Seven Nights In Paradisum 1



 静かに鳴り響く鈴の音が時折蘇っては鼓動を乱す。

 肌を拭う指先。耳元で囁く声。
 何もかもが優し過ぎる空間には時間が流れていない。
 無限に続く時を呑み込んで、そっと瞳を閉じた。名を呼ばれるまで目覚めることはない。

 込み上げる幸せに胸が震える。

 それでも、満たされれば満たされるほどに悲しみが流れ込む。
 此処を出たら、一体どうなってしまうのだろうか。向けられる落ち着いた瞳が、返って不安を煽る。

「銀時、どうした、」

 意味も無く、泣きたくなる。

 お前は一体、何考えているのだろうか。





「一週間が欲しい。」

 茹だるような暑さの中、土方がぽつりと呟く。俺はとうとうコイツも暑さで頭をやられちまったのかとぼんやり思った。
 俺たちの周りはまるで嫌がらせのように蝉に囲まれている。頭の中で鳴り響いている音は蝉の鳴き声なのか、それとも耳鳴りなのかもよくわからない。せめてもの暑さ凌ぎに土方に買わせたアイスキャンディーを頬張りながら、川縁に足を差し出す。爪先に触れた川の水が温くてげんなりした。せめてもっと流れのある川だったらもう少し涼を得ることができただろうか。
 傍らの男に視線を送ってから溜息を吐く。間違い無くこの男の存在が周囲の気温を上げているに違いない。
 土方はこの暑さにも関わらずきっちり隊服を着込んでいた。上着を脱いでいるのはまだマシだが、それにしても見ているだけで暑い。当の本人は涼しい表情をしているくせに、顔からも身体からも汗が噴き出しているのが妙に滑稽だった。
「ほんっと暑苦しいなお前。」
「うるせー、ほっとけ、」
 苦虫を噛み潰したような顔をするのに笑って、胸元のスカーフを緩めてやる。首筋を扇いでやると、土方はふっと息を漏らした。二、三度くらい温度が下がったのではないだろうか。
 暑い中でも変わらない姿に少し甘やかしてやりたいな、と思ったが、生憎この辺りは人通りが多い上に、土方は仕事中だ。最近はテロ予告があったりして中々会えなかっただけに、余計もどかしい。今日はパチンコしながら涼もうと街に繰り出した途中、偶々見回りをしていた土方を漸く捉まえた。
 会えない間は「顔だけでも見れねえかな」と思っていたのに、実際会えると、顔を見るだけでは満足できない。
「…おい、俺ァそろそろ行くぞ、」
「え、もう?」
 腕を掴んでいた俺の手を外して、土方が踵を返す。慌てて隊服の裾を握り直した。せっかく会えたのに薄情な奴だと眉を顰める。
「何だよ、もうちょっとくらいいいじゃねえか、」
「あのな、俺はテメーと違って暇じゃねえんだよ、」
 呆れたように溜息を吐きながら、土方が俺の頭をくしゃくしゃと撫で回す。乱暴なのにどこか優しい手つきが擽ったい。
「このクソ暑いのに犯罪起こす奴なんていねえって、もうちょっと居ろよ。」
 何だか意地になってきて、掴んだ裾を破らんばかりに引っ張る。
 辺りの蝉の声は増している。額に噴き出している汗がこめかみを伝って流れるのを感じていた。

 土方が足を止めて俺の方を振り返る。少し満足そうに口元を吊り上げているのを見て、しまったと思ったが手は離さなかった。
「会えなくてそんなに寂しかったかよ?」
 案の定、得意げに嫌な笑みを浮かべている。
「そーだよ、テメーは違うのかよ。」
 やけになってそう言い放ち、再び裾を引く。土方の機嫌が目に見えて良くなっていくのが悔しくて堪らない。

 何だよ、嬉しそうな顔しやがって。
 自分だって同じだって言ってるようなもんじゃねえか。

「あーもー、じゃあいいよバーカ、乾涸びちまえ、」
 何だかイラついてきたので、土方の脛を蹴り付けてから歩き出す。
「いってーな、何しやがんだ、」
「うるせえ、調子に乗ってっからだ、」
 脛を押さえて蹲る土方を尻目に勢い良く走り出した。頬に当たる風が心地良い。悔しいと思う一方、こうして迷い無く走り出せるのは、コイツが絶対に後を追ってくると確信しているからだ。
 湿気を含んだ空気を振り払うように走り、路地へと足を踏み入れる。人通りの少ない道に入ると、後ろから腕を掴まれた。
 足を止めると同時に噴き出す汗。そのまま抱きすくめられてコンクリートの壁へと押し付けられる。首筋に土方の荒い息が吹きかけられる度に、ビクリと身体が跳ねた。
「っ、あ、」
 汗ばんだ手のひらが着物の中へと侵入してきた。いつもと違う、汗で肌が吸い付くような感触に熱を煽られる。
「っん、土方、」
「せっかく我慢してやってんのに、」
 食べかけのアイスがぼとりと間抜けな音を立てて地面に落ちた。それを追いかけるように顎を伝って汗が落ちる。俺を抱き締めている土方の腕が緩んだ隙に、向き直って壁を背にする。もどかしげに隊服のシャツを脱がせて土方の筋肉をなぞった。久しぶりの感触に目が眩む。
「あ、やべ…なあ、土方、どっか宿入ろうぜ、」
 腰を擦り付けながら訴えるが、土方は既に聞き入れる様子がなかった。俺の着物を捲り上げて下着の上から指をいやらしく這わせてくる。
「…無理だ、」
「ちょ、待てよ、ここでやんの?」
「直ぐ済むからよ、」
「バッ、そういう問題じゃねえ!ひゃっ、」
 べろりと耳朶を舐め上げられて思わず声を上げてしまう。隙間から注ぐ日光が、肌蹴られた胸元をじりじりと焼いていく。コンクリートの建物に囲まれているせいで周囲は薄暗いのに、そこだけが酷く明るく浮き上がっている。此処が外だということを思い知らされてくらくらと眩暈がした。羞恥に神経までもが焼き切れそうだ。
「っ、ん、やめ、」
「そう言うんなら腰動かしてんじゃねえよ、」
「…ぁ、は、」
 耳元に吹き込まれる普段より低い声に力が抜けてしまう。
 畜生、何でこういう時ばっかりそんな声出すんだ。
 絶対ワザとやってんだろ、と言い返してやりたいが口から出るのは舌足らずの喘ぎ声だけだ。(その前にそんなことコイツに言ってしまったら益々調子に乗るに違いない。)
 ちょっとじゃれついて煽ってキスして盛り上がって、そしたらクーラーの効いた涼しいホテルに雪崩れ込もうと思って仕掛けたのに。久しぶりだったせいかこんなところで盛り上がり過ぎてしまった。せっかくの俺の計画は台無しだ。
 気付けばいつの間にか下着も脱がされていて、俺は少しでも快感を得ようと浅ましく腰を振っていた。滝のような汗が体中を流れている。このままじゃ脱水症状になってしまうかもしれない。
 しかもこんなことでやってて誰か来たらどうしよう。
 土方はばっちり隊服着用、仕事中だ。俺も着流しは脱がされてないから一見何をしてるかわからないかもしれないが、足元に絡まったズボンと下着を見れられれば一貫の終わりであることは目に見えている。
「ぁ、んっ、んっ、んっ、」
「すげーな、もうイキそうじゃねえか。興奮してんのか?」
「ふ…ぅ、」
 咎める意思とは裏腹に、勃ち上がったものに土方の指が絡んだ時にはもうそこは嬉しそうにビクビク震えて先走りを溢れさせていた。

 暑い。
 でも堪らなく熱い。気持ちいい。

 力が入らなくなった身体を反転させられて、壁に手をつく。
 濡れた音を立てながら後ろを犯す指と連動するように、土方の手を汚す体液の量が増えていく。足元でぐしゃぐしゃになっている下着の上にそれらがポタポタと落ちていくのが恥ずかしくて堪らない。
 どうすんだコレ。つーか俺どうやって帰ればいいんだよ。
 ぐちゃぐちゃ着流しのノーパンで帰れってか。ふざけんな。
「あっ、や、」
「焦んなよ、今くれてやるから、」
 ちーがーう!
 楽しそうな声しやがって、そうじゃねえんだよ!
「…っ、ん、ひじかたぁ、」
 ああもう、ぶん殴ってやりたいのに。
 何で俺は強請るみてえに腰振ってんだ。
 呼吸がどんどん荒くなって、舌が上手く回らない。口の端からダラダラと犬みたいに涎が垂れる。まるでパブロフの犬だ。コイツの手、声、匂い、いや、土方の全てに反応する。
「銀時、こっち向けよ、」
「…ん、」
 顎を掴まれ無理矢理振り向かされて、窮屈な体勢のままキスを交わす。唇同士が少しずれてしまったので、必死に舌を伸ばして絡め合った。ぐでんぐでんになってしまった俺を支えながら、身体の奥に土方の熱が入り込んでくる。あまりの熱さにぐらぐらと視界が揺れた。もしかして熱中症かもしれない。
「ひっん、あ、っ、あ、」
「…っ、あっちいな、」
 蝉の声とお互いの身体から漏れる水音に鼓膜を犯されて、気が狂いそうだ。
 このままぶっ倒れたらどうしよう。霞む視界のまま、土方を振り返る。目に入ったいつもより上気した頬と余裕の無い表情にまた熱が上がった。それだけで、何もかもがどうでもよくなってしまう。
「っ、銀時、」
 悔しいけど俺はコイツに惚れてる。改めてそう思い知らされる。
 いいやもう、ぶっ倒れても。
 そしたら看病してくんねえかな。治るまで一緒に、居てくれねえかな。
 心の中でそう思っただけのつもりだったのに、土方の表情が何故か歪んだように見えた。
 ほんの少し、悲しそうに。
「っん、ん、ぅ、」
 汗ばんだ手のひらに壁の埃がついて気持ち悪い。奥深く突き入れられるのと同時に項をきつく噛まれて、ぞくりと背筋が戦慄く。
「…なあ、銀時、」
「はっ、ん、」
「…れねえか?」
「ひっ、ああ、っ、」
 後ろからガツガツと突き入れられ、感じる場所を抉られ、あまりの快感に何も考えることができない。
 目の前が白く光る。土方の声が繰り返し耳元に吹き込まれているのに、何を言っているのか理解することができない。がくがくと腰が震えて、零れ落ちた欲が次々と地面を濡らしていく。自分が達していることも自覚がないほど、快感は長く続いた。
「銀時、っ、」
「あ、あ…つい、」
 身体の中を汚されることにも恍惚とした表情を浮かべるばかりだった。
「っ、ひじかた、」
 眩暈が再び激しくなる。
 やっぱり熱中症だな、と思った途端に意識が混濁していった。結局土方が何を言ったのか理解しないまま。

『…銀時、』

 次に目覚めた時の自分の状況など、予想もしなかった。
 まさか、そんなことが起こるなど、思いもしなかったのだ。

『なあ、銀時、』

 甘く響く、誘惑。
 身も心も狂わせる、低い声。


『お前の時間をくれねえか、』


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