Hinky-Pinky Symphony



 靴の中に水が入って気持ち悪い。

 歩く度に靴下から水が滲み出る感触に耐えられなくて裸足になった。全身ずぶ濡れの俺に、すれ違う人間が不審そうな視線を向けてくる。こんな職業でもなければ真っ先に通報されているだろう。 隊服を着ていて良かった。おかげで一戦やり合った後だろうとでも思われているかもしれない。

(…ある意味一戦だったけどよ、)

 ふっと諦めの溜息を吐いて顔を上げる。
 燃えるような夕日にカラスが数羽飛んでいる。絵に描いたような光景を遠い目をしながら見詰めた。つう、っと涙が一筋頬を流れていくのに気付いて慌てて目元を擦る。
(…情けねぇ、この俺が敵前逃亡たァ……)
 情けなさ過ぎてどうしたらいいのかわからない。今だってあわよくば二戦目に突入しようとする男を甘味屋に押し込んで命辛々逃げてきたのだ。
「…はぁ、」
 一歩一歩踏み出そうとする足が重くて堪らない。一体何でこんなことになったんだ、ともう何度目かわからない疑問を頭の中で繰り返す。もう何だかいろんなものが打ち砕かれた気分だ。まさか自分がこんな目に遭うなんて予想もしなかった。いや、してたら変態だろう。

 がっくりと項垂れながら、重たい体を引き摺るようにして歩く。今日はツイてるなんて思っていた昼までの自分を嬲り殺したい。暢気にしてんじゃねえよ、お前は今からトンでもない目に遭うんだからな!と過去に戻ってガクガクと肩を揺さぶりたくなるが、そんなことができる筈も無い。命が助かった代償がアレじゃあ余りに大きすぎるんじゃないだろうか。
 うっ、畜生、また思い出しちまった。
 泣きそうだ。もういっそ膝を抱えてしまいたい。
 そういえば、つい先日「変な人に追われてるんです!」と泣きながら屯所に逃げ込んできた女がいたが、あの時はこういう気持ちだったのだろうか。犯人を捕まえても泣き止まない女に内心苛立っていたが、今なら全身全霊かけて彼女に謝罪しよう。俺の認識が甘かった。何て俺は酷い男なんだ。心のどこかで襲われるほうにも問題が…なんて思っていたのだ。本当に申し訳無い。できることなら今すぐにでも謝りたい。俺が悪かった。こんなにショックだとは思わなかった。
 あ、また泣きそうになってきた。
 ぐすりと鼻を啜る。畜生、あんな奴だとは思わなかった。
 奴はちゃらんぽらんで、ほぼ無職で、いい加減で、金にがめつくて、気に食わなくて。でも、やたら強くて、何かを守り通そうとする時の真っ直ぐな意志は認めていたのに。
 まさかあんなことをするとは。…ってアレ?ってことは俺はあの野郎がもっとマシな奴だって思ってたってことか?あの野郎の行動に怒りよりもショックを受けるほど、奴を買い被っていたということか?そんなバカな。それじゃあまるで、

『え、でも俺お前のこと好きだし、お前、俺のこと好きじゃん?』

『お前、俺のこと好きじゃん?』


「んなわけあるかァ!!ボケェェェ!!!」

 思わず出た叫び声に、電線に止まっていたカラスの群れが一斉に飛び立つ。
 違う、違う、そんなわけねぇ。男としてのプライドとか自信とかそういったものが打ち砕かれたからショックなだけだ。こんな状態だから思考がさらにネガティブになっているだけだ。そうだ、もう忘れてしまえ。交通事故にあったようなもんだ。犬に噛まれたようなもんだ。忘れろ、ポジティブになれ十四郎。そうだ、よし。仕事のことでも考えるとするか。

『……ん、ァ、俺ん中、気持ちい、い…?』

「ぎゃああああ!!!」

 不意に舌足らずな甘え声を思い出し、額をガンガンと電柱に打ち付ける。ダラダラと血が溢れてくる感覚にようやく落ち着きを取り戻す。そうだ、ちょっと頭に血が上っているだけだ。少し流せば大丈夫だ。クソ、忘れろってんだよ。間違っても気持ち良かったとか思い出すんじゃねェェ!!



「うわ、どーしたんですか副長!」
 庭先でラケットを振っていた山崎が俺の姿を見つけて、あたふたと声を上げる。
「…何でもねェ。俺はもう今日は上がる、」
「あ、はい!お疲れ様でした!」
 仕事をサボって素振りをしていたことを怒る気力も無かった。何だか廊下も真っ直ぐに歩けない。
「そのままじゃ風邪ひいちゃいますよ。風呂できてると思うんで入ってから休んで下さい。俺ちょっと確認してきます、」
 パタパタと走り去る背中をぼんやりと無言のまま見詰めた。何だか無性に山崎がイイ奴に見える。というかこの場所で繰り広げられているいつも通りの日常が愛しくて堪らない。ああ、今まで自分は幸せだったんだなぁとガラにもなく思ってしまう。当たり前の日常がどれだけの奇跡であるか、俺はずっと知らずにいたのだ。なんて愚かだったんだろう。
「…何悟り開いたみてえな気持ち悪ィツラしてやがんでィ。後ろからぶっ放しやすぜ、」
 総悟の憎まれ口にも怒りは沸かなかった。ただ、何もかもが虚しい。ああ、これが無常か。もう何だか今なら出家できそうな気がする。
「土方さん?」
 今更ながら体が冷えて、耐え難い寒気が襲ってくる。ガンガンと頭が寺の鐘に打ち付けられるように鳴り響き、山崎の忠告を無視して布団に入った俺は案の定高熱に見舞われる羽目になった。


 ぼんやりと霞む意識の隅で声がする。

「……で、」

 誰だ?

「…ら、頼みまさァ、」

 ああ、総悟か。
 また人の寝首掻くつもりじゃねぇだろうな。

「……、……よ、」

 総悟と、もう一人か?
 誰だ、近藤さんか?それとも山崎か?
 まあいいか。誰でも。

 ショッキングピンクの空を今度は白い鳩が飛んでいる。またこの夢か。ふう、と息を吐くと空は急に色を変え始めた。突然現れた甘い水飴のような滝。そして、空が端から銀色へ塗り潰されていく。思わず、ひっと息を呑んだ。グラグラと頭が揺れる。重い体に嫌な予感を感じながら、必死に夢から覚めようと辺りを彷徨う。
 体が重くて熱っぽい。そりゃそうだ。風邪ひいちまったんだから。そう自分を納得させようとした瞬間、サアッと血の気が失せていく。

 いやそんなバカな。
 でも、と、振り切るように勢い顔を上げた。

 …上げなければよかった。

「ぎゃあああああ!!」

 誰か悪夢だと言ってくれ。一体俺が何したってんだ!
「どけェェェ!!何でいんだよ!どっから入った!!」
「んー、ひいひゃらひゃいいっへ、」
「何言ってっかわかんねーよ!つーか顔を離せェェェ!!」
 こともあろうに股間で銀色の頭が上下に揺れていた。しかも動けないようにがっしりと太股を押さえつけられている。ぶん殴ってやろうと力を込めた手は頭上で括られ、ギシギシと縄の軋む音だけが無常にも響いた。何でこんなとこに縄が…って、さては総悟の差し金かァァ!!
「待て、ほら、とりあえず落ち着け、い、今ならまだ許してやる、」
 畜生、テロ事件の犯人にさえこんなこと言った覚えはねえってのに。
 勤めて優しく出した声は情けなくも震えている。その言葉に万事屋はようやく顔を上げて俺の顔を見た。濡れた口から自分の立ち上がったものがプルンと飛び出すのを目の当たりにして泣きたくなる。

 ほんとにしゃぶってやがったコイツ…!信じらんねえ!
 ぬらぬらと奴の唾液で濡れているソレを見ないようにしながら、目の前の男へ視線を送る。

「…このままじゃ辛くね?」
「うるせーほっとけ!とりあえずこの縄を解いて出てけ。」
「嫌。」
「嫌じゃねーよ!だいたい何でテメーがいんだ!つーか見てんじゃねえ!何物欲しそうなツラしてやがんだ!気持ち悪ィんだよ!」
 俺の顔ではなく、いつまでもソレから目を離さない男に向かって怒鳴りつける。だが俺が怒鳴れば怒鳴るほどそれは逆効果だったと今更ながらに思い出した。既に目の前の男はうっとりと頬を染めている。勘弁してくれ、一体いつになったらこの悪夢は覚めるんだ。
「待て待て待て!そうじゃなくて質問に答えろ。何でここに居んだ?」
「…沖田くんに、オメーが熱出したって聞いて、心配だっつったら、『じゃあ看病しにきてくだせェ』って言われて、」
「…そんで何で看病される筈の人間が襲われなきゃならねーんだよ、」
 やっぱり総悟の仕業かとげんなりする。ほんとにロクなことしねえ。チッと舌打ちして気付く。やばい。何が恐ろしいって、この状況に慣れつつある自分が一番恐ろしい。
「最初は真面目に看病してたんだけどよ…、」
 ホラ、と粥の入った土鍋と氷の入った水桶を指差さすのを見た。思い出したかのように頭痛がぶり返してくる。
「…けど、何かオメー顔赤いし、汗かいてるし、息荒いし…その、見てたら興奮し、」
「ああああ!それ以上言うなァァァ!!つーかまた見てんじゃねえ!!縄ほーどーけーバカ野郎!!」
「いやでもこれ辛ぇだろ?イっといた方がいいって、なぁ、土方くん、イきてぇだろ?」

 こんっっっの原始人がァァァ!!!
 立ち上がった先を弄ぶように人差し指でくるくると撫でられて、意思とは裏腹にソコはビクビクと跳ねてしまう。

 畜生何でだ。つーか何でコイツはこんな風になっちまったんだ。昨日あの川に落ちる前までは確かにただの喧嘩相手だったのに。川から上がったらそこは別の世界でした?ふざけんじゃねぇ。もしかして俺はあの時死んだのだろうか。これ死後の世界かよ?とんでもない地獄があったもんだ。そうじゃなければコイツが悪い病気にでもかかってしまったとしか思えない。そうだ、そうに違いない。

 だったら頼むから俺にうつすんじゃねェェェ!!

「な、なァ、土方くん、舐めていい?」
「ぎゃああああ!!」
「舐めるだけ、な、無理させねぇから……ほんとは俺ん中でイって欲しいけどよ、」
「バッ、正気に戻れェェェ!!」
 逃げ出そうとする俺を押さえ付けて、銀色の頭がまたソコに埋もれる。情けないことに濡れた口内に迎えられて熱い舌が絡んだ瞬間、俺は一切抵抗することができなくなった。頭が上下する度に、ジュプジュプと耳を塞ぎたくなるようないやらしい水音が部屋の中に響く。
「っ、は……ほんと、やめろっ、」
「んっ、っ、ぅ…ぁん、」
 くびれを焦らすように舌でなぞられ、口の中で揉むように吸われて力が抜けてしまう。入りきらない根元は手で扱かれる。俺がビクリと跳ねるのを見て、万事屋は嬉しそうに顔を赤らめながら恍惚とした表情を浮かべていた。
「…ん、ァ、ひじかたぁ、入れてェ、」
 不意に口から出されて、刺激を求めるかのように腰が震えてしまう。なんてこった。元から行くつもりは毛頭無いが、もう婿には行けないと悲しく思う。だが混乱する俺を余所に、奴はハアハアと息を荒げて体をくねらせ始めた。
「ァ、ッ、やっ、ァ、あっ、お前の…入れてえ、よ、」
 恐る恐る視線を上げて目の前の光景を確認した瞬間、カッと体中に熱が集まる。
「…ぁ、入れてぇ、ひじ、っ、んっ、」
 目の前の男が立ち上がった俺のものに頬擦りしながら、自慰をしていた。俺の股間に顔を埋めているので、うつ伏せで腰だけを高く上げた状態でブルブルと震えている。奴の後ろに宛がわれた3本の指が激しく抜き差しを繰り返していた。白い頬が俺の先走りで汚れていくほど、奴の嬌声は大きくなっていく。

 今更ながら俺は怖くなった。嫌がらせでもなんでもなく、本当にこの男は自分に欲情している。どうして。

 そして、その事実に誤魔化せないほどの劣情が俺の体中を駆け巡っていったのだ。

「…っ、」
「ひじかた、っ、イきてぇの…?」
「…クソッ、外せ!」
「ダメ……名前、っん、呼んで、くんねぇと、」
 舌先で先端を意地悪く突きながら、返される言葉は悪魔のソレそのものだ。
 頭の中は朦朧として何が何だか分からない。溜まった熱が行き場を失って、体の中に渦巻いている。
「……ぃ、」
「あっ…ん、聞こえね……よ、」
「…銀時、イきてぇ、」
 俺が悔し紛れにそう名前を呼んだ途端、ビクビクと震えながら銀時は達していた。
 決定的な刺激は何も無いのに、名を呼んだだけで達した。

 イカれてやがる。ありえねえ。

 たったそれだけで、俺もイっちまうなんて。


「…ひじかた、」

 いやそんな筈ねえ。そんなバカな。これじゃあまるで俺まで変態…いやいや違う違う!
 そうだ、風邪のせいだ。普通の状態じゃないからだ。

「は、外せェェェ!!!バカ野郎どーしてくれんだ!!!」

 熱を吐き出したせいか、急激に頭が冷えて冷静になる。見る見るうちに視界がクリアになった。

「外せ!この変態!」
「……っ、」
「だからそこで嬉しそうな顔すんじゃねェェェ!!!人のモンをチラチラ見んな!!やんねーぞ!!」
「……、」
「何でガッカリしてんだよ!縄外せってんだよ!!」
 ダメだ。どうすんだコレ。もうダメだ。何回でも言ってやる。もう、ダメだ。誰か助けてくれ!つーか代わってくれ!誰でもいいから!
 俺のことなどお構いナシに(もう慣れてきた)、銀時はいそいそと土鍋の蓋を開ける。
「粥食べる?腹減っただろ?」
「人の話を聞けェェ!!」
「……何?」
 俺が怒鳴りつけると、ぷう、と頬を膨らませて首を傾げる。
 可愛……くねーよ!!んなこと思ってねーよ絶対!!何やってんだ俺、しっかりしろ!
「縄外せ!」
「……言ってくんねぇとダメ、」
「言ってんだろうが!」
「ちげーよ……、んだよ、さっきは言ってくれたのに、」
 は?と聞き返しそうになって、ついさっきの会話を思い出す。
 思い出した途端にサァッと血の気が引いていった。俺の勘違いでなければもしかしてもしかすると、
「……ぎ、銀時、外してくれ、」
 まさかまさかと念じながら、戸惑いがちに言葉を発する。予想通りなのかそうでないのか、銀時の表情がパアッと目に見えて華やいだ。
「痛かった?ごめんな、」
 さっきまでの態度はどこへやら、俺の腕に巻かれた縄を簡単に解いて勢い良く抱き付いてくる。体を起こすと、ますますぎゅうぎゅうと力を込められる。鼻先に押し当てられた柔らかな銀の髪が擽ったい。殴ろうとして振り上げた拳は行き場を失ってしまった。
「ほら、あーん、」
「ん、」
 しかも、ふうふうと冷ました粥を差し出されて、反射的に口を開いてしまう。
 美味い。塩加減が丁度良い。

 じゃねーよ!何やってんだ俺!何が「あーん」だ!!
 ここはぶん殴って追い出すとこだろうが!!
 ハッとして我に帰った時はもう遅い。銀時は嬉しそうに目を細めて俺の肩に顔を埋める。しばらくそうしていたかと思えば視線を上げ、ちゅっと音を立てながら俺の頬に唇を寄せた。

「…土方、」

 頬を摺り寄せ、犬が尻尾を振ってるみたいに目を輝かせて俺の名前を呼ぶ。

「土方…ひじかた、」

 ポケットにしまった宝物の感触を確かめようとするかのように、何度も何度も指を這わせて。
 奴が何故そんな風にするのかわからなくて、俺は言葉を失ってしまう。本当はぶった斬って、二度とこんなことをしないようにしてやるつもりだったのに。結局、「何故俺なのか」ということさえ問うことができない。

 混乱していると、銀時はソロソロと顔を上げた。
 そして、頬を紅潮させて言ったのだ。


「……お前って、首輪似合いそう、」


 興奮した荒い息が耳元に吹きかけられる。
 引き返すには何もかもが遅すぎた。まだ事態の把握もできていないというのに。

 ああ、俺は一体どうなってしまうのだろう。


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