Seven Nights In Paradisum 2



 頭の中で鐘が鳴る。
 ガンガンと止まない音色に腕を引かれるようにして、ゆるゆると瞼を持ち上げた。

 真っ白な、染み一つ無い天井が目に入る。
 ここは何処だろうか。何だか体が無性に重い。

「大丈夫か、」

 ぼやけた視界に心配そうな土方の顔が映る。
 そうか、と何となく己の置かれている状況を理解した。どうやら本当にぶっ倒れてしまったらしい。
 部屋の中を見渡してみると、どこかホテルの一室のようだった。白い壁、白いベッド。ベッドサイドに置かれているミニテーブルには氷がたっぷりと入ったワインクーラーが置かれている。高そうなワインと一緒に濡れタオルが冷やしてあるのが滑稽だ。俺の額を冷やしていたのだろうか。今は一体何時なのだろう。窓からは外の景色は一切見えない。
「…お前、仕事いいのかよ、」
 乾いたまま吐き出した声は擦れて弱々しい。不意に何か間違ってしまったかのような不安に襲われる。どうしたのだろうか。体が弱ると弱気になるということだろうか。
「…そうやって、」
 俺の言葉に、土方は小さく顔を歪めた。何かに、耐えるように。
 氷で冷やされた指先が、ゆっくりと俺の頬を撫でる。心地良さに思わず目を細めた。俺が猫だったらきっと喉を鳴らしているに違いない。
「…そうやって、いつもテメーのことは後回しか。」
 俺の頬や首筋を辿りながら、土方が独り言のように呟く。熱でぼうっとした頭では、何を言っているのかよくわからなかった。ただ、そう言いながら目を伏せる土方の横顔は酷く悲しげに見える。
「土方…?」
「何でもねえ、駄目だったら此処に居ねえよ。テメーが気にするこっちゃねえ。」
「…そっか、そうだな、」
 そう言いながらも素直には頷けなかった。また自分のせいで俺が倒れたのだと感じてこうしているのだろう。別に気にしなくてもいいのに。確かにあんな路地裏で盛るなんてのは言語道断だが、何だかんだ言って俺も物凄く盛り上がってしまったのだから同罪だ。しかも俺は熱中症の気配を感じ取っていたのに、止めようしなかったんだ。
 お前が、欲しくて。欲しくて堪らなくて。
 お前が責任を感じる理由なんて一つも無い。

「気分悪くねえか?」
「ん、」
 俺の肌を撫でている土方の指先が、俺の熱で温まっていく。
 甘えているのは、俺だ。本当はお前が生み出す感情の全てが自分に向かえばいいと願っている。お前の全部が欲しい。決して口には出さないけれど、俺の心はそんな浅ましい独占欲に塗れている。

「…土方、」
「何だ、」

 
恋が、もっと綺麗な感情で織り成されるものだったらよかった。

「もう大丈夫だから行けよ。寝てりゃ治るし。」
 指先に一つ口付けてから、ひらひらと手を振った。離れる瞬間の寂しさはもう慣れている。いつも、いつも、これが最後になってもいいようにと念じながらその背中を見送ってきた。
 もし、お前と離れた時、俺が一番鮮明に思い出すのはその後ろ姿だろう。熱く言い聞かされた言葉よりも、真っ直ぐな眼差しよりも、きっとお前の背中を思い出す。
 後悔なんてしない。お前はちゃんと俺を置いていってくれると、わかっているから。

「そんじゃ、お仕事頑張って〜、」
 へらへら笑って枕へと顔を突っ伏す。そうすると土方は立ち上がり、俺に二、三度小言を呟いてから背を向ける。俺はこっそり後姿を見送る。それがいつものやり取りだった。

 そう、今日だってそうなる筈、だった。

 部屋の中央に置かれているテーブルへ向かって土方が足を進める。椅子に隊服の上着が掛かっているから、それを取りに行くのだろう。様子を窺っていると土方は何故か上着を置いたまま俺の方へと戻ってきた。
「あれ、どした?」
「…ああ、忘れ物だ。」
 首を傾げる俺の手を握り、そっと口付けてくる。
「…っ、ん、」
「まだ熱っぽいな、」
「っ、へーき、だって、」
 忘れ物ってコレかよ、と脳内でツッコミを入れながら、それでも込み上げる嬉しさを抑えきれずに口付けを返す。肩に顔を埋めて、甘えるように頬を擦り付けながら思い切り息を吸い込んだ。体を満たす、煙草の香り。
(よし補給完了、なんっつってな。)
 土方の匂いを何度も反芻する。大丈夫、寂しくはない。

 背中を抱く腕の強さを覚えながら静かに目を閉じる。だが、突然ひやりとした感触が手首に触れた。

「…へ?」
 目を開けると同時に耳に届いた金属音。かちゃり、という無機質な音が静かな部屋に響く。
「な、」
 腕を繋ぐ銀色の鎖。見た目よりも、ずっしりと重い手錠。
「…何してんの、」
 何の冗談だと笑いながら問い掛ける。鎖はベッドヘッドと俺の右手首をしっかりと繋いでいた。
「何って、テメーが動けないようにだ、」
「は?」
 真顔でそう返す土方を笑い飛ばすことはできなかった。ひやりと冷たい汗が背筋を伝っていく。
「な、何バカ言ってんだ。さっさと外せ。」
 落ち着いた視線が返って胸のざわめきを煽っていく。
 勢い良く起き上がろうとすると、鈍い音がして手首に金属が食い込んだ。動きを奪う痛みに眉を顰めると、土方が俺の動きを制するように手を差し出す。
「暴れんな。傷になるだろうが、」
 赤く痕がついてしまった手首を撫でながら、土方は呆れたように溜息を吐いた。

 状況が呑み込めない。
 まるで我儘を言っているのは俺の方じゃないのかと錯覚してしまいそうになる。
 俺の動揺を見抜いたのか、土方は子供をあやすように俺の背を撫でながら、優しく口付けてきた。

「……たことはあるか?」

 耳元でぽつりと吐き出された言葉はくぐもってよく聞こえない。
「え、何?」
 慌てて問い返しても、土方は曖昧に頷いただけでそれ以上は何も言おうとしない。
 何を考えているのか、何をしたいのかまるでわからない。それでも、恐怖を感じることはなかった。触れた場所から広がる熱に嘘はない。触れられて嫌なことなど一つも無い。好きだ。
 穏やかな鼓動が肌を伝わってくるのに思わず目を閉じてしまいそうになる。

 お前の存在だけが、俺をどうしようもなくさせる。
 制御できない想いなど、自分には無縁のものだと思っていたのに。

「…仕事、いいのかよ、」
 耐え切れずに呟いた言葉は涙声に近い。こうしている間にも徒に時間が過ぎていく。背中を辿っていた土方の指が、ぴたりと止まった。
「…有給取った。テメーの傍に居る、」
「何、」
 わからない。込み上げる感情が何なのか理解できない。
 涙が零れるのを、寸でで耐えた。

「久しぶりなんだ。甘えさせろよ、」

 ベッドを軋ませて、土方がゆっくりと覆い被さってくる。
 溜息を漏らすように笑いながら、俺の胸元に額を擦り付ける姿に胸を鷲掴まれる。苦しい。息ができない。あの時願った小さな、他愛もない祈りが体の奥をじわりと焼いた。

『治るまで一緒に、居てくれねえかな。』

 口には出していない筈の願い。
 会えない間の寂しさを取り繕った仮面など、何の役にも立たない。お前はそれを見抜いている。

「…ひじかた、」
「少しだから我儘付き合えよ。たまにはいいだろ?」

 違うんだろ。
 そんなこと言って、お前は全部わかってんだろ?
 お前が甘えたいんじゃなくて、俺を甘やかしたいんだろ?

「…別に、オメーがいいならいーけどよ。コレは外してもいいだろ?」

 込み上げる想いが邪魔をして土方の瞳を見ることができない。
 じゃらり、と鎖が鳴る。すると、ああ、と頷きながら、土方がポケットから小さな鍵を取り出した。外してもらえると右手を差し出すが、いつまで経っても冷たい金属の感触は無くならない。

「そうだな。いらねえな。」

 土方の手の中にあった鍵が緩やかな放物線を描いて、部屋の隅にあるゴミ箱へと消えていく。
 静かに、この部屋に流れている時間が崩壊していくのがわかった。

「…嫌か?銀時、」

 その瞬間、

 胸を占めた感情を、一体誰が説明できるというのだろう。


  • prev
  • top
  • next(次回更新をお待ちください)
inserted by FC2 system