ALL YOU WANT



 望むのならば、いつだってくれてやる。

 本当に欲しいものを口に出さないことを知っているから、そう思うのかも知れない。
 黙って手を差し伸べたところで「要らない」と跳ね除けられるのは目に見えている。
 それでいい。お互いそれを選んだのだから。


 夜勤明けの重い体を引き摺りながら帰路を急ぐ。
 帰ったらシャワーを浴びて、一眠りしよう。少し休んだら書類の整理をしなければならない。やらなければならないことを箇条書きにして頭の中に並べる。次々に脳を埋め尽くしていくリストに眩暈がした。
「副長、おかえりなさい。」
「この間の件はどうなった?」
「あ、はい。」
 珍しく山崎がてきぱきと報告を行う。少し慌てたような様子に疑問を持つと、山崎はちらりと奥を窺うようにして口を開いた。
「その…お客さん来てますよ。」
「客?」
「いつ帰ってくるかわからないって言ったんですけど、部屋で待つからいいって、」
「ああ?」
 誰が、と睨みつけると、勝手に部屋に通したことを不快に思ったと捉えたのだろうか、山崎は「じゃ、俺仕事がありますんで!」と叫びながら一目散に逃げていってしまった。まあ、誰だと言っても大方予想はつくが。
「…やっぱりテメーか、」
 襖を開けて目に入った白い物体に向かって盛大に溜息を吐く。
 家に居るときと同じように顔の上に読みかけの漫画を乗せながら、すうすうと気持ち良さそうな寝息を繰り返している。
「人のマガジン勝手に読みやがって、ジャンプ派じゃねえのかよ。」
 プライドは無いのかとふざけた頭を軽く足蹴にしてみるが、起きる気配は無い。
 だったらこのまま寝かせておいて先にシャワーを浴びてしまおうと着替えを持って部屋を出た。


「…まだ寝てんのか。」

 再び部屋に戻ってみると、男はまだ気持ち良さそうに寝入っていて、動いた形跡も全く無い。
 何しに来たんだと思いながらも、わざわざ起こしてやるのも癪に障るので、気にせず溜まった書類を片付けてしまうことにした。
黙々と報告書に目を通しながら、印を押す作業を繰り返す。
 手元の灰皿に三分の一ほど吸殻が溜まった頃、ようやく背後で起き出す気配がした。
 煙草に火を点け直しながら、また書類との格闘に没頭する。首筋に痛いほどの視線を感じたが、無視して手を進めた。

(…ったく。用があるなら自分で動け、)

 一向に振り向こうとしない俺に焦れたのか、小さな舌打ちが聞こえてきたと思ったら、背中に鈍い衝撃が沸き起こった。続いてバサリと派手な音がして、アイツの顔に乗せてあったマガジンが畳の上に落ちる。
「いってえな!何すんだこの野郎!!」
 理不尽な攻撃に、掴みかかろうとすると恨みがましい視線を送られた。
「うるせーこの浮気者が!!」
「…は?何言ってんだ?」
 見に覚えの無い言葉に深々と首を傾げる。

(え、浮気?したっけ?いや、してねえよな。何か誤解させるようなことあったか?)

 うんうんと唸りながら記憶を辿ってみるが、思い当たることは何も無い。
 しかし目の前の銀時の顔は純粋な怒りに満ちているように見えて、ますます混乱する。途方に暮れて紅い瞳を覗くと、銀時は深い溜息を吐きながら俯く。読めない様子に不安が掻き立てられる。
「お、おい、」
「…俺は、」
 弱々しい声が途切れるのと同時に、がっくりと落とした肩が小刻みに震え出す。
 ぎくりと背を強張らせながら、恐る恐る顔を覗き込んだ。

(…まさか泣い、)

「…っく、」
「オイ。」
「っ、ぷぷ、」
「テメー笑ってんじゃねーか!!」
 もうこれ以上は耐えられない、という勢いで噛み締めていた唇から次々と笑いが漏れ出した。
 そうだ。こういう奴だった。どう間違っても泣く奴じゃない。全くもって俺が馬鹿だった。
「ふざけんな!テメー歯ァ食いしばれ!」
「あらま〜本気にしちゃった?ひょっとして心当たりあったんじゃねーの?」
「ねえからビビったんじゃねーか!」
 腹を押さえて転げ回りながら、また人の顔を見て噴き出し始める。
 あまりに恥かしくなって、逃げ出そうと書類へ向かった。
「畜生、俺は仕事があんだよ。とっとと帰れ。」
「まあまあまあ、」
 一通り笑いつくしたのか、銀時は宥めるように俺の背を撫でると甘えるように寄りかかってきた。
「浮気はほんとだろーが、」
「してねえよ。誰とだよ。」
 吐き捨てるようにして言うと、筆を進める手を咎めるように指を絡められる。
 振り返ると銀時は、先程とは違う挑発的な笑みを浮かべながら俺の胸元に腕を伸ばした。
「さっきから俺が居るのに書類の相手たァ、いい度胸じゃねーの?」
「…あのな、」
「この浮気者〜」
「テメーは寝てただろーが。」
 着物の袷から侵入した白い指が、悪戯っぽく肌を掠めていく。腹筋を確かめるように撫で上げる感触に、つい肌が粟立ってしまう。結局コイツの思う壺かと息を吐くと、項に濡れた唇が押し付けられた。そのまま甘く歯を立てられ、戯れに舌が這う。
「ったく、何しに来たんだテメーは。」
 筆を放り投げて、帯を外そうとしている手を取り畳の上に押し付ける。そのまま覆い被さると、銀時は艶っぽい笑みを湛えて熱い息を吐いた。
「…浮気者、」
「してねえって、」
 頬に口付けながら掴んだままの手を背中へと導く。
 徐々に唇を落とし、開いた胸元を吸い上げて、太腿を探ると銀時の体が大きく震えた。
「いや、したね。」
「してねえよ。何の話だ。」
「ま、うちの大事な娘っ子をすっかり誑かしちゃってるくせに。」
「は?」
「あんま甘やかさないでくれる?」
 ああ、と万事屋の小さな少女を思い出す。最近は町で偶然会うと向こうから駆け寄ってくるようになった。
 その原因はまさに今目の前の男にある。そもそもの発端は「コイツが犬の餌を食べないように見張れ」「本当に困ったらいつでも言え」と彼女に言ったことだ。そうしたら、何だか妙な事になってしまった。
 せがまれるまま駄菓子を買わされたり、強制的に鬼ごっこをさせられたり。(刀や警察手帳を持って逃げられたら追わないわけにはいかない。)要するに、いいように使われてるだけなのだが。
 悪態を吐きながらも銀時の表情は優しく、口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「何だよ、やきもちか?」
「まさか。」
 指の背で頬を撫でてから前髪を掻き上げ、額に音を立ててキスをする。
 銀時はうっとりと瞳を閉じてそれを受け入れ、俺の背中に回した腕に力を込める。手のひらが円を描くように俺の背を撫でては着物の生地を握り締める、という動きを繰り返した。
 そして、一つ大きく息を吐くと、髪を撫でていた俺の手を取り、ゆっくりと自分の頬へ押し当てた。
「…何か、」
「あ?」
「……何かさ、」
 噛み締めるように言葉を探しているのが見て取れる。
 何か言いたいことがあるのに言葉が出てこない、そうとも取れる不安定な様子を感じ取って、俺はされるがまま銀時の頬を撫で続けた。時間はいくらでもある。このまま何も言わなくても一向に構わなかった。
「…嬉しくても泣けんだなって、」
「…ん、」
「最近、思い出して、」
「ん、」
 薄く開いた唇から、細く、細く、漏れる声。
 続く言葉は聞く必要がない気がして、聞いてはいけないような気がして、静かにその唇を塞ぐ。
 濡れた口内は、一瞬、塩辛い味がしたように感じた。




 乱れた着物を拾って、徐に袖を通す。隣にいる男はへらへらと笑いながら眠っている。
 剥き出しの肌に毛布を掛けてやり、頬にキスを落としながら跳ねた毛先を玩んでいると、ゆるりとその瞳が開いた。
「結局何しにきたんだテメー、」
「決まってんだろ、ダーリンに会いに。」
 掠れた声はまだ少し、熱っぽい。
「家のほうで待ってろよ、」
「だってお前次の休み言ってかなかったじゃねーか。今度いつ?」
「まだわかんねえけど…何かあんのか?」
 髪を撫でて旋毛に口付けると、擽ったいのか銀時は身を捩る。
 問い返すと、また優しげな、柔らかい表情が浮かび始めた。さっきと、同じ。
「神楽がよ。水族館行きたいからパピーの休み聞いてこいって、」
「…は?」
「頼りにしてるぜパピー。」
「俺かよ!」
 くつくつと笑いながら、まるで子供が悪戯をするように勢い良く俺の頬にキスをする。
 告げられた言葉に反発して苦々しい表情を浮かべると、ご機嫌取りのように顔中に唇が寄せられた。
「…ったく、じゃあ休み取れたら連絡する、」
「お、さすが副長太っ腹!」
「テメーに言われっと腹立つな。」

(…まあ、それもいいけどな、)

 胸に浮かぶ思いを隠して拗ねたふりをしながら、再び笑い続ける男に覆い被さる。
「…あれ、もっかいすんの?」
「ああ、甘やかされとけよ、」
 お互いの頬を擦り合わせながら囁くと、銀時が嬉しそうに笑った。くしゃくしゃと俺の髪を掻き混ぜる仕草は酷く優しい。

 噛み付くようなキスは乱暴に全てを奪い合い、同時にお互いの全てを与え合う。
 矛盾した狂おしい衝動を、惜しむことなく叩きつけた。

 きっとこれから先、何度も思い出す。擦り切れても胸に染み込んだ言葉を反芻しながら。


『…嬉しくても泣けんだなって、』

 本当に欲しい物など、この男は絶対に口にしないだろう。
 差し伸べても、知らないふりをするのだろう。

 それでいい。
 あの言葉の先を、俺だけが知っているから。


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