ニュクスの眠り 2



 温かい場所。ひとりの寂しさに慣れていたつもりでも無意識に手を伸ばしていた。
 人のぬくもりを知ってから、寒くて仕方なかった。
 けれど初めて与えられたぬくもりは簡単に手の中から滑り落ちていった。
 またあんな想いをするなんて御免だ。そう言い聞かせて求めることを放棄した。

『銀時、』

 また失うのだろうか。

 どうして求めてしまったのだろう。
 こうなることを想像しなかったわけじゃないのに、ただ、手を離せない。




 カーテンが靡いているのだろうか。瞼の裏に途切れ途切れの光が届く。
 自分が眠っていたことに気付いて、銀時は目を開く前に瞼をきつく閉じた。
 体が重い。特に右手が全く動かない。ただ温かくて少し湿ったような優しい感触があった。ゆっくりと全身に力を入れていくと、右手の拘束が緩くなる。くらくらと、世界が揺れた。

「…大丈夫か?」

 ぼんやりと白い壁が浮き上がる。

「ひじかた、」
 優しい拘束の正体は、土方の手だった。
 銀時と視線を絡ませると、土方は掴んでいた手を離して銀時の頬に触れた。温かな感触を追いかけるようにして銀時も頬を摺り寄せる。猫のような仕草に安堵したのか、土方は僅かに目を細めた。
「俺、寝てた?」
「ああ。」
「どんくらい?」
 カーテンの影が白い床に光の波を形作る。
「2時間くらいか、」
「マジで?悪ィな、心配しただろ。」
「ああ、ちょっとビビッた。」
 起き上がろうとする体を支えながら、土方が銀時の額に口付ける。背に腕を回して抱きつきたい衝動に駆られながら、銀時は土方の裾を握り締めた。腕が鉛のように重くて、思うように動かせなかった。
「なあ、ひじ、」
「銀時。」
 銀時の言いかけた言葉を遮るように土方が強い口調で名を呼んだ。
「寝不足だとよ。」
「へ?」
「疲れてんだろ。毎日俺んとこ来てたって言うじゃねえか。悪かったな、無理させちまって。」
「土方、」
「ゆっくり休め。傍に居るから。」
 まるで、何かを打ち消そうとするように。
「…ただの、寝不足だ。」
 温かいのに、不自由な体は抱き締める腕の強さに応えられなかった。
 じわりと沸いた不安が胸の内側を侵食する。



 そっと後ろ手で病室のドアを閉める。
 パタン、と小さな音が響くと同時に眩暈がして目の前の風景が歪んだ。
 ズルズルとその場に蹲ってしまいそうになるのを必死に堪えて深呼吸をする。悪い予感を振り払うようにして足を踏み出すと、戸惑うように声が掛けられた。
「土方さん、」
 視線を定めることもできない、と動揺を露わにしながら少年が表情を歪める。握り締めた拳はいつから力を入れていたのかブルブルと震えていた。
「銀さんは、」
「眠ってる。」
 かける言葉が見つからないのはお互い様だった。重苦しい沈黙が酸素を薄くしているようにすら感じる。呼吸の仕方を忘れてしまったのかと自分自身に問うてみても、答えは見つからなかった。
 光が見えない。出口の無い迷宮は空も無い。四方八方からの圧迫感で潰されそうだ。
「…あの、」
「アイツには言うな。」
「でも、」
「俺が何とかする。」
 腕の中にはまだ体温が残っている。
「何とかって…どうしてそんなこと言うんですか!」
 土方が再び足を踏み出そうとすると、激しい怒りを湛えた声が引き止めた。
 怒りを向けられる理由がわからずに目を見開く。すると、新八の表情が悲しそうに歪む。
「僕らだって心配なんです!関係ないみたいに言わないでください!どうしてアンタらはそうなんですか!」
 部外者扱いしようとそう言ったわけではない。
 誤解を与えてしまったかと土方は新八に向き直る。銀時が彼らのことを何よりも大事にしていたことはわかっているつもりだ。自分が護りたいものは銀時だけではないのだと、言葉を選びながらできるだけ冷静にそう伝えるが、何故か新八の表情は変わらないままだった。
「…だから、どうしてそうなんですか、」
「何言ってんだ。」
 ぽつりと呟かれた音が、悲しげに響く。
「土方さんが、僕らのことも大事に思ってくれ てるのはわかってます。」
「だったら、」
「なのに何で自分もそう思われてるって考えてくれないんですか。僕らだって、銀さんだけを心配してるんじゃないんです。」
 柔らかく弾ける言葉。
「一人で抱え込まないで下さい。アンタら、ほんと似た者同士だ。」
 呆れたように発せられる大人びた言葉に、静かに目を閉じる。
 ほんの少し、泣き出したくなるのを堪えながら土方は小さく笑った。
「悪ィな。」
「ほんっとですよ!」
 子供に説教されてしまったというバツの悪さと照れを隠す為に、新八の頭をくしゃくしゃと撫で回す。視線を廊下の奥へ移すと、今にも暴れだしそうになる少女を近藤が必死に諫めているのが目に入る。ふと、体の力が抜けるのがわかった。

 戦っているのは一人ではない。
 また同じ過ちを繰り返してはならない。

「トシ、大丈夫か。」
「ああ。何かあったらすぐ連絡する。今日はもう、面会時間終わるからよ。」
「おうわかった、頼むな。コイツらは俺が責任持ってお妙さんのとこまで送ってくから心配すんな!なぁに、お妙さんのことは俺に任せとけ!」
 自信満々に胸を叩く近藤に、間髪入れずに子供二人の蹴りが飛ぶ。
「「目的摩り替わってんじゃねーか!!」」



 灯りをつけようとして躊躇い、ベッドサイドに置かれたパイプ椅子に腰掛ける。
 暗い室内では銀時の顔色はわからない。寝息だけを聞く限りでは落ち着いているようだった。規則正しく繰り返される呼吸音に安心して手を伸ばす。抱き締めたいと土方が思うのと同時にゆるゆるとその瞼が開いた。
「よく眠れたか?」
「おー。すげ、もう真っ暗。今日俺泊まっていいの?」
「ああ。ついでに明日一応検査な。」
「げ、何で。めんどくせえの。」
 子供のような仕草で目を擦る姿も愛しい。甘えるように土方に向かって両手を伸ばす姿に感情が溢れ出す。
 背を抱いてあやすようにしながら鼻先を首筋に擦り付けた。柔らかい感触と甘い匂い。ずっとこうして居られたらいいのにと思わずにはいられない。
「…土方、」
「ん?何だ。」
「もっとぎゅっとしてくれよ。」
 胸が熱い。初めて血が流れ出すようだ。締め付けられて一旦留められた熱が、一気に放たれる。
 どうすればいいのかわからない。愛しいという想いは何故これほどまでに焦燥を生むのだろうか。
「あと、チューしろ。」
「わかったわかった。」
 銀時の言葉に応えるように小さな背中を掻き抱き、顔中に口付けを落としていく。目元に唇を寄せると銀時が擽ったそうに身を捩るのが可愛くて、思わず柔らかな頬を食む。食べてしまいたいと思うなんてどうかしてるだろうか。
「…銀時、」
 そうすれば、一つになれるかもしれないと思うなんて。
「んー?」
「やっぱ何でもねえ、」
「何だよ。わかんねえの。」
 柔らかい身体。力を入れれば折れてしまいそうな手首。
 男でも女でもお前であれば構わない。弱くなったっていい。その分俺が強くなればいいだけの話だ。
 お前自身も、お前が護りたいものも、全て俺が護ってやるから。
「あー、ほんとに土方だ、」
 存在を確かめるように、銀時がうっとりと目を瞑って寄りかかる。
「なぁ、なんかもっと喋って、声、聴いてたい、」
 胸を波立たせる唯一の存在が愛しさと共に不安を煽る。じわじわと身を焦がす想いから逃げ出したいとさえ思ってしまう。逃れる術などありはしないのに。
 氷のように喉に痞えている恐怖を無理矢理呑み込んで、土方は銀時の唇に噛み付くように口付けた。
「銀時、」
「うん、いい。もっと呼んで、」
「銀時、」
「やべぇ嬉しい、嘘みてェ。土方、ほんとに起きてる、」
「嘘じゃねぇよ。もう、ずっと傍にいる、」
 頬を滑り落ちる涙を吸って抱き締める。言葉と共に、銀時の腕が縋り付くように土方の身体を引き寄せた。耐えるように引き結ばれた唇が吐息と共に戦慄く。
「…なら、今すぐ抱いてくれよ。」
「な、おま」
「抱いて、土方…お前の、くれよ、お願いだから、」
「けど、お前具合が」
「いいから、なぁ、お願い、今すぐ欲しい、もうやだ…怖ェんだ。待てねえ、」
 乱暴に重ねられた唇は涙に濡れて塩辛かった。衝動を曝け出し、呼吸すら分け与えるように深く舌を絡め合う。
 体を気遣い、銀時の焦りを呑み込むように土方は殊更ゆっくりとその身体を開いた。土方を求めて、焦れて泣く姿が愛おしくて堪らなかった。何度も何度もせがまれて、銀時の中に欲を吐き出す。溢れるほど注げば、銀時はシーツに零れた精すら愛おしそうに撫ぜ、拭い取った指に舌を這わせた。
「ひじかた、」
 どこにも行くな、と。叫んでいるようだった。
「ああ、」

 ずっと、傍に居る。
 護るから、

「銀時、」

 どうか、俺を置いていかないでくれ。

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