Kissing, to ring the changes 2


 理想の家庭像というものを考えてみたことがある。

 あくまで想像の範囲に過ぎないけれど、庭付き一戸建て。子供は二人か三人か。一姫二太郎とはいうものの三人目はどっちでもいい。季節の草花が咲き乱れる手入れの行き届いた庭。そこを走る大きな白い犬。いつも笑い声が絶えない家。そんな感じだろうか。
 だったらもう、一戸建て以外は手に入れてるのかも。そうか、これが幸せか。

「だったら、結婚すりゃいいだろ。」

 え?結婚?なんで?
 何が『だったら』なんだよ。意味繋がってねえだろうが。

「幸せにしてやるから。」

 はあ?だから俺はもう幸せだっつってんだろ。大きなお世話だ。

 訳がわからずそう叫んでみようとしたが、どういう訳か声は出なかった。
 そっと差し出された手が頬を撫でると、今度はもう片方の手に左手を掴まれて引き寄せられる。
 目の前の人物は殊更恭しい仕草で、まるで西洋の騎士のように左手の甲に口付けた。

「健やかなる時も、病める時も、生涯愛することを誓いますか?」
「では、指輪の交換を。」

 ちょっと待て!意義あり!意義あり!
 何なのコレ!どっちかって言うと今は止める時だろうが!止まれェェェ!
 抵抗したいのにまだ声が出ないどころか指の一本すら動かないのはどうしてだろうか。
 そうこうしている間にきらりと輝く銀色の指輪がゆっくりと嵌められていく。わなわなと体を震わせていると、辺りを覆っていた濃霧が少しずつ晴れていった。
 風景が明るく色を変え、手を握る人物が首を傾げるようにして少し照れ臭そうに微笑む。
 ちょっと待て、お前キャラ違うだろ気色悪い。
 そう言おうと口を開いた瞬間、指輪だった筈の物がじゃらりと嫌な金属音を立てた。

「もう、俺から逃げられるわけねえだろ。」

 プラチナの指輪は手錠に姿を変え、足には重い枷。着せられていたタキシードはいつの間にか囚人服だ。
 困惑していると、男はまるで決闘を申し込んでいるかのように、殺気のたっぷり籠った視線を銀時へと向けた。
 やはり瞳孔は開いている。
「お前は俺のモンだ、万事屋。」

 出ない声で叫んだ。それしかできなかった。


 ギャアアアア!


「…だああっ!」
 ダラダラと冷や汗をかきながら文字通り飛び起きる。ぜいぜいと上がってしまった息を整えながら辺りを見回し、静かに溜息を吐いた。
「あー夢か。あーよかった。ありえねぇ、うわ、びびった、ありえねぇって、」
 こめかみから流れ出た汗が、頬を伝って右手の甲に落ちた。締め切った部屋は空気が篭っていて息苦しい。とりあえずと手の平を扇いで風を送る。
「何だってんだまったく。ありえな、」
 僅かな風で涼を得ることなど到底できないが、無いよりはマシだ。しかし、ふいに飛び込んできた物に言葉を失った。
 ひらひらと目の前で揺れる左手、の薬指に光る物。それは夢の中にしかありえない筈の物で、ここにある筈ないというのに。

「ギャアアアアア!」

 悪夢はまだ、終わらない。


 銀時の悪い夢が始まったのは約二週間前に遡る。

 その日は別になんてことのない一日である筈だった。いつも通り遅く起きて、家賃回収の魔の手から逃れてパチンコへ向かう予定だった。
 普段と違ったことと言えば、出かける時に玄関先に小鳥の雛が落ちていたことだ。どうやら軒先に巣を作っていたらしく、踏んでしまわなかったことに安堵して拾い上げる。
 親鳥が帰る前にと巣に戻せば銀時に向かって元気にさえずり始めた。まるでお礼を言われているような気になって、むしろ普段より上機嫌になる。
 道中で甘味屋に立ち寄ると、季節限定の麩饅頭の看板が「今日から始めました」との貼り紙で銀時を呼んだ。誘われるままに外の長椅子に腰掛ける。
 桜の季節は過ぎて、辺りはすっかり暖かい。新緑が彩りを増して、これから一気に夏へと向かうのだろう。
 麩のもっちりとした食感と生地に練り込まれた海苔の風味。最初の一口を一気に頬張れば控えめな甘さの上品なこし餡が混ざる。
「あ〜美味ェ。」
「だらしねえツラしやがって。」
 目を閉じてその味を堪能していると、不機嫌そうな声が聞こえてきた。現れたのは土方だった。
「うるせーな。税金泥棒に文句つけられる謂れはねーぞ。」
 苛々すると饅頭が不味くなってしまう。一刻も早く退散して欲しい人物だったが、何故か土方はそのまま銀時の隣に腰掛けた。
「何だよ。」
 懐から煙草を取り出すと、箱にフィルターをトントンと打ち付けている。火を点ける素振りはない。
 どこか、落ち着かないような印象だった。
「話がある。」
「ああ?何の?面倒事は御免だぞ。」
「団子でも追加するか?」
 好きなだけ食えよと言う姿に悪い予感はしなかったと言えば嘘になる。そういえば以前、地下闘技場に関わった際も土方はマヨネーズまみれのカツ丼を出してきた。全く同じシチュエーションだ。
 タダより高い物は無い。そんなことはわかりきっていたのだからこの時すぐに逃げ出すのが選択肢としては正解だった。だが、ただでさえ金欠で碌な物を食べていなかった体に目の前に並べられた糖分は毒だ。逃げることなど叶わない。
「足りなかったら頼めよ。」
 甘い誘惑の言葉にぐらりと理性の傾く音がする。表情を窺うように首を傾げる土方の瞳は真剣そのもので、何だか言葉が続かなかった。やはり以前と同じ厄介事なのかもしれない。
「ちょっと手ェ出せ。」
 言葉にするのも憚られるようなことなのだろうか。ごそごそと懐を漁り出した土方に、銀時はそろりと左手を差し出した。右手は饅頭で塞がっていたからだ。しかもちょうどその時口に含んでいた饅頭が喉に痞えた。
 げほげほと咽ながら、傍らの茶を一気に流し込む。
「何やってんだ馬鹿。大丈夫かよ。」
「…っ、るせ、」
 苦しみながら胸を叩いていると、土方が自分の茶も差し出してくる。遠慮なくそれを口元に運ぶと、己の指が目に入った。ふと違和感が空気を取り巻く。しみじみ見ると、左手の薬指に銀の指輪が嵌められていた。
「万事屋、」
「へ?」
「今日もし会ったらって、決めてた。」
「ああ?つーか何コレ、」
 薬指に光る金属を指さしてみたが、疑問はあっさり無視される。握った手に力が込められるのを感じると同時に、土方は一度深呼吸してから一音一句を噛み締めるように言葉を重ねた。

「俺と、一緒になってくれねェか。」

「……は?」

 それが、銀時の悪夢の始まりだった。

 質の悪い悪戯だとしか思えなかった。
 そういう冗談を言うタイプの人間でないことはわかっていたが、だからといって発言の真意を理解するなどできない。
「何言ってんだ。冗談も休み休み言え。」
 そう言い放って、銀時は極めて冷静にその場を去ろうとした。もしかしたら沖田あたりと何かあって罰ゲームでもさせられているのかもしれない。可能性はありそうだ。だが、指輪を外そうと手をかけて固まった。
 外れないのだ。グイっと力任せに外そうとしても、逆にゆっくり押し上げてみても指輪は間接部分の肉を巻き込んで、そこからちっとも上に動こうとしない。
 ひやりと汗が背中を伝うのを感じながら銀時が悪戦苦闘していると、土方の口元が一瞬少し嬉しそうにつり上がる。意味もわからず膨れ上がった苛立ちに任せてぶん殴ってその場を立ち去った。
 仕方なく家に帰って石鹸を使ってみても、冷やしてみても一向に外れない。まるで呪いの指輪なのではないかと背筋を震わせていると、見かねた神楽に指ごと持っていかれそうになってしまった。
 どうにか逃れて以来、その指輪は銀時の左手薬指に嵌ったままだ。さらに、悪夢はこれだけで終わらなかった。

 ぴんぽーんと間延びしたインターフォンの音が責めるように鳴り響く。

(しまったァァ!今何時だ!)

 慌てて時計の針を見上げるが、時既に遅しだった。針は無常にも九時を示している。
 和室の襖を開けると、居間に籠った甘ったるい香りがムッと流れ込んできた。新八と神楽の姿は既にない。視線を巡らせばテーブルの上に「定春の散歩に行ってきます」と書置きが残されていた。
「クソ、アイツら逃げやがったな。」
 何故なら彼らは知っているのだ。あの日から続いているもう一つの悪夢を。
「坂田さーん!」
 一向に鳴り止まない機械音が、まるでホラー映画のテーマのように頭に響く。
「おはようございます〜屁怒絽ですけど〜」
(ひぃぃぃぃぃ!)
 ガラガラと戸が開く音と共に近づく気配。
「おかしいなあ。新八くんたちは家に居るって言ってたのに、あれ?開いてる。不用心だなあ。」

(…んだと、アイツら裏切り者がァァァ!)

「坂田さーん!」
「…は、はーい、ど、どうもおはようございます。い、いや〜いい天気で良かったですねぇ、」
「あ、よかった。居たんですね。おはようございます。」
 穏やかな口調と共に見せる笑顔の背後に稲妻が見える。気のせいではない。
 堪らず自然に後退ろうとする銀時の動きを察知したかのように、やたらと大きな手が物凄いスピードで差し出された。
「はい、お届け物です。マーガレットが綺麗な季節になりましたね。因みに花言葉は真実の愛だそうですよ。素敵だなあ。」
「あ、はあ…でももう家の中花でいっぱいなんで受け取れな、」
「坂田さんっ!」
(ひぃぃぃぃ!!!)
「そんなことだろうと思って今日はいい物を持ってきたんですよ。はい、これにポプリの作り方載ってますから、」
「え、」
「あと、バラはジャムにしてもいいと思うんですよ。ね?」
「…は、はい。」
 あまりの迫力に抗えない。手渡された本と花束をすごすごと受け取ってしまう。もはや抵抗する術はなく、只ひたすら時が過ぎるのを祈っていた。そう、わかっている。これはあの男が送り出した刺客なのだ。
「それにしても、副長さんは本当に良い方ですね。」
「はあ、」
「毎朝巡回前にウチの店に寄って坂田さんの為に花を選んで送るなんて、中々できることではありませんよ。」
「へ、へぇ〜」
(…どう考えても新手の嫌がらせにしか思えねェんだけど。)
「偉そうにしないで気さくに接してくれるし、まだお若いのに今時珍しいですよね、」
「そ、そうですか…」

(クソ、そんなに俺が殴ったこと根に持ってんのかよ。手の込んだことしやがって、ニコチンマヨ中毒がァァ!!)

 毎日毎日毎日、これでは寿命がいくつあっても足りやしない。
 夜は魘されるし、かといって目覚めたら目覚めたで世にも素敵な隣人が待ち受けている。
 部屋は送られた花と甘味で溢れかえり(まあ、糖分は仕方ないのでその日の内に胃の中へ処分しているが)、そこかしこに甘い匂いが漂っている。

 指輪はやはり今日も抜けない。

「坂田さんっ!」
「はいいいいいい!」
 突然の大声に身を固くして飛び上がると、屁怒絽が銀時の両手をがっしり掴んで真剣な視線を向けた。ぎらりと放つ鋭い眼光に思わず竦み上がる。
 ああ誰か。経でも読んでくれ。様でも伯爵でもなんでもつけて崇め奉るからお願いします。
「愛されることは奇跡ですよ。大事にして下さいね。」
「は、はあ、」
「それでは僕は仕事があるので戻らなきゃ。失礼します。」
「ど、どうも、」
 ガラガラ、ピシャン、と目の前の戸が閉まるのと同時にへなへなとその場に座り込む。
 受け取った花束を叩きつけてやりたかったが、花に罪は無いし、それはあまりに大人気ない。相手の意図も全く読めていないのだ。
 腕の中の花束を覗き込む。控えめに花を咲かせた白いマーガレットが、それでも華やかに存在を主張していた。

(…どう考えたって、好きな奴にするこっちゃねぇだろ、)

 指輪、花束、菓子、数え切れない贈り物。

(…自分の手は汚さずにってことかよ?何なんだ。)

 物だけはどんどん増えていくのに、あれ以来一度も顔を現さない土方。
 嫌がらせの他にどんな意味があるというのか。

『愛されることは奇跡ですよ。』

 蘇る言葉に再び溜息を吐く。

 奇跡だって?そりゃそうだ。
 ありえないのだから。

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