コロボックルのゆびきりげんまん 2



 がちゃり、がちゃりと何かを引き摺るような音がして、ハッと顔を上げる。
 朝日を浴びて光る銀色の髪に、土方は胸を撫で下ろした。だが、戻ってきた少年の姿を見た途端に再び言葉を失う。血塗れた刀と荷を引き摺りながら、少年はその着物にも血痕をつけてふらふらと戻ってきた。
「おい、大丈夫か!」
 慌てて抱き寄せると、少年の瞳が驚きに見開かれる。
 逃げ出そうとするのを押さえるように力を込めれば、少年は諦めたように土方の腕の中で大人しくなった。
 確かめると、着物に血痕がついているが、少年が怪我をしている様子は無い。安心して息を吐くと、少年は引き摺ってきた荷から取り出した握り飯を土方に差し出した。
「…お前、」
 怪我をしていない、ということは血痕は別の誰かのものである、ということだ。
 少年が答えないことはわかっている。だが、何を聞いたらいいのかわからずに、土方はただ呆然と少年を見つめ返した。視線の先では紅い、無垢な瞳が不思議そうに揺れている。

 暫くそのまま見つめ合ってから、土方が口を開こうとした瞬間、背後で草木を踏み締める音がした。

「鬼が…その刀を返せ!」
 鎧兜を身に着けた男が怒りを露わに斬りかかってきた。男に見覚えは無い。
 土方は少年を庇いながら、咄嗟に抜いた刀で男の剣を受け止めた。金属のぶつかり合う鋭い音が森の中に響く。男の剣の腕はさほどでもなかったが、足が自由に使えないのは分が悪い。土方は男の剣を弾き返して、左足に力を入れた。折れた右足にはまだ力が入らないが、捻っただけの左足は大分良くなっていて、どうやらこの場を堪えられそうだと予想をつけた。怪我を悟られないように素早く立ち上がると、男に向き直る。
「テメー!いきなり何の真似だ!」
「何の真似、だと?その童っぱは我が同志の亡骸から荷を奪った!国の為、命を掛けてこの戦に臨んだ者を汚したのも同然!」
「戦?」
「けったいな格好をしおって…さては貴様ら、天人の回し者か!?」
 少年は持ち帰ってきたのは遺品だった。彼が手を汚していないという事実に安堵する一方、男の言い分に眉を顰める。

(…どういうことだ。攘夷志士が、俺たち真選組を知らない、だと?)

「とぼけるな!これ以上天人が我が国に侵入すれば上様の身も危ない。奴らの文化を受け入れる者は皆天人と同じだ!排除せねばならん!」
「何言ってやがんだ!テメーらも天人の武器に頼ってるだろーが!」
「馬鹿げたことを!我等は国を守る志士!そのような腐った真似など誰がするか!」
 激しく刀を打ち付け合いながら、噛み合わない会話に苛立ちが増していく。
 このままでは埒が明かない。体を捻って男の攻撃をかわすと土方は男の懐に飛び込み、刀の柄で男の鳩尾を抉るように突き上げた。男が胃液を吐きながら後ろへ倒れ込む。そのまま地面に仰向けになった男の喉元に刀を突きつけると、男は諦めたように目を閉じた。
「…殺せ。」
「テメーが言ってることが理解できねえ。」
「何を言っている。勝負はついた。敗者を殺すのが貴様の役目だ。」
「わかんねえって言ってんだよ。」
「何?」
 男が不審そうに見つめ返してくる。
「テメーは、攘夷志士か。」
「いかにも。己が国の為に、剣を振るっている。」
「…真選組っつー言葉に聞き覚えはねえか。」
「何のことだ、それは。」
 真っ直ぐな視線に嘘は感じられない。
「戦ってのは、何だ。」
「先ほどから何を言っている?」
 記憶を辿って浮かび上がった可能性に、信じられない想いを抱きながら男を見下ろす。
 土方は、男が身に着けている甲冑に見覚えがあった。

「よもや貴様、数年前から続く攘夷戦争を知らぬ訳ではあるまい。」

 男の甲冑は、屯所の資料室で見た、20年前辺りの攘夷戦争で使われた物に酷似していた。
 天人の技術を戦闘に用いるようになった今では、お目にかかる可能性などほぼ皆無だ。

「…今、何年だ。」
 唖然としながら呟いた土方の問いに、男が首を傾げながら口を開く。
 じわりと背筋に沸く予感を無視して、告げられたのは、20年前の日付だった。
 男の頭かそれとも自分の頭がおかしいのだろうか。ならば、現に起こっている戦はどう説明するのか。混乱しながら土方は男に向かって、少年が持ち帰った刀を差し出した。
「何の真似だ。」
「…悪かった。コイツは返すから此処は退いてくれ。」
「何だと?」
「テメーに情けをかけた訳じゃねえ。弔ってやってくれ。」
「貴様…、」
「俺たちは天人ととは関係ねえ。お互い勘違いしてたんだからテメーも黙って退け。いいな?」
 男は暫く腑に落ちない様子で反論しかけたが、土方が有無を言わさず詰め寄ると黙って頷き、静かに一礼してから踵を返した。気配が消えたのを確認して、土方は刀を鞘に納める。
 振り向くと、少年がやはり困惑しながらその場に立ち尽くしていた。
 そっと手を伸ばすと、またビクリと震える。落ち着かせるように背中を擦りながら、静かに抱き寄せた。
「刀、勝手に返しちまって悪ィ、」
 少年はふるふると頭を左右に振って答えた。
 それどころか詫びるような視線を向けられて、また胸が痛む。

「…今まで、」

 ポンポンと頭を撫でると、恐る恐るといった風に土方の肩に寄り掛かってきた。

「そうやって、生きてきたのか。」

 独り言のように呟いた言葉に、少年は土方の背中にしがみ付いた。
 頬に触れる銀色の天然パーマ。何処か面影を残した風貌。
 土方の記憶に浮かぶ人物とは似つかない性格だった。だが、一つの可能性に想いが募る。

 もしかしたら、お前は。

 自分はこれ以上、この地に存在してはいけない人間だ。置かれている状況を理解してしまえば、帰らなくてはならない。わかっているのに、腕の中の存在を置いていくという事実に耐えられなかった。
 このままこの小さな子供の傍に居て、護ってやることができたなら。
 どんなに願っても、許されないことだとはわかっている、けれど。

 出会ってから、少年は一言も喋らない。
 土方の言葉に頷いたり首を振って答えることができるのだから、言葉を知らない訳ではなさそうだった。

(…せめて、ひと言でも、)

 土方の願いも虚しく、迷っている時間さえももう残りは少なかった。
 右足を引き摺りながら少年の手を引き、いつも休んでいた椋の木の下へ戻る。すると、地震が起きた訳でも無いのに根元から地面に掛けて2メートルほどの亀裂がくっきりと入っていた。目にした瞬間に、それが何なのか土方は理解した。まるで天から告げられたように、その亀裂が『繋がっている』のだということがわかったのだ。

 繋いだ手に力を込めて、土方は少年に向き直った。

「…悪ィ、もう、帰らなきゃならねえ。」

 唐突な言葉に少年が弾かれたように顔を上げる。
 土方を見上げている瞳が、みるみる内に歪んでいった。ふるふると首を左右に振りながら、少年は繋いでいない方の手で隊服の裾を掴む。指先が白くなる程に力を入れて握り締める様子に、ギリギリと胸が痛む。

「…悪ィ、」

 最低だ。
 中途半端に心を開かせておいて、去らねばならないのか。
 只でさえ傷ついて心を麻痺させていただろう子供に、また消えない傷を作るのか。

 堪らなくなって、小さな体を抱き締めた。
 今の自分の情けない顔を、見られたくなかった。
 自分はもう、この子供を護れない。ならば、せめて、

「…約束、してくれ、」

 小さな体は腕の中にすっぽりと納まってしまうくらいに儚い。

「いいか、絶対に生き延びろ、」

 少年の瞳は涙を湛えて震えていた。

「何しても、鬼になってでも生き延びろ。」

 抱き締める腕を緩めて正面から顔を覗き込むと、耐え切れないように少年の眦から一粒の涙が零れ落ちる。

「…お前を待ってる奴が、沢山居るから。」

 何て酷なことを小さな子供に強いているのだろう。頭の中ではわかっている。無責任な言葉だということも百も承知だ。それでも、どうか、生きて欲しい。

「俺が待ってるから、生きてくれ、」

 きっと、この為に自分は此処へ呼ばれたのだ。


「……やく、そく、」

 小さな唇が戦慄いて、か細い声が初めて土方の鼓膜を揺らした。初めて聞く、少年の声だった。
 差し出された小さな手は子供の手とは思えない程に痛々しく荒れている。その上、自分は更に試練を課そうとしているのだ。罪悪感に、胸が押し潰されそうになる。沸き上がる感情が零れ落ちないように歯を食い縛りながら、土方はその小さな小指に己の小指を絡めた。
「ああ、」
「やくそく、」
「絶対に、また会える。必ず見つけてやるから、」
 こくりと頷いて、少年も同じ様に唇を噛み締める。
 絡めた小指に力が込められる。彼はこれ以上涙を流さぬようにと顔を上げて、耐えているようだった。
 暫くそうして見つめ合った後、少年は一つ深呼吸をしてから再び口を開いた。
「…なまえ、」
「俺のか?」
 土方、と名乗ろうとして口を噤む。
 今更過ぎるような気もしたが、これ以上踏み入ってしまっても良いのだろうかと不安が浮かぶ。

 今、自分は人ひとりの人生を変えてしまった。
 自分の居た未来がこの出来事を含めた未来である保障は何処にも無い。

 迷った末に、土方の頭にある名前が浮かんだ。


 何だ。そういうことか、と妙に納得してしまいそうになった。



「…多串だ。」



 鼻先に朝露が垂れる。

 目覚めた先には同じ様に朝靄が広がっていた。
 長い夢でも見ていたのか、それとも現実の出来事だったのかわからない。骨折した足に添えていた筈の木の枝は何処にも無く、自分のスカーフが巻かれているだけだった。
 辺りを見回しながら、ゆっくりと起き上がる。すると目覚め始めた鳥の声に混じって、草木を踏み分ける音が徐々に近付いてきた。ザクザクと響く音に気配を消そうとする意思は微塵も感じられない。
 立ち上がらずに待ち続けていると、視界に大きな葉を携えた男がひょっこりと顔を出した。

「何の真似だ、そりゃ、」

 呆れたように伸ばした手に、男が指を絡める。

「そりゃアレだよ。何だっけ、コロボックル?」
「いい歳して何やってんだ。バーカ。」

 銀色の髪がふわふわと揺れている。
 あの時と、同じ。

「俺がバカならテメーは何だよ。」

 変わって響くのは、心地良い憎まれ口。

「なあ、嘘吐き多串くん?」

 ふざけたように笑みを浮かべながら、男は土方の小指に自分の小指を絡めた。

「テメーで待つって言っといて、」
「ああ、」
「こっちが待ちくたびれたっつーの。」
「…悪かったな、」

 重なる手の大きさが、今度は二人変わらない。
 絡めた指を玩びながら、同時に口を開く。

「「おかえり。」」

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