Dear Rosy Glow


【十一】



もしかして、なんて考えてみても意味がないことがほとんどだ。それでも思わずにはいられない。
「あの、銀さん、」
「何だよ」
「……いえ、何でもないです」
上手い切り出し方が見つからずに口を閉ざす。気まずい。気まず過ぎる。もにょもにょと口を動かしても結局呑み込むことしかできやしない。
もしかして、とソファーに寝転びながらテレビに見入っている神楽ちゃんに視線を送る。だが今のところ彼女は僕に気付きそうにない。
聞きたい。銀さんに聞けないのならせめて神楽ちゃんに言いたい。もしかして僕と同じ疑惑を抱いているのではないだろうか。ああまたもしかして、だ。意味がない。一言聞けさえすればすっきり解明するかもしれないのに。
細く長く息を吐いてから、頭の中に浮かぶ文字に消しゴムをかける。その文字は端から消していっても、全て消した頃には再び反対側から炙り文字のように浮き上がってくるのだ。

もしかして、相手って土方さんなんじゃないですか?

(……いや聞いたところで銀さんが否定したらそれまでだけど、)
怠そうに社長椅子に座る姿をちらりと一瞥する。犬猿の仲。全く思いつきもしなかった可能性がここへきて湧いてくるとは世の中って奴は本当によくわからない。
銀さんが団子屋で倒れた日、土方さんから電話がきた。見廻り中に偶然居合わせたから病院へ連れていった、診察が済んだら送る、と。そしてまた病院へ行くことがあれば送迎する、とも。
僕らはあの時、少し言い合いになったせいで病院へ行こうとする銀さんに付き添えなかった。そんな時に限ってこんなことになるなんて。湧き上がる後悔と、土方さんが付き添ってくれたことに対する安堵が押し寄せて、そこに疑問を介在させる余裕は無かった。電話口で告げられた時はさすがフォロ方さんだとありがたく思う気持ちでいっぱいだった。
帰ってきた銀さんのけろりとした様子に只々ホッとしていたが、こうして時間が経つにつれてじわじわと疑問が芽生えてくる。
(だからって、これから先の送迎までしてくれるなんて、)
銀さん曰く喧嘩の最中に具合が悪くなり、周囲の目もあって土方さんが送ってくれた、とのことだった。確かにいくら仲が悪くても目の前で倒れた一般人を放置したとあれば、只でさえ良いとは言えない真選組の印象はさらに落ちるだろう。それはまだ理解できるけれども。
『なんかテメーのせいだってグダグダ文句言ってたら逆ギレしてよ。だったら送ってってやるって啖呵切りやがったんだよ』
(……う〜ん、本当かなあ?)
さすがにそれはお節介が過ぎるのではないか。怪しい。だいたい事情も知らない相手にそんな近くに居られたら銀さんの体のことがバレてしまう可能性が格段に上がる。今はまだ良くとも腹が目立ってきたらどう誤魔化すつもりなんだろうか。
『それまでには止めさせるつもりだけどよ。売り言葉に買い言葉でアイツ今は聞かねえから』
だったら、何で最初から無理にでも断らないんだろう。土方さんが聞かないのはなんでだろう。意地の張り合い以外にも理由があるのではないか。
(まあでも、さすがに土方さんが相手ってのは無理があるか、)
二人の会話や態度に変化はない。土方さんが何かを知っているようには思えない。もし知っていて銀さんのお相手本人だったら僕らやお登勢さんに何も言わないということはないだろう。そういう義理はきちんとする人だと思う。ましてや彼はあの頃ほぼ瀕死だったのだ。
(……じゃあ何でここまでしてくれるんだろ?)
ぐるぐると考えていると、間延びしたインターホンの音が玄関から響いた。
「あ、はーい開いてますよ〜」
カレンダーに目をやってから玄関へと急ぐ。玄関越しに見える予想通りの黒いシルエットを確認して戸を開いた。
「……よぉ、準備できてるか」
「あっ、はい。銀さーん、土方さん来ましたよ!」
「お〜今行く」
迎えに来る時の土方さんは隊服を着ていない。わざわざ休みを取ってきているのだろう。黒い着流しに身を包んでいて、いつものように煙草の匂いがすることもなかった。病人の前で吸うのは気が咎めるのか、そういう気遣いをしてくれる人でよかった。
「すみません土方さん、いつもありがとうございます」
「いや、こっちが言い出したことだからよ」
「それなんですけど、何で、ここまでしてくれるんですか」
探るように言葉を選びながら、表情を窺う。土方さんはゆっくりと押し出すように息を吐いて、真っ直ぐ僕へと向き直った。
「……テメーらが馬鹿やってねェと調子狂うんだよ」
「土方さん、」
少し呆れたような顔をしながら浮かべる笑み。響く声は優しい。
「おー待たせた、行くか〜」
もう少し聞いてもいいかと口を開きかけた瞬間、銀さんののんびりした声が邪魔をする。タイミングの悪さに溜息を吐いて頭を振った。
「じゃあ気をつけて、土方さんよろしくお願いします」
「おう」
「お〜いってくらぁ」
二人の背中を見送りながら、ついでだと土間用の箒を取り出す。掃除をしていると考えも整理できそうな気がしてくるのだ。
「はぁ〜どうしたもんかなあ、」
「何がアルか?」
「わ!神楽ちゃん!気配消さないで」
ひとり言のつもりだったのに返事をされて、思わずその場に飛び上がる。振り向くといつの間にか神楽ちゃんが傍で酢昆布を齧っていた。
「で、どうしたネ?」
「いや、いっそのこと土方さんに銀さんの体のこと言った方がいいんじゃないかって思ってさ」
さっきの会話から考えると、やはり土方さんが銀さんの妊娠を知っているとは思えない。このまま神経を遣って隠しながらボロを出すより予め打ち明けた方がいいのではないか。そんな旨を続けると意外にも神楽ちゃんは顔を顰めた。
「なんだかんだ心配なんだよ。お医者さんの腕は信用してるけど、あの小さい病院じゃ対応しきれない可能性だってあるだろうし、土方さん色々伝手がありそうだから相談に乗ってもらえると思うんだけど」
「……あんまり気が進まないアル」
「僕は土方さんなら秘密にしてくれると思うよ」
てっきりバレて騒ぎになることを心配しているのだと思ってそう続けると、神楽ちゃんはゆっくりと首を振った。そして、僕が思いもしなかったことを口にした。
「そうじゃなくて、惚れた相手の妊娠知るなんて酷アル」
「……は?」
「トッシー前から銀ちゃんに惚れてるネ」
「はああああ?」
それはちょっと、拗らせすぎではないか。



言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるだろう。惚れているからといって全てが知りたいとは思わない。そもそも互いが別の人間である以上全てを知ることなど不可能だ。無理矢理暴いたところで所詮知った気になっているだけに過ぎないだろう。
それでも毎回座席に座った途端に眠り始める姿にふと溜息が漏れた。どうにか送り迎えの約束を取り付けたものの、銀時はそれからずっとこうだ。
「着いたぞ」
「……ん、」
拒絶されている訳ではない、と思う。手を握れば躊躇いながらも握り返す。唇を寄せれば静かに瞳を閉じる。受け入れてくれていることに安堵する一方で、もどかしさに胸をかきむしりたくなってしまう。何も言わないのは俺が諦めるのを待っているということだろうか。
本心は言葉にしなければ何も伝わらない。わかっていても問い詰めることはできなかった。
『そういや、新八から聞いてたんだろ?』
『何をだ』
『こないだ本屋の前で会ったって聞いた。俺が胃腸の調子悪いって言ったって。何だよ、お前知ってたんじゃねェか』
少し気まずそうにして銀時が呟く。
『不摂生バカにされると思って黙ってたのによ。とりあえず今受けてる検査に異常なければもう通院も終わるから別に心配いらねェんだよ』
『本当か』
『こんな面倒臭ェ嘘吐く理由ねえだろ。なんなら別に医者に聞いてもらっても構わねえよ』
『……わかった。ならそれまで送る』
『おう』
体の状態について会話をしたのはこれだけだ。
事実なのかそれともこれ以上探られないように先手を打ってきたのか。表情からは何も窺い知ることはできない。ただ一つ確かなことは、この男は何かを護る為にしか嘘を吐かないということだけだ。
「悪ィ、待った?」
診察から戻ってきた銀時に窓ガラスをノックされて我に返る。窓を開きながらロックを外すと助手席のドアが開いた。もう終わったのだろうか。考え込んでいるとすぐに時間が経ってしまう。
「終わったら連絡するって言ってんじゃねえか。待ってなくていいのに」
「うるせーこっちの勝手だろ」
乗り込もうとする手を引いて頬に唇を寄せる。バーカ、と悪態を吐きながらも銀時は俺の腕からは逃れようとはしない。目の奥と喉に熱が込み上げて、溢れてしまいそうになる。何を考えているのかと問い質したい。好きだ、大事にしたい、こんなに近くに居るのに遠くて堪らない。高まる鼓動が震える喉を塞いで声を奪ってしまう。
「ウチで、飯食ってく?今日夜新八も神楽も居ねえから、」
「……いいのか、」
「おう、さっき検査結果聞いてよ。異常なしで今日で病院終わりだって。世話かけたな」
労わるように背中を撫でられて息が詰まる。また一つ言葉が溶けた。
「もう大丈夫だって。仕事も普通にできるし。丁度来週から大型の依頼入ってんだよ。サボった分稼がねえとな。しばらく大忙し」
「いきなり大丈夫なのか」
「おう、もう先週くらいから全快だったしな」
指の背で頬を撫でながら、まじまじと表情を確認する。確かに倒れた頃と比べると血色も随分と良くなった。眼鏡の少年から食欲も戻っていると聞いている。本当に大丈夫なのだろうか。
促されて車を進める。振動で眠くなるのか、銀時は再び瞼を閉じてシートに身を預けていた。単に寝汚いのかもしれない。昼寝がしたいと呟きながら目を擦っているのには溜息を吐きたくなる。それなのに。
体の心配はいらないと聞いて、本来なら安心する場面の筈だ。なのに何か悪い予感のように焦燥が消えない。不安に掻き立てられながら、万事屋の玄関を開けて靴を脱ぐ間もなく目の前の体を抱き締めた。
応えるように抱き返されて、また体の中の水が揺れる。自分でもどうしたらいいのかわからない。互いを繋ぐ言葉を音にしたいのに、口にした途端に心臓をもがれてしまいそうだった。
「……また、こんな風になるなんてな、」
右手で俺の髪を撫で付けながら銀時が静かに笑った。どこか、自嘲気味にも見えた。
「神なんて信じちゃいねえし、祈りもしなかったけどよ。今までだってそうだった」
玄関の磨りガラス越しの夕陽が銀色の髪を紅く染める。
「ショックだったよ。てめェが居なくたって朝は来るし腹は減る。そうやってまた、その内馴れてく。生きてけるんだ、俺は、」
「……万事屋、」
「てめェが心配することなんて何もねえんだよ」
少しずつ陽が落ちるにつれて、揺らめく瞳が翳る。今まで何度そうしてきたのだろうか。返そうとする言葉はどれも陳腐で上滑りするような気がして、只々抱き締める腕に力を込めた。何度も重ねた悲しみの色は油絵のように乾いて盛り上がっていく。
「……銀時、」
そこにまた、今度は俺が新しい色をつけてしまった。
「ちゃんと抱いてもいいか、」
絞り出すように掠れた声で告げると、銀時がまた笑った。
「……お前、あったけえな」
体温を確かめるように、色を重ねて。

ゆっくり、殊更ゆっくりと肌を重ねた。
以前初めて触れた時のことは無我夢中で正直ほとんど覚えていない。もう終わりなのだと自分の気持ちを押し付けて傷つけてしまったことは確かだ。けれど、今は違う。これから始まるのだと、そう信じていた。
「くすぐってえな、」
肌に指を滑らせるだけで跳ねる体が愛しくて、首筋から指先に至るまで舌を這わせた。もどかしそうに揺れる腰に己の欲を押し付けて煽ると、熱を持った吐息が頬を擽る。
「……悪ィ、」
「何が?」
「この前、痛かっただろ、」
腕を引いて抱き起こし、絡まる着流しを剥ぎながら鎖骨を吸い上げた。押し殺した喘ぎ声が濡れた空気に溶けて湿度が増す。黒いインナーの上から指を立てて肌を擽る。すると、伸ばされた両腕が俺の背中に回った。
「……俺、あんま覚えてねえから……今、しろよ、」
そのまま引き寄せられて唇を擦り合わせる。空腹の雛のように何度も啄み合ってから、そっと舌を伸ばす。ぬるりと粘膜が触れた瞬間、ビリビリと電流に撃たれたようだった。どこか夢だと思っていたあの日が現実だったのだと今更ながらに自覚する。
「っ、銀時、」
「……っ、あ、」
すまない、と言いかけた言葉を寸でで呑み込む。謝りたかった。あの時この男は明らかに初めてだったのに、気遣えなかったこと。決して明かさないと誓った想いを告げてしまったこと。そして、ひとり、置いていこうとしたこと。
着物の袷を開いてファスナーを下げる。露わになった肌に指を這わせながら、浅く上下する胸元に耳を押し当てた。激しく響く鼓動は一体どちらのものなのかわからない。銀時も同じように思っているのだろうか。俺の背を抱いていた手が前に回り、心臓の辺りを掠めた。顔を上げると、今にも潤んだ瞳が安心したように弛んで目尻が下がる。よかった、と声にならない言葉が空気に溶けた。
「銀時、」
「ん……」
きっとこの先もお互い同じようなことが起こる。例えお前が居なくなっても、俺にも朝は来るのだろう。お前が居なくても変わらない日々を過ごして、剣を振るうのだろう。胸に穴が開いたままでも呼吸ができることを呪いながら。
「……てめェに、何か残せねえかと思った、あん時、」
「なに、」
「んなこと無理に決まってんのにな。でなきゃ全部消し去ってやりてえ、とも思った。女々しいったらねェよ」
自分の居ない世界でお前が誰かのものになるなんて認めたくない。俺が消える時は、お前の時間を出会う前まで戻して欲しい。そうしたらその幸せだけを願って安心して消えていけるのに。
「……ひじかた、」
掠れた声が俺を呼ぶ。何かに耐えるようにもう一度俺の名を呼ぶと、同時にその眦から涙が一筋零れ落ちた。
「いらねえ……俺は、これ以上は、もう、」
頬を拭って再び口付ける。薄く開いた唇から差し出された舌に唾液を絡ませながら、扱くようにして吸い上げるとまた腰が跳ねる。下着を取り払って熱に触れると、先端が悦ぶように濡れた。堪らず自分の欲を同じように擦り付ける。
「っ、あぁ、っ……ん、」
「銀時、」
伸ばされた手を掴んで重ねた欲望へと導く。すると一度触れたら箍が外れたのか、銀時はそれを掴み、陶然としながらゆるゆると扱き出した。
「あっ、……や、いい、いい、」
「気持ちいい?」
「っ、いい……んっ、お前も、して、」
快感に耐えるようにシーツを掻いていた爪先が俺の腰に巻き付けられる。ローションを纏わせた指で後ろを探れば、また甘やかな喘ぎ声が漏れた。粘着質な水音が響いて、部屋の湿度が増していく。急かすように締め付けながら耳朶を食まれ、欲しい欲しいとむずがる姿に眩暈がした。
「あっ、んん……すぐイキそ、」
「っ、俺も……いいか、」
「……ん、」
横向きに寝かせたまま、背中から抱き締めてぬかるんだそこにゆっくりと押し当てる。顔が見たかったが、銀時が頑なに拒否をするのでそうした。すぐには動かずに胸の尖りを苛めながら時折腰を揺らす。
「っ、あっ……あ、」
溶けそう、と熱を帯びた声が漏れて一層欲を煽る。乱暴に打ち付けたいのを堪えながら馴染ませるように腰をグラインドさせた。静かに時間をかけて愛したかった。このまま二人、溶けて一つになれればいいとさえ思った。
ぴんと張った爪先がもどかしげにシーツの波を捏ねる。それでも挿入したまま動かずに肌を辿れば喘ぎ声が啜り泣くように変わっていった。枕に縋ろうとする手を掴まえて指先を絡め合う。緩やかに中を穿つのに合わせて肌を擦ると、銀時は嫌だと言いながらどろりと欲を溢れさせた。
「っ、あ……ひじかた、いく、またいく、っ」
「……っ、」
じわじわと繋がりながら、儚い熱をもどかしく求め合う。誰にも見せなかった弱さを曝け出して、伸ばされた手を俺は掴めたのだろうか。互いの体温を確かめるような静かな交わりだった。欲を吐き出すよりも、ずっと一つに重なり合っていたかった。

「土方、」
離れがたくて燻る熱に微睡んでいると、銀時が絡めた手に頬を摺り寄せてきた。
「何だ?」
「ちょっと腹冷えたかも、擦ってくんねェ?」
背中から抱き締めたまま、そっと臍の辺りを手のひらで擦る。できるだけ優しく、丁寧に、と念を込めて。
「大丈夫か、」
「ああ、へーき、さんきゅ、」
触れ合う肌が温かい。俺は何も知らなかった。
わかり合えてたのだと思っていた。唐突な甘えの意味が別にあったなど思いもしなかった。銀時の旋毛に唇を押し当てながら、ずっとこの時間が続くことを祈っていた。
「……あったけえ、」
そう呟き、俺に背を向けて目を閉じている銀時の眦が再び滲んでいることなど知る由もなく。

銀時が万事屋から姿を消したのは、その一週間後のことだった。


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