Where there’s smoke, there’s fire. 1



 ああ、実に大人気ない。

 大人の意地の張り合いとはみっともないものである。
 同族嫌悪という言葉がこれほど当てはまる二人もなかなか居ないだろう。

「だから何でテメーは俺の行く先々に現れんだよ気持ち悪ィな!」
「テメーこそ毎度毎度俺の視界を汚すんじゃねーよ!目ン玉腐り落ちたらどーしてくれんだ!」
「既に死んだ魚の目ェしてる奴が言ってんじゃねーよ!とっくの昔に手遅れじゃねーか!」
「はああ?年中瞳孔開きっ放しで何が見えてんですかァ?マヨネーズ目薬でもさしとけばァ?」

「「んだとテメーコノヤロー!!!」」


 ああ、大人気ない。
 誠に大人気ない。

 目の前で繰り広げられるお馴染みの光景に、新八は顔を覆って天を仰いだ。
 全く、毎回毎回何故こうなってしまうのだろうか。本来大人とは本音と建前を使い分ける生き物だろう。
 しかし、この二人は顔を合わせる度にこの有様だ。そんなに気に食わないなら無視すればいいだけのことなのに。
 以前銀時に向かってそう呟いた時は「そんなことしたら俺が負けたみてェじゃねーか」と怒鳴られた。素通りすらできないほど相手の存在自体が許せないということなのだろうか。ますますよくわからない。そもそも何を勝負しているのというのだ。

 その割には銀時は面倒事に巻き込まれると真選組を助けているし、土方も何度か銀時に手錠をかけたことがあっても最後には必ず釈放してくれている。しかも逮捕する時は必ず他の第三者がいる時だけだ。表向きには捕らえられたように見えるためか、銀時が他の警察組織に追われることもなく今に至る。まるで逮捕はただのパフォーマンスで、本当は万事屋を守ってくれているのではないかとさえ思ってしまう。
 特に二人の体が入れ替わった騒動の後からは、新八や神楽の給与を気にかけてくれ、報酬を銀時に使い込まれぬよう二人だけにこっそり使いを頼んでくれたり、台所事情が厳しいと山崎に洩らせば屯所の簡易修繕の仕事を万事屋に発注してくれたりする。一応山崎か近藤からの依頼ということになっているが、実際には土方が決裁行為を行っているのは明白だった。

 決して憎み合っている訳ではない、と思うのだけれど。

「税金泥棒がエラそうにしてんじゃねーよ!」
「税金納めてからほざけよバカ野郎!」

「「んだとコラァ!ぶっ殺す!!」」

 それなのにどうしてこうなるのか。
 周囲に響かせるように、ありったけ呆れを込めて息を吐き出した。

 そう、今日この時まで新八はそう思っていた。

 知らなかったのだ。
 世の中には知らずにいたほうが幸せなことが、意外と身近に多い事を。

 そして、まさか自分が毎回気を揉んでいたモノが、犬も食わぬモノであったという事を。




「あ〜あ、ったく面倒くせえな、」

 爽やかな秋晴れの中、工具を手にしていつもの道を歩きながら銀時が呟く。横目でちらりと一瞥してから、思わず溜息を吐いた。
「そんなこと言って結果助かってるじゃないですか。感謝しないと。」
「そーヨ銀ちゃん、これで明日は白いご飯食べれるアル!」
「何なんだよ、テメーら。すっかり手懐けられやがって、クソ、」
 ブツブツと不満を溢す銀時に苦笑いしながら屯所の門を潜った。今はもう、見慣れた風景だ。
「すいませーん、雨樋修理に来ました〜!」
 声を上げるとこちらも慣れた様子の隊士に案内され、客間に通される。仕事前にこうしていつもお菓子とお茶を出してくれるのも嬉しい。のんびりと茶を啜っていると、襖が開いて土方が顔を出した。いつも仕事の説明をするのは山崎なのに、これは珍しい。
「あれ?今日は土方さんなんですね、」
「ああ。おい、チャイナ、このリストの買い物出てくれ、」
「雨樋はいいアルか?」
 煎餅を口いっぱいに頬張りながら、神楽が首を傾げる。疑問を投げかけられて、土方は一つ溜め息を吐いた。
「そっちもあるけどよ、てめえが総悟と顔合わせたら修理箇所が増えるだろうが。アイツ後三十分で見回り出るから帰ってきたら丁度いいだろ、」
 返された言葉に成程と納得していると、話を聞いていた銀時が嫌そうにチッと舌打ちした。
「なんでテメーに指図されなきゃいけねえんだよクソが、」
 言われた土方の額にもピキリと青筋が浮かぶ。これはまたマズい展開になりそうだと新八は眉を寄せた。
「仕方ねぇだろ、山崎は今張り込みに出てんだよ。そもそもテメーらにとっちゃこっちが客だろうが。頭下げて仕事下さいってお願いしても罰当たんねーぞ。」
「誰がするかバーカ!頼んでねーんだよ!」
「んだとコラァ!」
「あーやんのかコラァ!」
 案の定新八の危惧を余所にまた諍いが始まってしまった。顔を合わせれば厄介なのはそっちも同じだろうと再度溜息を吐いてみても、目の前の喧嘩が収まる筈もない。
「じゃあ行ってくるアル!釣りは酢昆布代って言っとけヨ!」
 同じくこれ以上は付き合うのが面倒臭いと判断したのか、神楽が軽やかに外へと走り出す。
 一人取り残され、呆れ果てて窓の外を見つめていると、パタパタと廊下を走る音が近付いてきた。
「新八くーん!これお妙さんにどう!?ほら、前に欲しがってたブランドのやつ!」
 リボンのかかった包みを携えて、近藤が襖を開ける。後ろの二人は怒鳴り合いに発展しているので無視して立ち上がり、呼ばれるまま入口に足を進めた。
「わ、いいんですか?」
 何で欲しがっていたのを知っているのかという疑問は不毛なので一先ず置いておく。自分の姉はこういった物なら受け取ることを拒まないからだ。
 だが、礼を言って手を差し出そうとした瞬間、近藤の後ろから何か小物が投げ込まれた。ゴルフボールの類いかと思ったそれに視線を向けると、畳に落ちた瞬間、小さな破裂音と共に一気に煙が立ち込める。
「うわっ!何だコレ!煙っ!!」
「げっ、んだコレ、見えねっ、」
 視界を奪われて、げほげほと部屋中から咳き込む音が響き渡る。慌てて手探りで窓を開け、襖も全開にした。澄んだ風が通って立ち込めていた煙が次第に薄れていく。
「あー酷えな、なんだコレ、皆大丈夫か?」
 部屋の入口にいた近藤に声を掛けられて、新八もゆるゆると目を開けた。ところが、部屋の奥に視線を巡らすと、急に近藤が時計の針を止めたかのように動かなくなった。疑問に思って振り返り、新八も動きを止める。

 思わず眼鏡を外して袖で磨いた。煙で汚れてしまったのだろう。もう一度掛け直して首を傾げる。

(…おかしいな。まだ曇ってる。着物の方も汚れちゃったかな、)

 今度は息を吹きかけてから、布が綺麗かどうか確認してもう一度念入りに磨き上げた。レンズが曇っていないかじっくりと確認して再びかけ直す。だが、目の前には同じ光景が広がっていた。

(あれ、ひょっとして僕の目が煙でおかしくなった?)

 今度はゴシゴシと音がしそうなくらいに目を擦った。何なら目薬でも欲しい。

 どうしよう、もしこれでまた目を開けた時に同じ物を見てしまったら。
 ひょっとしたら、またこの眼鏡が呪われてしまったのかもしれない。
 じわりじわりと恐怖にも似た焦燥に追われ始める。ダラダラと冷や汗をかきながら、薄く目を開いた。祈るような気持ちだった。

 やっぱり、同じ物しか見えなかった。


「うあああああ!!!何してんだアンタらァァァ!!!!」

 さっきまで喧嘩を繰り広げていた二人の男が、胸倉を掴み合ったまま固まっている。それはいい。そこまではさっきと何ら変わらない様子だ。だが、そこから上が問題だった。
 互いの胸倉を掴む手に力を籠めながら、二人が激しく唇を重ねているのだ。啄み合っていたかと思えば次第に深くなっていく口付けを目の当たりにして新八は卒倒しそうになった。いや、むしろできることなら気を失いたかった。
「トシィィィ!!何してんのォォォォ!!!」
 新八の叫び声に我に返った近藤がつられて叫ぶ。それでも二人が離れる様子はない。土方の唇が離れるともどかしげに銀時の唇がそれを追い、土方の口端をペロリと舐める。すると、土方は胸倉を掴んでいた手を離して今度は両手で銀時の頬を包んだ。そのまま優しげに微笑むと、薄く開いた唇を親指でそっと弾く。銀時の身体が目に見えてびくりと跳ねた。
「…ったく、何で毎回こうなんだよ。」
 口付けを止めないまま、合間に土方が囁く。今まで一度も聞いたことがない、優しく甘い響きが溢れ出した。
「だって…っ、ん、お前が呼んだんじゃねェか、」
「そうだけどよ、テメーが来ると俺が仕事にならねえんだよ、」
 銀時の潤んだ瞳を見つめながら、愛おし気に頬を撫でる。
「テメーのことで、頭いっぱいになっちまう、」
「あ、土方、俺も…俺も、」
 頬を染めながら首に回した手を引き寄せ、再び二人の唇が重なった。

「ぎゃああああ!!止めろォォォ!!何さらしてんじゃァァ!!!」

 耐えきれず新八がもう一度叫んだ瞬間、開けてあった背後の襖が反対側にスパーンと勢い良く開いた。振り返ると防塵マスクのような器具をつけた沖田が、面白そうに笑っている。新八からは彼の瞳しか見えていなかったが、その薄ら寒い笑顔は明らかだ。
「おっと、やっぱり思った通りでさァ、」
「沖田さん!!さてはさっきの煙アンタの仕業ですか!?」
「まあ、そんなとこで、」
「ちょっとォォォ!!僕らみんな吸っちゃったじゃないですか!!」
 咄嗟に両肩を掴んでガクガクと揺さぶる。沖田はそんな新八の抵抗など意にも介さず、部屋に煙が残っていないことを確認すると、マスクを外して携帯電話のカメラのシャッターを二人へ向けて切り始めた。
「沖田さん!!」
「まァ、そう焦るんじゃねェって。これは念の為につけてただけでィ。そっちは何ともねェだろ?」
 静かに返された言葉に、ふと己を省みる。
 確かに、自分はあの煙を大量に吸った。けれど、今のところ何の異常もない。隣で同じように焦っている近藤にも変わった様子はない。てっきり吉原の時のように惚れ薬のような物かと思っていたが、違うのだろうか。言われてみれば愛染香のあの甘ったるい匂いとは別物だった。どちらかというと柑橘系に近い爽やかな香りだ。
 だが、目の前の二人だけが異世界に旅立ってしまっている。
「ど、どういうことですか?アレって、あの愛染香みたいなヤツなんじゃないんですか?」
「全く別モンでさァ、」
「え?じゃあ何であそこだけおもっくそ愛染香嗅いだみたいになってんですか、」
 視線の先にあるものを認めたくなくて、目を細めて現実を遮ろうとするが、嫌でも視界はそれを捉えてしまう。
 銀時が土方の首筋に顔を埋めて、気持ち良さそうに頬を擦り付け、土方はその髪を慈しむように撫でながら銀時の耳元に唇を寄せている。
 二人を見つめて、獲物をいたぶるような、楽しそうな笑顔を浮かべながら、また沖田がシャッターを切った。
「あれは忘忍香。文字通り耐え忍ぶことを忘れる、つまり意地張れなくなる香でさァ、」
「へ?」
「要するにあの二人はただ意地張ってない状態になってるってだけでェ。だから意地張る必要のねえ奴は煙吸っても何も変化してねェだろ?」
「はあああ?」
 与えられた情報を脳が整理できずに混乱する。
 惚れ薬ではない。お互い意地を張っていないだけ。それはつまり、
「ええええ!何ソレ!?これ、この人たちの本音なの!?」
「そういうことでさァ。」
「え、何?どういうこと?トシと万事屋ってできてんの!?」
 同じく会話を聞いていた近藤が弾かれたように声を上げた。
「いや、大方テメーの気持ちにも気付いてないでしょーや。俺はねェ、前に押収した愛染香をうっかりこの二人に嗅がせちまったことがありやして、」
「…それ、絶対うっかりじゃないですよね。」
「不幸な事故でさァ。ところがどっこい二人とも何の変化もなかったんでィ。こりゃパチモンかと思って近藤さんに嗅がせたら通りすがりの神山相手に盛り出したんで間違いなく本物だった。にもかかわらず、ですぜ、」
「イヤアァァァ俺の貞操!!!よりによってアイツぅぅ!?」
「そんで一つの結論に達しやしてね。常にそういう状態だからじゃねェかと。」
「え?…そ、それはつまり、」
 思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「普段から愛染香嗅がせられたみてェな状態だから効かねェ。元々お互い薬で狂ってるくらいに惚れ合ってるってことでさァ、」
「えええええ!」
「だったら何でそれが表に出ないかって、コンクリート並みに固ェお互いの小学生みてぇな意地が邪魔してんじゃねェかと。」
 ピローンと間の抜けた電子音がまた響く。今度は動画のようだ。
「ま、大当たりみてェだなァ。ちょっと意地外してやっただけでこのザマでィ。」
 フレームの中には熱の籠った眼差しをお互いだけに向けている二人がいる。

「ひじかた、ひじかた、」
「そんな声出すんじゃねェよ。たまんねえ、」
「あ、だって、好きだ、」
「ああ、俺も、ずっと惚れてた、」

(嫌だァァァ!!!何だそのキャラはァァァ!!!銀さんんんん!!!)

 銀時が恍惚とした表情を向けると、再び土方の唇が重なる。もどかしげに隊服を握り締めていた手が広い背中を撫で回す。裾を引かれる動きに応えるように土方が上着を脱ぎ捨てスカーフを外すと、銀時ももう片方の袖を落として自分のファスナーに手をかけた。
「コラ、まだ脱ぐな。俺の楽しみ奪うんじゃねェよ、」
「あ、ひじかた、」
「ゆっくり、な?腰立たねえくらい可愛がってやるからよ、」
「っん、」
 咎めるように手を取り、そのまま畳に押し倒しながら銀時の首筋を舐め上げる。あっ、と震える声が響いた。

「あああ!!ちょっとォォォ!!!何おっぱじめようとしてんだァァ!!!」
「トシィィ!!!やめてェェェ!!!」
 慌てた近藤が土方を羽交い絞めにすると、忌々しそうに舌打ちが発せられる。新八も加勢するようにして、漸く銀時を引き離した。舌打ちしたいのはこっちだと心の中で叫びながら。
「てめえ眼鏡!そいつに触んじゃねえ!!何なんだテメーら、さっきから出歯亀たァ、いい度胸じゃねぇか。ええ?近藤さんよ、」
「してねーよ!出歯亀してねーだろ!勝手におっぱじめたのそっち!!」
「何だよぱっつぁん、童貞がしゃしゃり出てくんじゃねーよ。さすがにスワッピングは興味ねえぞ。てめえゴリラ!そいつに触んなコノヤロー!!」
「アンタはもう黙れェェェ!!!何っつーこと言ってんだ!!」
 もうとんでもない、これこそ阿鼻叫喚の地獄絵図だ。ここへ神楽が帰ってきた暁にはどうなることやら想像もつかない。
「つーか何で意地張れなくなっただけで理性まで持っていかれてんだァァ!!銀さんはともかく土方さんんんん!アンタ唯一の常識人でしょーが!!信じてたのに!」
「んだと新八てめえ!さてはコイツに惚れてんのかァァ!!!」
「オメーは黙ってろって言ってんだろーが!気色悪い事言わないでください!!一緒にすんな!!」
 一瞬発せられた銀時の鋭い殺気に怯みそうになりながらも必死に叫ぶ。すると、この場に似つかわしくない間延びした声がのんびりと聞こえてきた。
「それにしても旦那がそっち側たァ意外だなァ、土方さんが手籠めにされんの撮りたかったのに、」
「沖田さんんん!これどのくらい効果続くんですか!?このままじゃ二人とも歩く猥褻物に!!」
「一生。」
「ぎゃあああ!!嫌だァァァ!!」
「と言いてェところだが、まあ一日持たねぇんで明日の朝までには抜けまさァ。ま、俺はもうネタは撮れたんで失礼するぜ。」
「オイィィ!!待てや元凶ォォォ!!!」
 一切の慈悲無く立ち去る後ろ姿を恨みながら、目の前に視線を戻す。すると、同じように格闘していた男が、ふと動きを止めた。
「…なあ、新八くん、」
「はい?」
「今思ったんだけど、コレ、放っといてもよくね?」
「え、」
「だって、愛染香みてえに強制的に惚れさせられてるっつーんならともかく、元々コイツら好き合ってんだったら、馬に蹴られるの俺たちじゃね?」
 近藤の言葉に一旦思考を停止させる。
 たっぷり五秒沈黙してから、新八は銀時の腕をゆっくりと解放した。
「…そうですね。てかもう蹴られてるっていうか……面倒臭い。」
「な、行こうか。」
「ええ、」
 立ち上がって裾を払うと、背後には一切視線を向けずに後ろ手で襖を閉める。

「新八くん、皆で焼肉でも食いに行こう!今日は俺の奢りだ!」
「わあ、本当ですか?嬉しいなあ。そろそろ神楽ちゃんも戻ってくるだろうし、姉上にも声かけてみますね。」
「おお、お妙さん来てくれるかな!?何なら今日はここにいる隊士全員連れていくか!」
「いいですね!みんなで行きましょうよ!だって、」


「「こんなとこ居れるかァァァ!!!」」


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