煮え滾る鍋の他に、火にかけたフライパン、傍らにはまな板や包丁が散乱している。
「見りゃわかるでしょうや。料理に決まってらァ」
こっちがスープ、こっちがソテー、これはスライス。
続く言葉につられて視線を追うが、どれもこれも同じ材料で作っているようだった。
「何だ、茸か?」
「ちょっと珍しいもんが手に入りやしてね。試してみてェなァ、と」
まるで黒魔術を使っているかのようにおどろおどろしい笑みを浮かべて沖田が鍋をかき回す。嫌な予感に寒気を感じつつも、ふと既視感を覚えてまな板を覗き込んだ。
「……見覚えあんな」
「この前検疫で持ち込んでた奴いやしたからねェ」
「ああ、アレか」
検疫、という言葉にすぐに記憶を巻き戻す。天人が娘への土産だと言って押し通そうとしていた物だ。不妊治療に効果がある、と。
「そんなもんどうすんだ。まさか食うのかよ」
思わず顔を顰めてしまうのは『他の星では男性も妊娠した』という言葉を思い出したせいだ。ましてこの腹黒が純粋に食を楽しむ為に態々調理までするだろうかと疑ってしまう。案の定、沖田は心底楽しそうに笑みを深くした。
「男が、なんて言われちゃ俺も気になりやしてね。皆に食わせて愛染香でも焚いてやろうかと」
「オィィ止めろォォォ!!」
「特に神山あたりを重点的に」
「悪魔かテメー! マジで洒落にならねェ!」
「まあそれは冗談として。高級食材ですぜ、普通に楽しみましょうや。食ったって此処にそういう趣味の奴は居ねェんだから問題ねェでしょ」
「いやだから神山はヤベェだろ」
相変わらずの飄々とした態度は、冗談なのか本気なのか全く判断がつかない。暫くは外で食事を取ろうと心に決めて溜息を吐いた。
「ったく、にしてもどうやって手に入れたんだソレ、希少なんだろ?」
まさか違法に押収したのではないかと疑いの目を向けると、沖田は心外だと言わんばかりに肩を竦めた。
「ちゃんと正規のルートでさァ。この茸の地球への流通ルートは快援隊商事が握ってるんでね。問い合わせて万事屋の関係者だって言ったら融通してくれやした」
「……万事屋だと?」
唐突に発せられた人物の名に胸がざわめく。何故今その名が出てくるのか。
「快援隊の頭、坂本辰馬。攘夷四天王の一人で今は商人。旦那と繋がってんのは土方さんも知ってるでしょうや」
「ああ、それは、」
「面白い物と見りゃ毎度毎度妙なもん宇宙から送りつけてきて困るって前に旦那が零してたんでさァ。案の定コレも万事屋にも送ってたみてェですぜ」
茸を指差し、少し考えるようにしてから沖田が俺を見る。
「旦那、屯所でゲーゲーしてたから俺はてっきりつわりかとだと思ったんですがねェ」
「何を馬鹿な事……」
言いかけて動きを止める。まさか、そんな筈は無い。
「まあ本人に聞いたら違うって言ってやしたんで」
「……そうか、」
否定しているのならそれ以上気にする必要はないのだろう。沖田にもそれ以上怪しんでいる様子はない。それでも胸のざわつきが治まることはなかった。
そもそも銀時は一体何の病気だったのか。
『てめェには関係ねえって言っただろうが』
あの時、頑なな拒絶には恐れの色すら見えた。
俺が送迎を初めてから二か月あまり、週に一度以上の検診。その前から随分通院していたようだが手術等の予定はない。何か服薬している様子も無い。一度薬を持って戻ってきた時も手にしていたのは漢方だった。
俺が入院している間に何かあって、経過観察中だったのだろうか。ならば漁船に乗ったのではなく、容体が悪化して入院したのではないだろうか。
『ショックだったよ。てめェが居なくたって朝は来るし腹は減る。そうやってまた、その内馴れてく。生きてけるんだ、俺は、』
『てめェが心配することなんて何もねえんだよ』
大人しく抱かれたのは、別れを決意したから――最後のつもりだったのではないか。
「土方さん? どうかしやしたか?」
「あ、いや何でもねェ」
反撃に来た筈の俺が黙り込んだのを不審に思ったのか、沖田が不思議そうに首を傾げた。
「……ほどほどにしとけよ。俺ァ調べもんがあるから戻る、」
「へいへい、邪魔しねェでくだせえよ」
余裕などない。辛い茶を仕込まれた事など、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

「……こりゃあ本当にまさかが現実になったのかも、なんてねェ」
沖田が楽しげにフライパンを揺する。そんな呟きがキッチンを踊っていたことにも気付くことはなかった。
inserted by FC2 system