硝子格子の裡



 宴会の間、銀時はよく笑った。

 細波のように銀色の髪を揺らして、赤い唇で猪口に触れる。
 客より飲んでいるのではないのかと呆れながら視線を向けると、再びヘラヘラと笑う。戯れに土方の髪に触れ、その度に何でもねえよと言い訳した。どうやら直毛が羨ましいらしい。じっと無言で見つめ返すと、唇を不満げに尖らせて天パで悪かったなと呟く。

 そっと、手を伸ばす。

 指先が銀の髪に絡んだ瞬間、銀時はびくりと身を強張らせた。
 土方も咄嗟に手を引いた。触れた場所がびりびりと電気を流されたかのように痺れていた。熱い。


「今日は、世話になったな。礼を言う。」
「何言ってんだ。こちらのほうこそ御指名ありがとうございんす。」
「今更止めろよ、気色悪ィ、」
 科を作る銀時に眉を寄せると、またおかしそうに笑い出す。次第に馬鹿にされているような気になって、土方は銀時の額を軽く小突いた。大袈裟に痛がりながら、銀時が土方の袖を握る。背後から近藤の呼ぶ声が聞こえてくる。
 離れがたくなっていることに、二人とも気付き始めていた。
「…じゃあな、」
「……うん。あ、そうだ、ちょっと待ってろよ、」
 そう言い残して銀時はバタバタと足音を立てながら廊下を戻る。
 暫くすると、再び足音が近づいてきた。視線を上げると、銀時が何かを手にしているのが見える。
「ほら、これしてけよ、」
 毛皮を土方の襟に巻き、再び髪に触れた。
 優しい仕草に、言葉を失う。
「何回か咳してたろ?外、もっと寒くなってるだろうし、」
 堪らなくなって、土方は銀時に手を伸ばした。
 柔らかな髪、滑らかな肌に触れると、甘えるように頬を寄せてくる。無意識の仕草だと気付いたのは暫く経ってからだった。
「…返しに来いってことか、」
「ん?」
「銀時、」
 頭の何処かでは、これが商売の手なんだろうと冷静に考えることが出来る。
 けれど、それでもいいと思ってしまう。何故だと考えてももう遅い。

「また、来る、」
「…ん、」

 もう遅い。
 出会ってしまったのだから。




二、泡沫




「銀さん、土方さんが来ましたよ、」

 椿が描かれた簪を持って、新八がそう声をかけるのが合図になった。
 髢を付けて髪を結う時の新八はとても優しい。丁寧に、壊れ物を扱うかのように髪に触れる。以前は少し寂しそうな、悲しみを隠せないような瞳をしながら髪を結っていた。だが、最近は違う。あの男が来た時は嬉しそうに笑みを零す。まるで、あの男の来訪を喜ぶ自分の想いが伝染してしまっているのではないかと銀時は苦笑した。そんなに自分はわかり易いだろうか。
 何を考えているのかわからない、出会う人間全てにそう言われ続けていた自分が。

「…遅ぇよ、」
「怒りんせんでくんなまし。女は時間がかかるんでありんすぇ、」
「何が女だ、オラ、とっとと座れ、」
「んだよ、ノリ悪ィの。」
 銀時の軽口を受け流して、土方が手招きする。同時に土方は銀時の歩き方がおかしいことに気がついた。
 見れば、何か箱のようなものを後ろに持っている。何を隠してるんだと指摘すれば、銀時は悪戯がばれてしまった子供のように舌を出した。
「お前のだよ、」
 土方の横に座って後ろ手に隠していた盆を差し出す。
 火入れ、灰落とし、そして煙管と煙草入れが乗っている。金で椿の模様が施された、煙草盆だった。
 銀時は手際良く火をつけ、煙管を差し出す。嬉しく思うのと同時に、その慣れた手付きにちり、と胸の奥が痛んだ。
 客は、自分ひとりではない。その事実をいつも思い知らされる。

 湧き上がる不安を振り払うように、土方は自分の懐に手を入れた。ごそごそと小物入れを漁って目当ての物を取り出すと、そっと銀時の手に握らせる。
「…何だ?」
「此処に来る途中、縁日で買った。安モンだけどな、」
 透き通った深い藍色の蜻蛉玉が付いた根付が手の中で光っている。銀時は大事そうにそれを握ってから、自分の帯へと括り付けた。小さく、祈るように。
「ありがとな、大事にする。なんかちょっとお前みてえだ。」
「あ、そうか?」
「俺もあんだよ。今日行商の奴らが来たんだ、」
 そう言うと、銀時はいそいそと袖の中から一つ提げの煙草入れを取り出した。
 紐の先には赤い蜻蛉玉が付いている。こっちこそまるでお前の瞳のようだと思いながらそれを受け取り、土方は銀時を抱き締めた。手にしていた煙管をそっと盆の上に下ろす。銀時が小さく呻くのに気付いてゆっくりと体を離す。

「なあ、」
「何だ、」

 会話の先を土方は既に理解していた。
 それは既に何度も繰り返された問いだった。

「しねえの?」
「…しねえ。」
「お前もう、俺の馴染ってことになってるけど、」
「わかってる。でも金で抱きたくねえんだ。金で得られるモンは、結局金で失うだろ、」
「金で俺に会いに来てるのに?」
「銀時、」

 宥めるつもりで発した声は、低くその場に響いた。

 矛盾していることなどわかっている。けれどそうしてしまえばきっと気が狂う。今でさえ、銀時の首筋に残る僅かな情事の痕を目にしただけで、何も考えられなくなってしまうのだ。嫉妬に狂ってその相手を、いや銀時のことも殺してしまいたくなる。どうすれば自分だけのものにできるかと、そればかりで何も手に着かない。

 己の中に渦巻く醜い感情を思い知りながら、土方はきつく銀時を抱き締めた。

「俺ァ、本気なんだ、」
「…土方、」

 苦しげに発せられる言葉が胸を締め付ける。
 痛いほどの想いに、銀時はおずおずと口を開いた。

「本当に、そう思ってんなら、」

 唇が、震える。恐ろしくて堪らない。上辺だけの約束なら何度でもしてきた。けれど、本心など今まで一度たりとも口にしたことはない。それなのに、自分はこの男に全てを曝け出そうとしている。拒絶されることへの恐怖が、銀時の中を満たしていく。それでも言葉を紡いだ。僅かな、期待を持って。

「…あと、十月。年が明けるまで待ってくれねえか、」
「銀時?」
「そしたら年季が明ける。俺、ここで、働く必要無くなるんだよ、」

 思いがけない言葉に、土方は自分の耳を疑った。銀時は俯いたまま、土方の着物の裾を握り締めている。伏せた睫毛が震えるのに合わせて、土方は自分の体が歓喜で震えるのを感じていた。
 急に抱き締められる力が強くなるのを感じて、銀時が顔を上げる。それを待ち構えていたかのように、土方は目の前の赤い唇に激しく口付けた。

「っ、ひじ、」
「…ってくれんのか、」
「なに、」
「そしたら、一緒になってくれんのか。」

 ぽつりと頬に雫が垂れた。頑なに閉ざしてきた心の雪が解けていく。

 嘘でもいい。
 できるなら、この幸せの中で死んでしまいたい。

 溢れる想いを堪えきれず、今まで得た恋の手管も忘れて銀時は小さく頷いた。
 唯の、子供のように。




 仕事が忙しくて暫く会いに行けない。

 泣き言にも似た手紙をしたためて、土方は天井を仰いだ。溜息が出るのを止められない。あの日から何日会っていないのだろうか。貰った煙草入れを握り締めて胸に問う。
 いや、むしろあまり会えないほうがいいのかもしれない。会ってしまえば自分はきっと嫉妬に狂う。傷つけてしまうくらいならと自らに我慢を強いる。早く、年が明ければいいのにと思ってもまだ明けたばかりだ。あの約束だけが、土方を生かしていた。

「副長ー、これ目を通しといて下さい。」
「テメーでやれ。」
「俺でいいならとっくにやってますよ。我儘言わないで下さい。あと近藤さん知りませんか。」
 両手に書類を抱えて山崎が溜息を吐く。
「近藤さんならどうせ長谷川屋だろ。ったく、昼間から遊びやがって、」
「またですか。あ、それで副長機嫌悪いんですね。自分が行けないから。」
「うるせェェェ!!!」
 何で知ってんだ、と言ってしまいそうになりながら山崎を殴りつける。だがその行為は図星だということを示したに過ぎない。山崎はへらへらと笑いながら、大人気ないな、なんて呟いている。腹が立ったのでもう一度拳を振り上げると、山崎は我に帰ったように真面目な顔つきに戻った。
「あ、そうだ。長谷川屋、拙いんですよ。」
「ああ?何の話だ?」
「吉原から訴状が出てます。ちょっと有名になりすぎましたね。」
 幕府公認で尚、運上金を納めている吉原にとって、私娼が栄えるということは当然商売に差し支える。本来吉原に流れるべき金が減るのでは運上金を納めている意味が無い。その為、吉原は幕府に密告し、摘発を要請する。警動と呼ばれる私娼の取り締まりはそうして不定期に行われた。だが、多くの私娼は運上金代わりの賄賂を流していることが多く、吉原からの要請があっても幕府は中々重い腰を上げない。大抵は黙認だった。


『あと十月で年季が明ける』


 十月待てば、銀時は自由になれる。
 最低でも十月、待たなくてはならない。嫉妬に身を焦がしながら待たなければならない。

 だが、もし今、長谷川屋が潰れれば―。





 カンカンと鳴り響く鐘のような音で銀時は目を覚ました。
 同時に、新八が血相を変えて部屋の戸を乱暴に開ける。

「うっせーな、何なんだ、」
「銀さん!起きて下さい!大変なんです!」
「はー、何?チンコ腫れたか?」
「馬鹿言ってないでとっとと起きてください!警動です!!」

 バタバタと慌しく廊下を駆け抜ける音が止まない。

「んだと?何で警動?今時そんなの都市伝説じゃねえのか?」
「知りませんよ!とにかく銀さんだけでも逃げて下さい!捕まったら、」

 黒い羽織を銀時の頭に被せて、新八が叫ぶのと同時に部屋の戸が荒々しく開かれた。

「御用改めでさァ、」

 亜麻色の髪をした青年が、刀を突きつけながら部屋の中に押し入ってくる。

「店主の長谷川は何処でィ、」
「し、知りません!」
「見ての通り警動だ。アンタらも来てもらおうか。」
 新八が、震えながら銀時を庇うように前に立った。嫌ですと呟くと、目の前の男がぴくりと眉を寄せる。
 ピリピリとした空気が流れる。暫くの沈黙の後、声を発したのは誰でもない第三者だった。いきなり姿を現した人物に、銀時と新八は息を呑む。

「おい、総悟。止めろ。ここには居ねえ。てめえは上の階を探せ。」
「ったく、人使い荒いですねェ、」
「うるせえ、とっとと行け。」
「はいはい。」

 自分の目を、信じたくなかった。

「…ひじ、かたさん?」

 どうして馴染の客がここにいるのか。
 唖然とする新八の耳に、笑い声が聞こえてきた。振り向くと、銀時が肩を震わせている。

「そーいうことかよ。役人だとは聞いてたが、まさか奉行所の奴だったとはな。」
「銀さん…?」
「新八、お前は姉ちゃんのとこ行ってやんな。俺ァ大丈夫だからよ。」

 有無を言わさない口調できっぱりと銀時が言うのに逆らえる筈が無い。
 新八は後ろ髪を引かれる想いで部屋を後にした。

「銀時、」

 欲していた人間が、漸く手に入る。土方は溢れる想いに身を震わせた。
 だが、差し出した手を銀時は握ろうとしない。酷く悲しそうな笑みを浮かべている。

「…最初っから、そのつもりだったんだろ?」
「何を、」
「取り締まる為に、俺に近付いたんだろ?…全部、嘘だったんだろ?」
「何言って、」
「馬鹿みてえだよな。俺もあんな言葉鵜呑みにして…ちょっと考えりゃこんなことある筈ねえってわかるのに、」

 俯いた睫毛が、灯りに照らされて光る。まるで、濡れているように。

「銀時、」
「触んな!笑えばいいだろうが!」
「何言ってんだ、俺はてめえを自由にしてやりたくて、」
「うるせーよ、この期に及んでまだ嘘吐く気か?」
「違う!お前一人なら、逃がしてやれる。一緒に、」
「…俺、ひとり?ふざけんなよ、」

 顔を上げた銀時の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。


「俺は、一生テメーを許さねえ。」


 部屋に飾られた椿の花が暗い闇へと落下していく。
 その首ごと、落ちるように。


 差し出された土方の手を振り払って、銀時は部屋の外に出て行ってしまう。
 訳がわからずその場に立ち尽くしていると、呆れたような声が背後から向かってきた。

「あーあ、悪い男ですねェ、」
「総悟、」
「恋仲の振りしてこんな仕打ち受けたんじゃ、浮かばれねェや、」
「何言ってんだ。」

 自由になったら、一緒になろうと約束した。それなのに。

「アンタまさか、知らねえんですかィ?」

 沖田の驚いたような声が、遠くに聞こえる。

「まあ、無理もねえか。警動なんてのは何年かぶりな出来事ですしねェ。俺らがこの職に就いてからは初めてだしなァ、」

 耳鳴りは、次第に大きさを増していった。頭が割れそうだ。

「警動で取り締まられた私娼は取り潰されるだけじゃねェ。そこで働いてた女郎は罰として三年間、吉原で無給で働かされるんでさァ。奴女郎って蔑まれて、嫌な客を振ることも許されねえ。奴隷と同じでさァ。」
「…それは、アイツには関係ねェだろ、」
「男だから?そんな筈ねェでしょうや。あの旦那の器量で値がつかねえとでも?」
「…馬鹿な、」
「アンタだってわかってんでしょう?あの旦那は人を呼ぶ。だからアンタこうやって焦ったんじゃねェんですかィ?」


『…あと、十月。年が明けるまで待ってくれねえか、』


 幸せそうな声が、脳内に虚しく響く。


 銀時、


 俺は。


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