アンテロスの涙 2



「違うんですって!だから僕らは!」
「そう言われても規則なんでね、」
「つべこべ言わずにさっさとトッシー出すヨロシ!」

 固く閉ざされた門の前で、子供が二人喚いている。通行人が振り返る程の大声に、門番は困ったように眉を下げた。
 このところ毎日だ。何でよりによって自分が番の時に来るのだろうか。土方の知り合いだという二人の言い分が本当だったとしても、素性の知れない人間を簡単に屯所に入れる訳にはいかない。どう言えば引き下がってくれるだろうか。突っ撥ねるのは簡単だが、子供を叩き出したとなれば外聞が悪い。
 ほとほと困り果てていると、少女が静かに俯きながら唸り声を上げた。気のせいでなければ指を鳴らして気合を入れているように見える。不穏な空気に眼鏡の少年が少女の肩を掴んだ。
「ちょ、神楽ちゃん!」
「離すネ!実力行使アル!」
「ええええ!」
 少女の纏う空気が瞬時に変化したのを悟って、男は思わず腰を引いた。次の瞬間には、気合を入れた拳が頬を掠めていく。間違いなく扉は破壊される。男がそう悟るのと同時に何者かが少女の腕を掴んだ。力が込められた拳は扉に到達する前に勢いを失って宙に留まる。
「何やってんだィ、」
 飄々とした声は男にとって救いの声のように響いた。
「お、沖田隊長!!」
「沖田さん!」
「こっのー!何で邪魔するアルか!」
 沖田は少女が次々と繰り出す攻撃をひらりひらりとかわしながら、風船ガムを膨らませている。
「コイツらは俺に任せな。報告は不要だぜィ、」
「は、はい!わかりました!」
 願っても無い沖田の申し出にホッと胸を撫で下ろす。見送る背中を初めて頼もしいと思いながら、男は襟を正して顔を上げた。これで安心して職務に戻れそうだ。



「どこまで行く気アルか!?」
 神楽の首根っこを掴んで引き摺ったまま、沖田は颯爽と足を進める。
 新八は神楽と同じ疑問を抱きながら後を追った。相変わらず沖田は無表情で、何を考えているのか読み取ることはできない。だが、いつもと同じ筈の横顔が静か過ぎるように感じて、新八は言葉を発することができなかった。神楽もそれを感じているのだろうか。文句を言いながらも、大人しく引き摺られたままでいる。
「…さてと、この辺でいいか。」
 川沿いにある寂れた駄菓子屋の軒先に腰を下ろし、漸く沖田が口を開く。
「屯所の前でギャーギャー騒がれて変な噂が立ったんじゃ、こっちも堪んねえや、」
「す、すみません、」
「それは日頃の行いが悪いからアル。」
「神楽ちゃん、」
 新八が窘めるように言うと、沖田はゆっくりと息を吐いた。少し疲れているように見えるのは気のせいだろうか。
「旦那のことだろィ?」
「はい、居なくなったって一体どういう状況だったんですか!?」
 冷たい空気が容赦無く駆け抜ける。乾燥した冷気は鋭いナイフのようだ。不自然な沈黙に息が詰まる。言葉を選べないまま新八が視線を泳がせていると、沖田は再び溜息を吐いた。
「…なるべく、」
 冗談を言って茶化すようないつもの雰囲気は無い。不安で高まる鼓動を抑えながら、新八は息を呑んだ。この人も真面目な顔ができるのかと感心すらしてしまいそうだった。
「なるべく、土方さんの耳には入れたくねェんでね、」
「え…?」
「下手なこと言えばテメーらも殺されるぜィ、」
 前を見据えて淡々と呟かれた言葉に、新八は目を見開いた。ここへ来て冗談は止めろと笑い飛ばすには重過ぎる言葉だ。
「どーいうことアルか?」
「何で…それに『テメーらも』って、」
 言い辛いのか勿体つけているのか、沖田はそれ以上なかなか口を開こうとしない。
 嫌がらせのように買ったアイスを二人に差し出し、自らは温かい肉まんを頬張っている。寒空の下で食べるアイスは拷問でしかなかったが、乾いた喉を潤す役目は果たしてくれた。
「まあそれはこっちの事情なんでおいといて、それと何が聞きてェんだ?」
 普段より幾分か柔らかい口調だったが、沖田の言葉はそれ以上の追求は聞かないことを示している。
 新八は少し逡巡した後、迷いながらも口を開いた。正面から乗り込んでも土方には会えなかった。ならば、沖田に会えたのは運が良かったのかもしれなかった。多少不安があるとはいえ、土方に近しい人物には違いない。
「土方さんは何も知らないんですか?それに、高杉が関わってるっていうのは本当なんですか?」
「どこでそれ聞いた?」
「やま……いえ、風の噂で、」
「チッ、あのミントン野郎が、」
 沖田は肉まんの残りを口に詰め込むと、さも忌々しいと言わんばかりに舌打ちする。その態度は同時に新八たちが得た情報が出鱈目ではないことを示していた。
「僕らが無理矢理聞いたんです。」
「聞かなかったら隠しとくつもりだったアルか!?」
 神楽が怒りを露にしながら沖田へと掴みかかる。
 ぴんと張り詰めた空気を保ったまま、沖田は反撃するでもなく静かに視線を落とした。
 悲鳴のような音を上げながら、木枯らしが突き抜ける。
「落ち着けよ。こっちだって何も考えてねえわけじゃねェ、」
「何をっ、」
「けど、今は動けねえんでさァ。」
「どういうことですか?」
 この人は何回同じ質問をさせる気なんだ。
 苛立ちが増大するのを抑えられず、新八もまた乱暴に吐き捨てた。すると、沖田は胸元を掴んでいた神楽の手を外して一つ大きく伸びをする。そうして沖田がコキコキと首を鳴らして、静かに立ち上がるのを新八は無言で見つめていた。そうすることしかできなかった。沖田がこの場に作り出した拒絶の空気が、新八にそれ以上の言葉を許さなかったのだ。
「…テメーらで、やるしかねえんだ。」
「沖田さん…?」
「情報を持ってるかはわからェが、万事屋に出入りしてて尚且つあの二人に詳しい不審者がいるっていうじゃねェか。」
「…まさか、」
 返された言葉に、胡散臭い長髪のシルエットが即座に頭の中に浮かぶ。
「でも、」
「心配しなくてもしょっ引いたりしねェ。俺も何だかんだで旦那には世話になってるんでね。今回は目に入っても見逃してやらァ、」
 思ってもみない言葉に桂への罠なのかと一瞬考えたが、沖田がそこまで必死に仕事に打ち込んでいるとは思えなかった。いや、そんな卑怯な真似をする人ではないと思いたいのかもしれない。
 沖田の言葉は、言い換えればそれ以外にできることが無いということを示していた。情報を持っていないかもしれない人物にしか手掛かりが無い。藁に縋るしか術が無い。そういうことだ。
「あの、」
 土方さんはどこまで知ってるんですか。
 言い掛けて、口を噤む。察したように、沖田が先に忠告を口にした。
「…くれぐれも、土方さんには気取られねェように。」
「なんで、」
「…そのうちわかりまさァ、」
 嫌な予感が背筋を競り上がっていく。ざわめく胸を抱えて戸惑いながら、新八は視線を彷徨わせた。
 同じように不安を感じているのだろう。神楽が自分の袖を握っているのが見える。
「じゃあ俺も別ルートから攻めてみるんで、何かわかったら連絡しろィ、」
 それ以上の反論を許さないというように、沖田は背を向けて歩き出す。
 後を追うように、冷えた空気が旋風を描いていた。



「…どういうことアルか。アイツ結局こっちの質問には何も答えなかったネ、」
「…うん、」
 重い足取りで万事屋へ帰る。玄関を開けても銀時の気配は無い。不安が地響きのように襲ってくる。振り払うように頭を振って、新八は大きく深呼吸した。
 駄目だ。不安になるな。弱気になるな。負の感情は必ず連鎖する。何処かで断ち切らなければならない。
「とにかく、僕らは僕らで銀さんを探すしかないよ。」
「腹立つアルな〜、」
 神楽は未だ沖田の姿を思い出しているのか、真選組がある方角を睨んでいる。
 当たり前のことだが、銀時が居ないのだから銀時を頼りにすることはできない。自分たちだけで何とかしなくてはならない。
 別れる前の銀時の姿を思い出して胸が痛む。あんな体で、体調も悪かったのに無事なのだろうか。一刻も早く助けなければ取り返しがつかなくなる。結局残された選択肢は沖田の言う通りに動くしかない。
「けど…どうやって桂さんと連絡取ればいいんだろ。あの人神出鬼没だしなあ、」
「ヅラに聞くまでもないアル!アイツら絶対何か知ってるヨ!吐かせればいいネ!」
「神楽ちゃん、だからね、」
「じゃなきゃマヨが銀ちゃん隠してるアル!役人なんてみんな隠蔽体質だって銀ちゃんも言ってたネ!」
「…そんなこと言ったって、」
 銀さん自体その役人にコロッといっちゃったわけだから。などとは言える筈も無く、やんわりと言葉を濁す。
(…それにしても、)
(何で土方さんに知らせちゃいけないんだろ。絶対おかしい。土方さんも当事者みたいなものじゃないか。)
 銀時が居なくなったことさえ、二人はすぐに知らせて貰えなかった。
 不安は疑念へ、疑念は不信へと着実に成長していってしまう。
「だから税金泥棒なんかに銀ちゃんは任せられないって言ったアル!こういう役人のトコなかれ主義が日本を腐らせてるネ!」
「事なかれ主義ね。」
「そうだぞリーダー、床でコトを起こすなど女子がはしたないことを言うものではない。だがまだ遅くはないぞ、この国が腐り果てる前に俺と共に立ち上がら、」
「「テメーは何でいんだァァァ!!」」
 いつの間にか入り込んだ侵入者に渾身の一撃をお見舞いしながら、二人は乱れた裾を叩いた。
「はっ、ついツッコミが!桂さん丁度良かった!探してたんですよ!」
「…完璧に伸びてるアル。おーい、ヅラー起きろー!」
 白目を剥いている桂を掴み上げ、神楽は次々と往復ビンタを食らわせている。
「ちょ、神楽ちゃん!待って待って!逆効果!」


「…そうか。真選組の小僧がそのようなことを、」
 腫れ上がった頬を物ともせず、桂が腕組をしたまま呟く。申し訳程度に茶を出し、新八は肩を竦めて向かい側に座った。神楽は足を組み、まるで銀時がするように鼻を穿っている。
「高杉の居場所について、何か心当たりありませんか?何でもいいんです。」
 銀時を女の体にして連れ去ることが目的なら、少なくとも直ぐに命を奪うということはないだろう。けれど、嫌な予感がする。焦燥に突き動かされて、新八は盆を握り締める手に力を入れた。湯呑に注がれた茶が動揺を表すように大きく波立つ。
「俺が今日此処に来たのは、噂を確かめにだ。」
「噂?」
 目の前に出された茶を一口啜ってから、桂が溜息と共に呟く。
「最近俄かには信じがたい噂が飛び交ってな。」
「もったいぶってないでとっとと言うヨロシ。」
 神楽の不機嫌な声に押されて、桂は目を瞑った。
「白夜叉が高杉と手を組んだ、と。」
「え…、」
「一部の者にとって白夜叉は神格化している。戦の終りと共に姿を消したが、いつか再び戻ってくる筈だ、自分たちを勝利に導いてくれる筈だ、と。春雨と手を結んだことで力を得た鬼兵隊に、白夜叉が加われば国家転覆も一気に現実味を帯びる、そう考える者は少なくない。現に俺の仲間も噂を信じて鬼兵隊に流れる者が続出している。だから真偽の程を確かめに来たのだ。全く厄介なことに巻き込まれおって、」
「そんな、でも春雨は銀さんの命を狙ってるんですよ!」
 一気に言葉を紡ぐと、桂は何かを思案するように顎に手を当てた。
 会話が途切れた途端に、窓ガラスが震える音が部屋に響く。まだ風は止まない。
「…急いだほうが良さそうだな。」
 衣擦れの音を響かせて、桂が颯爽と立ち上がった。
「仲間を鬼兵隊に潜り込ませている。報告があるまでここで待機していてくれ。すぐに連絡する。」
「…桂さん、」

 一つ、道が開く。

『くれぐれも、土方さんには気取られねェように。』

 言い様の無い不安と蟠りを生み出しながら。

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