Hinky-Pinky Rhapsody


 一体どうしてこんなことになってんだ。

 目の前で繰り広げられている現実を受け止められずに途方に暮れる。
 そうか、コレは夢か。そうと決まれば話は早い。頼む、覚めてくれ。出来るだけ覚めてくれ、今すぐに覚めてくれ、お願いですって頼んでんだろうがこんちきしょう!
 みっともなく祈りを捧げてみるが、景色は一向に変化しない。逃れようと身じろぐと、背中が湿っぽく感じた。きっと隊服はシミになってしまっているだろう。

 草花が潰れる青っぽい匂いが鼻に届き、その匂いに現実の生々しさが増していく。次第に泣き出しそうになっている自分に気付いたが、どうしようもなかった。情けないと思う暇も無い。パニックに陥った頭では何もできないのだ。今、俺の立場でこの場から逃げ出せる人物が居たら、是が非でもお目にかかりたいもんだ。俺はそいつを師匠と呼んで一生ついていくことも厭わないだろう。どうしたらいいのかわからない。延々と頭の中を巡る言葉はそれしかない。

 「……、」

 耳元を擽る音にゾッとする。
 なあ、誰か答えてくれ。


 一体何でこんなことになってんだ??





 思えば今日は朝からおかしかった。いや、おかしいと言えば語弊があるのかもしれないがとにかくおかしかった。
 朝方に見た夢もおかしかった。富士山の頂上から鷹が茄子を掴んでピンク色の空を飛び立っていく夢だった。

 正月でもあるまいし、でも何でよりによってショッキングピンクなんだ。めでたいのかそうでないのかわかりゃしねえ。そうツッコミながら目が覚めた。だが、これはまだ序章に過ぎなかったのだ。
 朝食を取る為に食堂へ行くと、何故か全員赤飯を掻き込んでいた。疑問に思って首を傾げる俺に、近藤さんが「皆昨日がんばったからな、」と嬉しそうに笑う。そこで昨日半年間追い続けていたテロ事件の犯人を組織諸共検挙したことを思い出した。まあ、たまにはいいかと気にせずにマヨネーズを乗せると近藤さんは目を背けたが、俺は紅白っぽくてなかなかいいんじゃないかと思っていた。しかも食後に運ばれてきた茶には見事な茶柱が立っていて、山崎が羨ましいと騒ぎ立てた。
 別に迷信なんぞ信じちゃいないが、縁起が良いとされることがこう続けば悪い気分ではない。
 少し鼻歌交じりで俺は市中見回りに出た。もしかしたら今日はツイているのかもしれない。これで、面白い喧嘩が出来りゃあ言うこと無いんだがな、何て暢気に思いながら。

 まさかこんな事態が待ち受けているなんて知る由も無く。

 騒ぎの絶えないかぶき町の中を目を光らせながら歩いた。商店街がいつもより混んでいるのに今日は日曜日だったのかとやっと気付く。催し物がいくつか行われているらしく、簡易ステージやら、抽選所やらが設置されている。暫くしてから煙草が切れたことに気付いて足を止め、自販機に向かおうとすると、後ろから聞き覚えのある声がかかった。
「あ、土方さん、丁度良かった。」
 パタパタと近づいてくる足音に振り向くと、眼鏡をかけた少年が大きな紙袋を抱えて手を振っていた。煙草を買おうとした手を止めて、小銭をポケットに戻す。少年はふう、と息を吐いてからゴソゴソと何やら紙袋の中身を漁っている。
「何だ?」
「土方さん、コレ要りませんか?そこの福引で当てたんですけど、」
 少年が取り出したのは1カートンの煙草だった。
「僕が持ってるって姉上に知られたら殺されちゃうんで。」
 冗談なのかそうでないのか判断がつかないことを言いながら、少年がはにかむ。
 よりによって、と煙草を景品にした商店街の神経を疑う。せめて未成年が当てた場合は別の商品と交換するくらいの気遣いはあってしかるべきだろう。無法者が集う町といっても子供だって暮らしている。後でこっそりしょっぴくか、と頭を抱えながら、差し出された煙草を見た。
「いいのか?」
「はい。銀さんが吸ってるとこ見たことないし。お登勢さん、あ、下の大家さんたちは吸うんですけど……でも女の人に渡すのは何だか気が引けて…」
「そうか、」
 この町でよくもまあ常識的に育ったもんだと関心しながら煙草を受け取る。
「土方さんもほどほどにして下さいね、」
「…おう、」
 目を背けて頷くと、少年は無理そうですね、と笑った。全く今時珍しい。
「テメーらの大将はどうした?」
「朝からパチンコ行くって早起きしてましたけど、」
「…ったく、あの野郎に愛想尽かしたらウチに来い。煙草分は食わせてやる。」
「はは、ありがとうございます。それじゃあ、失礼します。」
 何であんな奴の周りに人が集まるんだか。溜息を吐きながら、のんびりと足を進める。
 何はともあれ煙草を買う手間が省けた。今日は本当にツイてるのかもしれねぇな。

 十分ほど歩いて川べりに出て、木陰に腰を下ろす。早速もらった煙草を開けて一服していると、珍しく三毛猫が寄ってきた。煙草の匂いにつられてやってきたのなら、結構話がわかる奴かもしれない。そんなことを思っていた時点で俺は浮かれていたのだろう。 手を伸ばして柔らかい毛並みに触れると、猫はくるりと丸まって腹を出した。よく見ればオスであることに気付く。すげえな。こんな確率の出会いがあるだろうか。 何だか神懸かっているな、なんて思いながら、煙草の煙を吐く。後は面白い喧嘩、か。なんて同じ思考を繰り返していると、フラフラと橋を渡ってくる銀髪が目に入った。
 げ、せっかくここまでツイていたのに。コレは間違いなく不愉快な喧嘩になるだろう。見つかる前にズラかろうと立ち上がると、万事屋が何やら手を振っている。しまった。もう遅かったか。
「よ〜、税金泥棒。機嫌良さそうじゃねぇか。」
「…テメーに会うまではな。」
「何言ってんだよ。とりあえずパフェ奢れ。」
「はあ?何でテメーに!?寝惚けんのも大概にしろ!」
 苛立ちを露にしながら怒鳴り返すと、男は何故かフフンと得意げに鼻を鳴らして俺の抱えている煙草を指差した。
「当然だろ?それ新八があげたってさっき聞いたし、」
「そうだがテメーに奢る謂れはねぇ。テメーにもらったわけじゃねェんだしよ。」
「俺のもんみてーなもんじゃねぇか。」
「どこのジャイアンだテメーは!!」
 ぶち切れそうになる血管を抑え込んで怒鳴りつけるが、男は「まあ怖い〜」なんてカラカラ笑いながら俺の袖を引いた。
「いいだろ、パフェ一杯くらい。別に家買ってって言ってるわけじゃねぇんだしよ、」
「そーいう問題じゃねぇ!どーいう思考回路してんだ!」
 ぎゃいぎゃいと騒ぎながら手を払いのける。が、余りに勢い良く手を出した上、奴がいとも簡単にそれをいなして避けた為に、俺が後ろへよろける羽目になった。慌てて右足を後ろに引く。だがその瞬間に伝わる、ふにとした感覚。そうだ、猫が居たんだと理解した時には既に遅く、思い切り尻尾を踏んでしまった後だった。
 突然の出来事に尻尾を踏まれた猫はパニックに陥り、回りも見ずに飛び出した。まっしぐらに向かった先にあるのは川。昨夜雨が降ったせいで、水量も流れも増している。どうなるかは一目瞭然だ。考えるより先に身体が動く。上着を脱ぎ捨て猫を追って飛び込んだ。急な流れに呑み込まれそうになりながら、必死に暴れる猫へと手を伸ばす。息を継ぐ為に開いた口を塞ぐように大量の水が流れ込む。クソ不味い。藻でも飲んだかもしれねえ。もしかしてヤベエか?と自問自答しながら溺れる猫の身体をどうにか掴んで岸へと放り上げる。万事屋の馬鹿がしっかりとそれをキャッチしたのを確認して、俺の意識は闇に呑まれた。



 重い。

 身体がやたら重くて熱っぽい。

 そうか、川に落ちたんだっけか。熱でも出ただろうか。
 その割りに寒気はない。ただ、体が熱くて上手く動かなかった。

「……か、」

 畜生、それもこれも皆、

「…大丈夫かよ、」

 胸糞悪い声が聞こえてきて、途端に怒りという感情を思い出す。そうだ、それもこれも皆コイツのせいだ。ふざけんじゃねぇ、と怒鳴りつけたいのに上手く声が出ない。おかしい。何でこんなに重いんだ。熱ィ。体が熱くて火が出そうだ。呼吸もし辛い。
 ハアハアと溜まった熱を吐き出すためだけに口を開く。そのまま微睡みそうになっていた俺を現実に引き戻したのは、覚えのある違和感だった。体が熱っぽいだけじゃない。腰に溜まっていく妙なだるさ。

 もしかして、いやでも何で今?
 けれどこの感覚はもしかしなくても確信できるものだった。

 そんなバカなと弾かれたように瞼を開ける。

「っ、あ、土方、大丈夫か?」

 心配そうに俺を見下ろす赤い瞳と視線が合う。まあこれは予想できる。奴も少なからず罪悪感を覚えたから俺を介抱する気になったのだろう。そりゃそうだ。原因の全てを担っていると言っても過言ではないのだから、それくらい当然だ。けれど。

「…っ、な、ぁ、痛いとこ、とか、ねぇ…?」

 その瞳が水の膜を張ったように潤んでいる理由も、辛うじてわからなくもない。猫が無事だったことにホッとしたのだろうということにしておく。(俺が無事でホッとしたというのは考えられなかった。)しかし、

「…んっ、ひじっ、気持ちいい?」

 だが待て。
 何でコイツの顔が赤いんだ。

「っあ、ぁ、ぁ、でけぇ、」

 そんで何で呼吸を乱してんだ。
 喘いでいるように見えるのは俺の目の錯覚か?って、

「あ…ん、いい、ッ、ァ、いいっ、」

 何で人の上に乗っかって腰振ってんだァァァ!!!

「ぎっ、ぎゃあああああ!」

 こんなに情けない叫び声を上げたのは生涯初かもしれない。
 いや絶対生まれて初めてだ。普通に生きてなくてもこんなことがあって堪るか。ふざけんな。
「ななななななななにしてんだテメー!!」
「はっ、ぁ、見て、わかんねぇ…?ん、く、ぅ、」
「ちょ、バカ、止まれ、どけェェェ!!」
 顔を振ると、ちくちくと耳元に葉の先が当たってここが外であることにようやく気付く。周囲には背の高い葦が群生していて、俺たちを見つけることは困難だろう。だがそういう問題じゃない。真っ青な澄んだ空が万事屋の肩越しに見える。状況を理解すればするほど俺の頭は混乱に陥った。ああなるほど、これが恐怖か。
「なっ、な、っ、何で、」
「んんっ、ぅ、」
「ぎゃああああ!」
 咄嗟に体を起こそうとして、知らずに腰を突き上げてしまう形になる。目の前の男は恍惚として悩ましげに眉を寄せる。快感に震えているのを目の当たりにし、気が遠くなる。どうなってんだ。誰か夢だと言ってくれ。
「ぁ、っ、ぁ、ひじかた、っ、もっと、」
 両腕を地面に押さえつけられ、耳朶を噛まれると同時に強請る声が吹き込まれる。
「っあ、」
 きゅうと締め付けられて、思わず声が漏れた。俺の喘ぎを聞いて、男の口元が嬉しそうに吊り上る。
「……ん、ァ、俺ん中、気持ちい、い…?ぁ、また、でかく…んっ、なった、」
「ひぃぃぃぃ!!バカ!どけっ!」
「ッ、ぁ…っ、っ、」
「わかった!何か知らねえけど俺が悪かった!謝るからどいて下さい!頼むパフェくらい奢ってやるから!!」
 もう情けないとか言ってる場合じゃない。形振りなんて構ってられない。
 感じる場所に当たったのか、白い喉が限界まで仰け反り、ひくひくと動いている。そして俺に見られているのを知っているかのように、足が広げられた。飛び込んできた光景に卒倒しそうになる。いやむしろ卒倒できたほうがマシだ。できることなら気を失ってしまいたい。

 頼むから気を失えよ俺!何でガン見してんだァァァ!!
 万事屋が体を後ろへ逸らしたせいで、結合部が丸見えだ。ぬらぬらと濡れていやらしく光っているモノが、狭い穴に深々と刺さっている。垂れ落ちる先走りのせいで滑りは更に増し、嬉しそうに銜え込んでいる男はまるで俺に見せ付けるようにして腰を振っていた。ぐちゃぐちゃと音を立てて激しく出入りを繰り返す様が眼前に繰り広げられる。

 何てこった、と死にたくなった。

 そう、それを目にした瞬間、俺は明らかに興奮していた。鼻にかかった甘い喘ぎが聞こえてきて、自分の大きさが変化したのがわかった。
 絶望だ。もうこの世には絶望しかない。
「っん、ひ、っ…、」
「クソッ、」
 絶望的だ。明らかに気持ちが良かった。信じられない。何でこんな馬鹿なことが起こり得るのだろうか。気付けば俺はめちゃくちゃに腰を振って、上で淫らに踊る男を突き上げていた。気持ちがいい。クソ、気持ちいい。どうなってんだ。
「…っ、ん、だして、」
 また耳朶を甘く噛まれ、そう囁かれて、俺は達した。信じられないくらいに気持ちが良かった。

 茫然自失に陥るという感覚を始めて知った。

 何もかもが信じられず、萎えたモノを仕舞うのも忘れて、ただただ、青い空を見つめていた。はあ、と満足そうな吐息が聞こえてくるのにも反応することができない。
 一体何が起こっているのかさっぱりだ。
「ひじかた、」
「……なんでだ、」
 ちゅ、ちゅ、と顔中に唇を落とされても、自分が一体何をされているのかわからずにいた。口から言葉を発せられたことに、一番驚いていたのは自分自身だった。
「…もう、オメーが目ェ覚まさないのかと思ったらよ……、」
 予想とは裏腹に、思い詰めたような声が耳に入ってくる。だが、まだその意味を理解することはできなかった。
「俺、ガラじゃねぇけど……怖くて、」
 いやそんなバカな。
 まさか、コイツ、
「……すげー、後悔してよ、」
 いや、でも、まさか、
 まさか、俺のこと、

「…せめて、一発やっときゃよかったって、」

 ………は?

「そしたら何か興奮してきちまってよ、お前起きないし、」
「ちょっと待てェェェ!!なんだそりゃあ!!」
 ぜんまいが勢い良く回されたかのように、頭の中が覚醒した。ガバッと起き上がって、目の前の男の胸倉を掴み上げる。
「どーいう神経してんだテメー!!よりによって…バカかテメーは!!!」
「んだよ、突っ込まれなかったんだからいいじゃねぇか。」
「そーいう問題じゃねぇ!おまっ、これ立派な強姦だぞ!!わかってんのか!!!」
 ナニ丸出しで怒鳴っていることに後から気付いたが、今はそこまで頭が回らない。
「え、でも俺お前のこと好きだし、お前、俺のこと好きじゃん?」
 けろりと言葉を返されて、カッと頭に血が上る。
「いつどこで誰がテメーなんぞ好きだっつったボケェェェ!!俺はホモじゃねえ!一緒にすんなこの変態が!!気持ち悪ィんだよ!近寄んな!!」
 一気にそう叫んでから、しまったと口を塞ぐ。
 そろそろと視線を彷徨わせると、万事屋は俯いて肩を頼り無く震わせていた。
 言い過ぎただろうか。でもこっちだってとんでもない目にあったんだ。いや、でも性癖をとやかく言うのは拙かった。もしコイツがそれで苦しんでいたとしたら、酷いことを言ってしまったのではないだろうか。
「あ…、その、オイ、」
「……なあ、土方、」
 動かないのが不安になって、そっと顔を覗き込む。ようやく俺を見つめ返した紅い瞳は、揺れながら潤んでいる。悪いと言いかけたその時、俺は一瞬前の自分の葛藤をドブに捨ててしまいたくなった。

「…土方、もっと言ってくんねぇ?……興奮する、」

 前言撤回!!この変態がァァァ!!!

「ぎゃあああ!!嬉しそうな顔すんじゃねえ!この変態!!」
「…ぁ、っ、すげえいい…もっと、」


 この日から、俺の聖戦が始まった。

 二十代も半ばを過ぎたというのに、自分の貞操を守るため頭を悩ます。
 襲い来る罠から逃れる為、今日も一人戦わねばならないのだ。


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