BE MY ANGEL
【2】Angelic smile
引き出しに仕舞い込んであったマッチを取り出し、非常用の蝋燭に火を灯す。
薄明かりの中、土方が顔を上げると銀時は安心したようにもう一度息を吐いた。当然、息遣いが聞こえるわけでもなく、その姿には影も無い。夢だと思おうとしても、何を頼りにしたらいいのかわからなかった。
「…で、どうしてそうなったんだテメーは、」
床に落ちていた煙草を拾い上げ、指先で玩ぶ。すると、銀時に先程とは違う変化が起きていることに気付いた。
「ん、ちょっと待て、」
「何?」
会話が成立していることが嬉しいのか、銀時の口調は少し弾んでいた。
初めて見る、穏やかな表情。きっと万事屋の子供たちの前ではいつもこんな顔をしているのかもしれない。こんな状況でもなければ、自分がこの笑顔を見ることなどおそらく一生無かっただろう、そう考えてしまいそうになり、土方は慌てて頭を振った。
(…だったら何だっつーんだ、)
今問題なのは、姿を見せた時には確かに無かった、その部分。
「テメー足あんじゃねーか!」
土方の視線の先には、先程恐怖したその箇所をふらふらと揺らしている銀時の姿がある。指摘を受けて、銀時はしてやったりと言わんばかりに口元を吊り上げた。
「あー何か消そうと思ったら出来たんだよね。そのほうがビビると思って、」
「は?」
「でも誰かさんしか見えないんじゃ意味ねえよな。まあ、その誰かさんが思った以上にビビってくれたから良かったけど。ね〜、誰かさん?」
「ふざけんじゃねえぞコラァ、」
(…趣味悪ィことしやがって、)
苦々しい想いを抱きながら、土方は握った拳をぎゅっと抑え込んだ。
こんな面倒事はさっさと済ましてしまうに限る。只でさえさっきから自分のペースがつかめずにいるのだ。目の前で揺れる銀色が、妙に落ち着かない。
「…そんで、テメーがそんな風になった心当たりはねえのか?」
「う〜ん、」
「偶然会ったんだがな、眼鏡が心配してたぜ。何処行ってたかは覚えてんのか?」
昼間の経緯を話すと、銀時は何かを思案するように顎に手を当てながら答えた。
「…依頼行ったのは覚えてんだけど、」
「何処だ。」
「…わかんねえ、」
「それじゃ調べようがねえよ。他に無いのか、」
「あー…ぅん、」
曖昧な返答に溜息を吐く。銀時は畳の上に寝そべって、さらに考え込みながら頬を掻いた。歯切れの悪い言葉が続くのを黙って聞いていると、銀時は慌てたように起き上がる。
「なあ、怪我してんの?」
急に飛び出てきた意外な問いに、土方は首を傾げた。
窺い見る視線が肩を指しているのに気付いて、静かに口を開く。
「あ?…ああ、たいしたことねえよ。」
「何で?」
「弾掠っただけだ。」
「痛ぇ?」
音も無く、気配が近づく。
白い腕が目の前に伸ばされるのを見て、土方は思わず目を瞑った。空気が、揺れた気がした。
「…そりゃ、少しは、」
伸ばされた銀時の手は、触れるのを戸惑うように小さく揺れて空中に止まる。逡巡しているような素振りに胸が詰まった。
「たいしたことねえから。」
体が勝手に動いた。
銀時から迷いを消すように、包帯を巻いた肌を曝け出して、触りやすいようにと身を乗り出す。銀時は一瞬目を大きく見開いて、小さく笑ってから再び手を差し出した。
予想通り、触れようとした手はするりと肌をすり抜けてしまう。触れないのを確認して、銀時はまた笑った。
深い、悲しい笑みだと思った。こうなってから何度同じ想いをしてきたのだろうか。声をかけても届かずに、触れたくても触れられずに、諦めてきたんだろう。
「…悪ィ、気持ち悪いよな、」
自嘲するような口調で銀時が手を退こうとするのを、視線で咎める。
「いや、もう少し、」
「へ?」
「もう少し触っててくれ、何か楽になったような気がする、」
「マジで?」
「…マジだ。」
冷静でいれば苦笑するような土方の言い訳に、銀時はまた瞳をパチクリと動かしながら微笑む。
へへ、と嬉しそうな声を漏らして、ゆっくりと土方の肩を撫で始めた。
感触は無い。けれど怪我に響かないようにと動く、優しい仕草に土方は堪らない気持ちになった。重なりあった箇所がじわりと熱を持ち始めているように感じる。銀時が部屋に入ってきた時に感じた冷気は、もう微塵も感じ取れなかった。
代わりに目を閉じれば、胸を焦がすような想いが次々と湧き出てくる。
何度、諦めてきたのだろうか。
一人世界に取り残されて、何度、絶望に陥ったのだろうか。
(…どうしてもっと早く、俺のとこに来なかった、)
「うお!」
脳内に自然と浮かんできた言葉にハッとして我に返る。
「どした?」
「い、いや何でもねえ!」
突然声を上げた土方に驚いて、銀時がひょいと顔を覗き込む。土方はうろたえながら必死に言い訳を探した。
「何でもねえよ、やり残した仕事思い出して、」
「へ〜、大変だねぇ、」
「ちょっと片付けなきゃならねえから、」
「おー頑張れ〜」
「な、何か思い出したら言えよ。」
「…ん、」
自分でも違和感を覚えるほどに体がぎくしゃくと動く。
おそらく銀時の目にも不審に映っているだろうと思ったが、とてもじゃないがフォローすることなど出来なかった。頭の中では先ほどの思考がエンドレスで繰り返されている。
(…何考えてんだ俺は、)
(いやいやいや、俺しか見えねえんだから真っ先に俺んとこにきてりゃコイツはあんな顔しなくて済んだ、ってだけだから!)
(いや、だから悲しそうな顔させたくないとかそーいう意味じゃなくて!)
(…手間が少なくなる…わけじゃねえよな。)
(あーもう何考えてんだ俺は!)
書きかけの書類をぐしゃぐしゃと丸めて放り投げる。ゴミ箱を目掛けて投げた筈が、紙は見当違いの方向へと転がった。行き場を失って情けなく丸まっている姿はまるで今の自分の心情を表しているようだ。そう考えて土方は再び大きく溜息を吐いた。すると、土方の行動を見ていた銀時が、この男にしては珍しい、真剣な顔つきで口を開く。
「…なあ、」
「何だ?」
「さっきはその…勢いで言っちゃったけどよ。別にいいよ、探してくれなくても、」
「あ?何言ってんだ?」
「自分で何とかすっから。間違っても呪ったりしねえし、」
蝋燭の火が揺らめいて、障子に映った影が揺れる。
ジジ、と芯を焦がすような音に土方は自分の心臓を鷲掴みにされるのを感じた。
「じゃ、ありがとな、」
ふわりと音を立てるように笑いながら、銀時が立ち上がる。
足を消した時のように自分の姿を消そうとしているのがわかり、慌てて手を伸ばした。掴めやしない。そんなことはわかっている。
「…待てよ、」
けれど、だったら生まれたこの熱は何だ。
「へ?」
「…行くな、」
じりじりと蒼い炎が灯される。体の奥に。
「……俺は、」
続く言葉も考えていないのに、勝手に口が開く。
「俺は、」
「ひっじかったさーん!くたばりやしたか〜?」
スパーン、と障子が小気味好い音を立てて開かれる。いきなりの出来事に思わず部屋の隅まで後ずさった。正面を見ると、銀時も驚いたらしく土方と同じように仰け反った格好で固まっていた。
「てめーノックぐらいしやがれ!」
「あれ〜?人の気配もわかんねェくらい耄碌しちまいやしたか。こりゃ副長交代したほうがいいですぜ、」
「ふっざけんな!何の用だ!」
突然の侵入者に向かって怒鳴りつけるが、当の本人はいたって飄々としたまま調子を崩さない。
沖田は部屋を一瞥すると、土方が居る場所とは反対方向に目を向けて首を傾げた。
さらに、つかつかと一直線に歩き出す。土方が居る場所と逆の方向、つまり銀時へと真っ直ぐに。
「お、おい、総悟!」
もしかして見えるのだろうかと思いながら土方が声を上げるが、沖田は耳を貸さずにゆっくりと腰の刀を抜いた。そのまま銀時の居る場所へ勢い良く刀を振り下ろす。
「総悟!」
当然、刀は空を斬っただけだった。
土方は銀時がその場にまだ留まっているのを確認してから、声を張り上げた。
「何やってんだテメーは!」
「おかしい…、」
「は?」
沖田は再び首を傾げながら、刀をじっと見つめて動かない。
「…この部屋、何か居ませんかィ?」
「な、何言ってんだテメー、」
「な〜んかさっきから妙な気配がするんでィ。」
「ええ?」
「てっきり土方さんが先に帰ったのをいい事に女でも連れ込んでんのかと思ったんですけどねェ、」
「はあ?」
「…そしたら副長の座から引き摺り下ろす絶好のチャンスだったのに…」
「誰がするかァ!」
もう一度部屋を見渡しながらぶつぶつと呟き、沖田は刀を腰に仕舞った。
土方へと向けた視線にはまだしっかりと不審の色が含まれている。
「ま、俺の気のせいでしたかねェ、」
「ったく、人の部屋で物騒なもん振り回しやがって…とっとと出てけ、」
「へいへい、せいぜい寝首掻かれないようにしてくだせぇよ、」
「…お前にな。」
「よくお分かりのようで嬉しいですぜ、」
勘がいいというべきなのか。野生的だというべきなのか。僅かに薄ら寒いような想いを抱きながら、沖田が部屋を出ていくのを見つめる。銀時も同じようなことを感じたのだろう。感嘆するような言葉が背後から聞こえてきた。
「すげえな。マジで斬られるかと思った。見えねえのにわかるもん?」
「…まあアイツは普段から妖魔と付き合いがあるみてぇだからな、」
「マジか。」
さすがドSの王子様は違うな、と銀時が口元を弛ませる。視線があった瞬間に、土方はまたぎゅうと胸が軋むのを感じていた。途端に先程のやり取りを思い出して唇を噛む。自分は何を言おうとしているのだろう。
「…行くなよ、」
「ん?」
「オメー姿消せるんだろ?」
「ああ、そーだけど、」
「だったら出て行くって言われても信用できねえ。こっそり呪われんのは御免だからな。」
「しねえって、」
銀時が苦笑しながら答えるのをきっぱりと遮る。
「しないって証明できねえだろ。だから、俺の目のつくとこに居ろ。」
他にどう言ったらいいのか、わからなかった。
けれど何だか自分がとんでもないことを言ったような気がして、後から羞恥が沸いてくる。赤くなった顔を隠すようにして土方は机の上に突っ伏した。薄暗くてよかったと思った。
「…優しいねぇ、」
小さく、ひとり言のように呟かれた銀時の声にはワザと気がつかないフリをする。
どんな顔をしてそう言ったのかはわからなかったが、穏やかな音の響きが甘く体の中に広がった。もう、あの寂しそうな笑顔をしていなければいいと祈っていた。
(…お前の声は、俺がちゃんと全部聞くから、)