デッドエンドの境界



2.導火線


「逃げられてやんの〜」

 小さくなっていく後姿に向かって舌打ちしていると、悪戯っぽい口調が背後から聞こえてきた。
 声の主は問うまでもない。俺への嫌がらせを日課にしている性悪以外の何者でもないからだ。
「…うるせえ、」
「お〜怖い怖い、フラれたからって八つ当たりは良くないですぜ、土方さん、」
「誰が八つ当たりだ、」
 唇を噛み締めてから睨みつけると、沖田は可笑しそうに口元を抑えている。

 何だコレ。爆笑されるよりムカつくんですけど。

 無意識に痒くもない左手の甲を掻き毟っていたのに気付き、慌てて手を離す。苛立ちを表しているような自分の行動に、また溜息が漏れた。沖田は俺の一連の動作を見ていたのだろう。ニヤつきながらワザとらしく声を潜めた。
「…素直に言えばいいじゃねぇですかィ、」
「あ?」
 意味のわからない言葉に眉を顰める。と、同時に身体が僅かに強張るのを感じていた。何を、と問い返そうとしているのに上手く言葉が出てこない。次にコイツが何と言うつもりなのか、一抹の不安すら覚えるのだ。
「だ〜か〜ら〜、土方さんは〜旦那にィ〜、」
「とっとと言え!何だその喋り方!!」
 怒らせることを目的としか思えない口調に焦れて怒鳴りつけると、沖田はやれやれ、と言いながら呆れたように肩を竦めた。やれやれ、じゃねえよ。呆れたいのはこっちだ。引き攣れそうになる頬を抑えて続きを待つと、沖田はあっけらかんと言い放った。
「剣道部、入って欲しいんでしょーが、」
「……は?」
 思いも寄らない言葉を受けて、素直に首を傾げる。頭の中の回線が乱暴に弾かれたようだ。
「まあ副部長がああもあっさり一本取られちゃ、気持ちはわかりやすけど、」
「はあ?」
「おや、気付いてなかったんですかィ。負けた日からずっと追い回してるくせに、」
「…マジでか。」
「マジですぜ、」
 告げられた事実に耐え切れず、手の平で顔を覆う。痛いほどに沖田の視線が注がれているのがわかる。きっと面白い玩具を見つけた時のような、嫌な笑みを浮かべているに違いない。言葉を否定したくても思い当たる節がありすぎて、できることならこの場に穴を掘って自分自身を埋めてしまいたかった。(しかし悲しいかなここは二階だ。)

 銀時と試合をしたのはちょうど一週間前だった。
 体育の授業で剣道を行っていた時期で、必然的に剣道部が教師のサポートをしていた時だった。その日はもう剣道の授業は最終日で、お遊び程度に試合をすることになっていた。だから珍しく銀時がサボらずに授業に出ていたのを見ても、さほど疑問には思わなかった。
どうせ遊びにきたんだろうと苦々しく思った。
「テメー、こういう時ばっかり現れやがって、」
「ああ?人が真面目に授業受けようってのに何その態度。」
「来るなら最初っからちゃんと出ろってんだよ、」
「何でお前にそんなこと言われなきゃなんねーの?関係ねえだろ、」
「なっ、」
「あ、関係あんのか。大変だね〜風紀委員さんは。」
 いつもの通り険悪になりそうだった雰囲気を、へらへら笑って受け流す。
「まーそんなピリピリすんなよ、ハゲるぜ?」
「誰のせいだァァ!」
「落ち着けって、ほら、カルシウムやるから、」
「いらねーよ!何でビ○コなんか持ってんだ!!」
「あ?ビス○馬鹿にすんじゃねえよ、だからテメーは大きくなれねえんだ、」
「テメー俺と身長変わんねえだろーが!」
 腹を立てては負けだとわかっているのに、いちいち返してしまう自分が情けない。
 銀時は呆れ顔で溜息を吐きながら、ビスコを垂袋の中に仕舞うと(そんなとこに入れてやがったのか)、胴に紐を通し出す。言葉の応酬に気付かなかったが、目の前の様子にようやく疑問を持った。
「何だ、自前か?」
 剣道部以外の生徒はジャージの上に直接防具をつけているのに、銀時はフルセットだ。しかも胴着は白、袴も白で、胴は紅、傍に置いている面は白。これは何だか、
「いや俺んじゃねえよ。女子に借りた。」
「へえ、道理で、って何してんだテメーは!」
「え〜だって野郎の臭ぇし、ジャージの上からつけるの格好悪ィし、」
「勝手なことしてんじゃねえ!」
「ちゃんと使っていいって許可もらったし、」
「そーいう問題じゃねーよ!」
「じゃーどういう問題?」
 問い返されて答えに詰まる。形から入るタイプなんだな、と頭のどこかで納得しながらも、白と紅で統一された姿に何故か目を逸らしたくなってしまう。胴着姿の銀時は普段のだらしない姿とは別人のようで落ち着かない。背筋をきちんと伸ばした姿から醸し出される凛とした空気に息を呑む。まるで、眩しいものを見ている気分だった。
(いやいや、ウチは男子が全員紺だから新鮮なだけだ、)
 フルフルと頭を揺らす俺に怪しげな視線を送りながら、銀時はてきぱきと防具をつけていく。慣れた手つきに確信を持って、もう一度疑問を口に出してみた。
「お前、剣道やってたのか、」
 面を着けようとした手を止めて、銀時が薄く笑った。

「…昔ちょっとな、」



「…さん、」

「土方さん、」
 耳に入る音が次第に大きくなり、はっきりと言葉を認識したと同時に我に返る。顔を上げるとやはり沖田が面白そうに口元を吊り上げて笑っていた。
「いつまで固まってんですかィ、鬱陶しい、」
「うるせー、」
 またしても失態だ。これはもうあと三ヵ月はこのネタでからかわれるだろう。
 自己嫌悪にがっくりと肩を落とすと、沖田はさっそく傷口を抉り始めた。
「まあそれはそれとして、旦那はどのくらいやってたんですかねェ、」
「何が、」
「剣道でさァ。あんだけ上手けりゃ小学校でも中学校でも噂になりそうなもんなのに、」
「…ああ、」
「あーあ、俺も手合わせしてもらいてーや、」
 目を輝かせながら沖田が竹刀を振る真似をする。
 浮かんだ疑問は、次々と溢れ出る感情に流されて口に出す気にはなれなかった。

『一本!』

 パン、と場内に広がる面を打つ音。
 戸惑いがちに上げられた、アイツの勝利を告げる白の旗。
 綺麗に決まるといい音が出るんだよな。負けたのに、のんびりそんなことを思っていた。
 銀時は俺に勝っても嬉しそうに喜んだりしなかったし、いつものようにからかいもしなかった。

 追いかけるのは、今になって悔しい気持ちが沸いてきたからだ。
 もう一度、強い奴と戦いたいからだ。


『…昔ちょっとな、』

 決して、あの笑顔を寂しそうだと感じたからじゃない。

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