シュガーレス
足の踏み場もない。
散らかったチョコレートの包み紙。スナック菓子の袋。
アイスの棒に大判焼きの紙袋。
俺はいつも吐き気を覚えるほどの甘ったるい空気に溺れないように、必死に酸素を求める。
指に挟んだ唯一の対抗手段はさしずめ酸素ボンベか、それとも。
「おい、ちょっとは片付けろ。」
ついさっきまで脇でぐーすか寝ていた筈の男は、どこに隠し持っていたのか大量のゴミを広げて未だチョコレートを齧っている。
「うるせえなあ、」
「食うなら着替えて布団しまってから食えよ。蟻がくる。」
「腰が痛くて立てませーん。誰かさんのせいで。」
「言ってろ、バーカ。」
いつからだっただろうか。
憤怒のように体中を駆け巡る熱と、歓喜のように迫り来る鼓動を押し留めることができなくて掻き抱いた。情なんて無い。ただただ、何かに追い立てられていた。もしかしたらこの男を征服したかっただけなのかもしれない。
コイツは何も言わなかった。俺を拒むこともせず、許しを乞うこともしなかった。また、負けたと思った。そう、まるで別世界の生き物のような姿に、その時確かに僅かな恐れを抱いたのは俺の方だった。
その後もコイツはクラゲのようにふらふらと空を彷徨いながら、いつもここにいる。いつも俺より先に起きていて、パキリと板チョコを歯で割りながら俺の頭を撫でている。俺が目を覚ますのを確認すると、わざとらしく欠伸を一つしてから奴はダルそうに眠りに落ちる。
酷く俺のプライドを引き裂くその手を払い除けたくて、同時に掴んで引き寄せたくて、けれどもそのまま撫で続けて欲しかった。
(…でも、たぶん掴んだら刺される、)
そんな気がする。俺は間違ってしまったのだろう。
きっとクラゲは水槽越しに眺めるのが正解だったのだろう。
「よくこんなもん何十本も吸う気になんな。信じらんねえ。」
「俺はテメーの味覚の方がよっぽど信じらんねえよ、」
チョコレートに飽きたのか、俺の手元を見つめて奴が言った。
「寝タバコは禁止〜没収ー、」
「何すんだ、」
「火事になったらどうしてくれんの?」
それもいいなと呟くと銀時は本当に嫌そうに眉を寄せた。
「お前って訳わかんねえ、」
それはこっちの台詞だと言いかけて口を噤む。煙草のことか、他のことかと聞き返せない自分に苛々する。けれど、心の何処かでは聞き返せないことに安心している。説明できない、何らかの感情として昇華することもできない。これが衝動なのだろうか。
もし、俺が理由を聞きたいかと尋ねたらこいつはなんと答えるだろう。
いつものように馬鹿にするだろうか。あのふざけた嘲笑で。決して口に出さないからこそ、そんな風に思ってみる。総悟あたりならもっと上手い切り返しができるのだろうか。こいつが思わず怯む様な、そんなことも。
生憎口では勝てた試しがないので、挑もうとも思わないが、できることならそんな姿を見てみたい。悔しさを滲ませて、俺を睨む面を是非とも拝んでみたい。それができたら、俺は真正面からあの手を掴めるのではないだろうか。
苦い煙で肺をいっぱいにしてから、口を開く。
どうして、なんて単純だ。知ってるだろ?
「体に悪いもんほど欲しくなんだよ。」
ひしゃげた煙草の箱を奪いながらそう言うと、奴は手を離さずに俺を見つめ返した。
怯むのはやはり俺のほうだ。案の定、いつものようにニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。からかわれるのかと身構えると、それを察したのか奴はしたり顔で大人が子供を宥めるように小さく息を吐いてみせた。
「…何だよ、」
「いや、ほんとそうだなと思ってよ、」
ふわりと柔らかい銀髪が鼻先を掠めて、少し冷たい唇が重ねられる。
「…おい。俺は菓子じゃねえぞ。」
「こんなクソ不味い菓子があってたまるか、バーカ、」
首根っこを掴まえて、今度はこちらから仕掛けてみる。
銀時は目を閉じようともせず、ただ終始楽しそうに舌を絡めてきた。
「いいのかよ、」
「ああ?テメーからやる気になったんだろーが、」
「だから、だ」
コイツはいつも甘く噛み付かれたがっているだけ。
俺はそれを知っている。その事実だけわかっていればいい。
本心なんて知ってしまったら俺はもう、引き返せなくなる。
「ボケっとしてる間に寝首掻かれても知らねえぜ?」
耳元で呟かれたその言葉に反抗するように、背中に手を入れて無理矢理抱き起こすと、色とりどりのチョコレートが畳の上にバラバラと散らばった。銀時は部屋を汚していくそれを面白そうに見つめながら、布団の上に転がっているチョコを足で払い除ける。
「集中しろよ、副長サン?」
「…上等だ、」
再び口付けると、奴の口に残っていた小さなチョコレートが嫌がらせのように押し込まれた。人口的な甘味が口いっぱいに広がる。これは嘘で固めたお前の味か。俺はそれを飲み込みたいのか、吐き捨てたいのかわからない。
ただ、煙草の匂いすら消し去ってしまう節操の無さを、俺は案外気に入っている。それだけだ。
どぎついピンクでコーティングされた偽りの甘さを求め、銀紙を奥歯で噛み締める。
ただ、それだけ。
【END】
2006.08.16 一番最初に書いた土銀(セフレ)でした