Dear Rosy Glow


【1】


一度だけ、と息も絶え絶えに紡がれた言葉に異を唱えることはできなかった。
頭の片隅には「いやいやいやお前それはないだろ。頭イカれてんじゃねェの?そんなもん冥途の土産に持ってくなんて閻魔に熨斗つけて帰されんぞ」と冷静にツッコミを入れる自分が居たが、目の前の光景がその冷静さを空の彼方にぶん投げてしまったのだ。そうだ、閻魔に帰されてこっちに戻ってくればいい。力無く握られた手を握り返して唇を寄せた。
「……そんなんでいいのかよ、」
何とか絞り出した声は酷く震えていた。ああ、こんなことになって初めて気付くなんて、いつだって俺は遅すぎる。きっとまた他に方法があったのではないかと後悔するのだろう。わかりきっているのに。
「ああ、頼む」
土方が俺の頬に触れた。いつもは暑苦しい程の熱を持って俺に掴みかかる手が今は冷たい。いつもは煩いくらいに怒鳴り付ける声が今は優しい。頷く俺に向けられた穏やかな表情に息を呑む。そんな風に笑うなんて知らなかった。
「……よろず、や、」
そう、何でもする。万事屋だ。依頼料はもう貰った。俺にとっては一生分の。
願わくば、お前が必死に生きた証を、ここに。



「そうそう、さっきそこで山崎さんに会ったんですけど、」
卵を茶碗に割り入れながら、新八が少し弾んだ声を出した。今日は特売の卵が手に入ったので食卓はいつもより豪華だ。卵かけご飯に出汁巻き卵。納豆だってついている。上機嫌に俺もリズムよく卵を割るつもりだったが、続く言葉がそれを阻んだ。
「土方さん、一般病棟に移ったらしいですよ」
よかったですね、の言葉と共に俺の手の中で卵の殻がぐしゃりと断末魔を上げた。
「あーっ!銀ちゃん何やってるネ!勿体無いアル!」
「ちょっとどうしたんですか!ティッシュティッシュ、ほらもう」
いつまで経ってもアンタ子供なんだから!とまた妙なおままごとスイッチの入った神楽に手元を拭われて我に返る。完全に不意打ちだった。せめてもうちょっと前振りがあってもいいじゃないかと文句を言ってやりたかったが、これ以上の動揺を見せる訳にはいかない。できるだけ不機嫌を装って舌打ちする。
「けっ、昼時に胸糞悪い名前出すんじゃねェよ。飯が不味くなるだろうが」
犠牲になった卵の代わりに納豆をかけて茶碗を掻き込むと、新八が呆れたように溜息を吐いた。
「またそんなこと言って……銀さんと土方さんが仲悪いのはわかってますけど、死んじゃったら喧嘩もできないんですよ?」
向けられる悪意の無い言葉一つ一つが槍のように突き刺さる。
「それに、良かったじゃないですか。最後に話したの銀さんだったんですよね?僕知りませんでしたよ」
わかってる。わかっているからこそ居た堪れないのだ。
「ハイハイソウデスネー」
「何ですかその棒読み、土方さんひと月近くも集中治療室に入ってたんですよ。僕もずっと心配で、」
「新八、そっとしとくアル。銀ちゃんほんとは心配で夜も眠れなかった筈ヨ」
「うるせー!気分悪ィ!俺出かけてくっからな!」
茶碗の残りを一気にかき込み、味噌汁で流し込む。まだ熱い汁に咽そうになりながら立ち上がると、食器を流しに放り込んだ。息つく間も無く玄関に向かうと、背後から慌てた新八の声が追いかけてくる。
「ちょっと銀さん!どこ行くんですか?」
「トッシーのお見舞いアルか〜?」
「っ、行くわけねえだろ!パチンコ!」
足早に家を飛び出し、行く当てもなく歩く。パチンコとは言ったものの、所持金はスカスカだ。一円パチンコですら打つのを躊躇う。
新八も神楽は何も知らない。何も知らない筈なのに一言一言が俺の急所を指してくるから当たってしまいたくもなる。神楽に至っては何か感づいているのかと疑うレベルだ。つい返してしまった言葉と態度に不自然さはなかっただろうか。
考えても仕方ない。光る水面に吸い寄せられるようにして土手に寝転がる。春を過ぎ、芽吹き始めた草花は柔らかく体を受け取めてくれるようだった。手のひらを太陽に翳して、ゆっくりと口を開いた。
「……起きたんだってよ、」
ぽつり、とひとり言を呟く。開いた手のひらを、ゆっくりと動かした。光を、掴むように。
「アイツ、くたばってねェんだって、」
緩やかに風が吹いて、応えるように新緑がざわめく。
「……まだ、生きてる」
喉奥から込み上げる感情が、行き場を失って暴れ回っているようだ。過ぎた日の記憶が走馬灯のように流れていく。
バカみてえだ。これじゃあまるで俺の方が死に際にいるようなもんだ。

『万事屋、頼む、最後だ、』

今にも消えそうな灯火をあの日、二人で包んだ。



大きく息を吸って、少しずつ吐き出してからゆるゆると目を開けた。すると、よく見知った赤い瞳が俺の顔を覗き込んでいた。不意打ちに思わず叫んでしまいそうになるのを堪えながら弾かれたように起き上がる。
「銀時様、ご気分でも悪いのですか?」
僅かな機械音を立てながら、見下ろしてくるのは階下の隣人だった。
「何だよ、たまか。ビビらすんじゃねェよ」
「申し訳ありません。買い物の途中だったんですが、何やらご様子がおかしかったので、」
無機質な瞳の奥には心配の色が見える。一息吐いてから立ち上がると、たまは再び首を傾げた。
「どうした?俺ァ何でもねェぞ?」
どうにも腑に落ちない、といった体で俺の体を上から下まで写し取るように見つめている。
「なら良いのですが、銀時様の腹部に僅かに異物が見受けられます」
「異物?」
「すみません、私は医者ではないので判断はできかねますが、少し影のようなものが、」
「影?……そういや辰馬もこの前胆石やったって言ってたしなァ、石か?」
「そこまではっきりとした物ではないのですが……暫くお酒はお控えになさった方がよろしいかと」
「へいへい、んな金ねェから心配いらねェよ」

ざわざわと風が吹く。
芽生えた若葉は、花を咲かせる為に戦い始める。誰にも、知られることなく。

inserted by FC2 system