Kissing, to ring the changes 1


 ふわりふわり、ゆらゆらとピンク色をしたシャボン玉が浮かんでいる。
 触れてしまえばパチンと弾けて、落ちて、また新たな想いが舞い上がる。

 犬も食わないとはよく言ったものだ。
 強烈なラブアタックなんて只の一方通行だろう。虚しさだけがその手に残るのだとは思わないのだろうか。
 自分のことを棚に上げてそんなことを思ってしまう。

「局長、またですか。いい加減にしてくださいよ。」
 桜の季節はもう終わり、時折吹く強い風が青々とした新芽を揺らす。足元に僅かに覗いた名も知らぬ雑草も、抜くのが憚れる不思議な季節だ。
 いつの間にかほぼ日課になってしまった近藤の手当という仕事をこなす為に、山崎は救急箱から湿布を取り出した。
「いや〜悪い悪い。」
「ほんとですよ。副長の言葉じゃないですけど、これじゃ他の隊士に示しつきませんって。」
 言葉を受け流すようにヘラヘラと締まりの無い顔で笑う姿は、本当に悪いと思っているのかと疑うには充分だった。実際その通りなのだろうが、しょうがない人だと釣られて笑ってしまう。
 頬に向かって乱暴に湿布を張り付け、瘤のできた頭を氷で冷やす。すると近藤が何かに気付いて庭先へと手を振った。
「お〜い!トシ!」
「あ、副長見てくださいよ。また局長が」
 近藤の掛け声に振り向き、そう続けようとして山崎は固まった。目に飛び込んできたのは俄かには信じがたい光景そのものだったからだ。
「ちょ、どうしたんですかそれ!外で何かありましたか?」
 そこには近藤と同様に左頬を真っ赤に腫らした土方が庭を歩いていたからだ。
「どうしたんだ?とりあえずお前も手当してもらえ。」
「…いらねーよ。」
 近藤の言葉に憮然とした態度で視線を逸らすと、懐から取り出した煙草に火を点ける。仕草はいつもと同じせいで、より腫れた頬への違和感が増していった。
「湿布くらい貼っとけよ。副長がそんなんじゃ他の隊士に示しがつかねえだろ?」
「…局長、それだけは局長に言われたくないと思いますよ。」
「まあまあ、どうした。お前もフラれたか?」
 呆れながら発した山崎の言葉を軽く流して、近藤が土方を縁側へ招く。自分の横へと座らせると穏やかに笑ってその顔を覗き込んだ。すると、土方はグッと息を呑んでから気まずそうに押し黙った。
 意外な反応に冷や汗が垂れていく。まさか近藤の指摘が図星だなんて思いもしない。
 今日は槍かマヨネーズでも降るのではないだろうか。
 山崎があたふたと隣に視線を向ければ、近藤は平然とした表情を崩さずに笑っている。まるで子供をあやしているようにも見えた。
「色事の相談ならこの恋のハンター近藤勲に任せろ!な?言ってみなさい。」
 色々ツッコミたい衝動に駆られたが、必死に押し黙る。成り行きをハラハラ見守っていると、土方が真面目な顔をして拳を握り締めているのが目に入った。これはふざけるなと激昂するパターンではないのだろうか。
「…近藤さん、」
「何だどうした?」
「いや……んな情けねェこと、」
 だが、発せられた今にも消え入りそうな口調に耐え切れず吹き出してしまう。慌てふためく山崎を尻目に二人の会話は続いていった。
「なんだなんだお前も隅に置けねえなぁ。どんな人?」
「どんな…?」
「かわいい系?美人系?」
 開いた口を閉じることができず、せめて変なことを口走らないようにと手のひらで必死に塞ぐ。今何か下手なことを言ったら切腹待ったなしではないだろうか。
「考えたことなかったな。美人、か?いやでも仕草とかは可愛い、か?」
「お、いいじゃねえか。お妙さんもそうなんだよ。いやまさかお妙さんじゃないだろうな!」
「何言ってんだ。恐ろしいこと言わないでくれよ。アンタと一緒にしないでくれ。」
 顎に手を当てて、真剣に唸っている。はぐらかすこともしないのは本当に近藤にアドバイスを求めるつもりなのだろうか。そこまで追い詰められているのだろうか。
(…あの副長が、ひえええ、)
 真選組一の色男とも呼ばれ、女性にモテるのは周知の事実だ。しかし、如何せん仕事柄浮ついた話などなかなか無い。硬派が服を着て歩いていると揶揄されたこともある。
 そんな男がまさか色恋に頭を悩ます姿を見る日が来るとは一切予想していなかった。
「年上?年下?」
「…たぶん、同じくらい。いや、ちょっと上か?わかんねえな。」
「へえ〜何だよ水臭ェなあ。早く言ってくれればいいのによ!」
「いや、付き合ってる訳じゃねェし、」
「ええ!?違うの?トシが?」
 近藤がぐいと身を乗り出して、土方の肩を掴んで揺さぶる。土方はガクガクと揺られながらも抵抗せず、どこか諦めたように溜息を吐いた。
「…俺は、そうしてえんだけどよ。」
 向こうはコレだからな。そう言って腫れ上がった左頬を指さして自嘲気味に笑う。
(うわ、うっわ〜!ウッソォォォ!強者…!)
 この鬼をぶん殴る女性が居たとは、なんと世界は広いのだ。同時に土方が殴られても受け入れているなんてどれほど相手に入れ込んでいるのか。しかも頬の痕はよくよく目を凝らしてみると平手ではなく、拳のようだ。
 驚愕のあまり腕を組んで考え込もうとするが、山崎の思考を無視して更なる爆弾発言が続く。
「…一緒にならねえかって、言ったんだけどよ。」
「ええええええ!プロポーズぅぅぅ?」
 目から鱗どころか目玉そのものが飛び出てしまいそうな衝撃に襲われる。たっぷり叫んだ数秒後、山崎が我に返ると二つの冷え切った視線が己を容赦なく貫いていた。
「あれ?山崎、何でいんの?」
「…てめえ、聞いてやがったな。切腹だコラァ。」
「俺は最初っからいました!勝手に話始めたのそっち!!」
「まあまあそんなことより、トシ、」
 『そんなこと』じゃないと再び叫びそうになって口を噤む。火に油だ。
「さっきお前恋人じゃねェって言ったよな。」
「…ああ、」
「いきなりプロポーズしたの?」
 近藤の問いに息を呑むように押し黙る姿は肯定しているのと同じだ。
「その前にちゃんと告白した?」
「いや、そういや言ってねェ。」
 山崎の葛藤を余所に近藤が頭を抱え出す。不本意だが、土方の注意を自分から逸らしてくれたことには感謝しなければならない。
 ふう、と溜息を吐きながら少しずつ後退った。気にならないと言ったら嘘になるが、巻き込まれるのも御免だ。何だか嫌な予感がする。
「トシ、そりゃダメだ。本気だと思われてないかもしれんぞ。」
「はあ?んなこと、」
 大げさに肩を竦めてから、反論しようとした土方に向かってビシリと人差し指を突きつける。
「コレだからモテる奴はわかってねえんだ。お前今まで自分からいく必要なかっただろ?黙っててもアッチからくるもんなあ。そりゃいきなりプロポーズに走るのもわからんでもねえが。」
「…何だよ。」
「そうじゃなくて、もっと普段からこっちの気持ちをアピールしねえと!言葉はもちろん、相手の喜びそうなことをしてあげてよ。その人の好きなものとか、花束とか贈ったり。」
「はあ?花なんか買えるかよ。」
「そう!そこだよ。男が花買うのって恥ずかしいだろ?でもあなたの為ならできますってアピールだよ。」
「…アピール?」
「お妙さんも花束とブランド物は受け取ってくれるんだよ。『花に罪はないですからね』って本当優しいよなあ。」
(…局長、それ何か違う。)
「な?がんばれよ!」
「近藤さん、」
「なあに、一度フラれたくらいで男が諦めんな!」
 何だか根本的な部分が間違っているような気がしたが、聞いてはいけないことに変わりはない。口を開かずに山崎はもう一歩後ろにさがってみた。
 うん、まさに山崎退。逃げます。抜き足差し足忍び足。全神経を集中させなくては。
「わかったよ。ありがとな。」
「よし!健闘を祈ってるぞ!」
 そんな会話を背にしながらゆっくりと廊下を歩き出す。ホッと息を吐いて角を曲がろうとした瞬間に、全ての希望は打ち砕かれた。
「な!聞いたからにはお前も協力するだろ?ザキ!」

 吐息に舞い上がるは桃色の片想い。
 未だ見ぬ、彼の人相手に仕掛ける恋の罠。
 踏んだ地雷に巻き込まれて弾け飛ぶのも彼次第。

 ああ、我は悲しき手駒かな。

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