銃口と春の罠 3


 気配を窺うように目を覚ます。
 腕の中にはもう先ほどまでのぬくもりは無い。一つ、大きく深呼吸をしてからゆるゆると目を開ける。まるで、死刑を待つだけの罪人になったような気分だった。体温が触れていなくても、銀時が傍に座っているのを感じ取ったからだ。
「よ、お目覚め?」
 ベッドに腰掛けながら、俺のほうに体を向ける。
 どんな反応をしたらいいのか、何を言ったらいいのか、言葉を忘れてしまったかのように動かない口を持て余しながら視線だけを向けた。
 あんまり見るんじゃねえよ、そう言って銀時は小さく笑った。その手にはやはり、普段吸わない煙草が握られていた。
「何か頼む?」
 備え付けの電話を指差しながらそう話しかけられても、俺はふるふると首を振ることしかできなかった。
 身体に残る甘い倦怠感と、目の前で飄々とした態度を崩さない男。その二つがどうしても結びつかずに混乱する。
 息苦しさにますます思考が奪われて、どうしたらいいのかわからなくなっていく。いつまで経っても鳴り止まない鼓動に焦れて、肺が限界になるまで息を吸い込んだ。

「…なあ、おま、」
「待った。」

 意を決して口を開いた俺を無視して、銀時がきっぱりと拒絶の言葉を吐いた。まるで俺の思考などお見通しだと言わんばかりに向ける視線を強くする。火のついた煙草を静かに灰皿へ押し付けると、何本かテーブルの上にばら撒かれていた煙草を箱に押し戻して立ち上がった。
「これやるわ。お前吸うだろ?」
「…何だ、」
 俺の手の中に煙草を押し付けて、ふっと笑う。
 もうこの数時間だけで何回見たのかわからない、そう感じるような笑みだった。まるで、胸を搾り潰されるように苦しい。訳も無く泣きたくなってしまう。
 握らされた煙草は俺がいつも吸っているものと同じ銘柄だった。わかっていてそう言っているのだろうか。いや、そんな筈は無い。ただの偶然だ。
「それ買ったはいいけど重くてよ、俺いらねえから、」
「そうかよ、」
 苦しくて堪らなかった。重ねられた手に、何か意味を見出してしまいたくなる。コイツの行動の一つ一つが「そうではない」と言っているのに。それでも未練がましく口は開いた。いや、何が未練だ。何も始まっていないのに。

「…銀時、」
 息苦しさが喉元を過ぎる前に吐き出そうと、声を振り絞る。だが、やはりそれを察したかのように、そっと唇に人差し指が押し当てられた。優しい感触に顔を上げると、銀時が困ったように笑っているのが目に入る。
「質問は無し、な?一応クレームは受け付けてるけどよ、」
「…んで、」
 全てを振り切るかのように颯爽と動き出す。
「じゃ、毎度あり。」
 最後に、俺の頬に軽く口付けを落として銀時が部屋を後にする。
 その意味も問えぬまま、俺は魂を抜かれた人形のように立ち尽くすだけだった。



 手の中には、気まぐれに渡された煙草。

 何故。
 どうして。

 月並みな言葉だけが頭の中を廻っている。

 金の為か。
 ただの遊びか。
 俺の弱味でも握りたかったのか。
 だったら、何でお前は、

 それとも今日起こったことは全て悪い夢だったのだろうか。
 手の中に残った煙草を吸い尽くせば忘れることができるのだろうか。混乱する頭を何とか落ち着かせようと、中から一本煙草を取り出す。外の雨は激しさを増している。

 気付けば、走り出していた。



「銀時!!」

 緩やかに前を歩く銀色の頭を見つけて、思い切り声を張り上げる。
 すると、銀時は弾かれたように振り返り、俺の姿を見て僅かに目を見開いた。
「何どーした?クーリングオフは対象外だコノヤロー、」
「テメーふざけんな!どういうことだ!!」
「は?」
 怪訝そうに眉を顰めて近付いてくるのに焦れて、胸倉を掴み上げる。うえっとワザとらしい苦しげな呻き声が漏れた。
「んだよ、暴力はんたーい、」
「これはどういうことだって聞いてんだよ!」
「何が?」
 茶化すような声も無視して、渡されたばかりの煙草を突っ返す。すると、一気に空気が冷えたように感じた。

「…どういうことだ、」

 開封済みの煙草。
 銀時が俺の前で吸ったのは二本だけだ。

「これも聞くなって言うのかよ、」

 なら、何故俺が起きた時に残りの煙草が一度テーブルの上に出されていたのか。
 何故、それを再び仕舞ってから俺に渡したのか。

「…答えろ、」

 わざわざ丁寧に被せ直されていた内紙と箱の間を探る。
 小さく折り畳まれた一万円札が、一緒に顔を出した。

「なあ、どういうことだよ、」

 銀時は無表情のまま黙っている。

 何でもいいから反応が欲しかった。
 怒ってもいい、からかってもいいから納得のいく答えをくれ。
 そう願いながら、先程封じ込めた疑問も勢いにまかせて口をついた。

「何でだ、」
「銀時、」


「…お前、初めてだったじゃねえか。」


 ずっと仄かに感じ続けていた違和感の正体。
 腕の中で苦しげに跳ねる身体はとても男相手の経験があるとは思えなくて。
 挑発的な態度と震える指先を、どうしても結びつけることができなかった。


 雨足は、ますます強くなる。
 往来にいるのはもう、二人だけだ。


「…三人、」

 ぽつりと吐き出された声は、小さな雨粒のようだった。
 静かに、地面に染みこんでいく、小さな声。

「あ?」
「お前が来るまで、三人、声かけてきて、」

 俺の手から煙草を一本掠め取って、手のひらで玩ぶ。
 途端に鼓動が体中に響き出した。毛細血管までもが音を出しているかのような騒ぎに、頭にも血が上る。

「三人共、三万以上出すっつってよ。物好きもいたもんだよな、」

 心臓が煩い。
 聞き逃してしまいそうだ。

「…じゃあ、何で、」
「待ってたからよ、」
「誰を、」

 うるさい。静まれ。みっともない。
 期待、なんてするな。

 今にも泣き出しそうな空の色と、目の前の男の眸が重なって見えた。
 耳に入り込んでくる淡々とした言葉の調子からは、その二つは重なり合う筈も無い。
 真っ直ぐ自分へと向けられた指先だけが目に入った。それ以外、映す必要は無かった。

「言わせてえの?」

 俺に向かって差し出した手を一度握ってから、人差し指を差し向けて銃を形作る。
 そのまま銀時は引鉄を引くそぶりを真似て、バン、と呟いた。
 衝撃は電流となって、頭の天辺から爪先までを一気に駆け抜けていく。

 世界からそっと隔離するかのような、穏やかな雨音に包まれていた。
 動かせない俺の手に、優しく唇が押し当てられる。

「コイツ吸ってりゃ、お前が来るかもって、」

 手のひらの煙草を一つ玩びながら、銀時がまた笑った。

「…馬鹿だろ、テメー、」

 ようやく口から出た言葉は負け惜しみのようで、それでいて震えていた。
 挑発的に伸ばされた腕を引いて、きつく、きつく腕の中にその身体を抱き締める。胸いっぱいに吸い込めば、甘い、柔らかな匂いがした。込み上げる想いを吐き出すように、くしゃくしゃと髪を撫で付け、旋毛に何度も口付ける。

 馬鹿が。
 本当に馬鹿だ。
 何て無駄なことを。

 頭の中ではありったけの罵声が飛び交っているのに、何も口に出すことができない。
 駆け上がる歓喜と興奮、衝動を抑え込むので精一杯だった。

 そんな空砲なんぞに撃たれる前から、手遅れだった。
 とうの昔に、この胸にはお前しか塞げない穴が開いている。

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