Once in a blue moon



「I love youをなんて訳すか、だとよ。」
「はあ?」
「すまいるでそんな話になったんだと。『月が綺麗ですね』とか『わたし、死んでもいいわ』ってのは有名だろ?あなたならなんて訳しますか?って。好きとか愛してるとか直接的なのはナシな。」
 瓶に残った酒の量を確かめながら、ふと思い出した話題を振ってみた。唐突な話に土方は一瞬怪訝な表情を浮かべてから、また酒を呷る。
「んで?テメーはなんて訳したんだよ。」
 嫌がって別の話題にするかと思いきや、返ってきた言葉は意外なものだった。あ、そうかコイツ案外ロマンチストだったっけな。
「俺?」
「おう、」
「俺と一発…」
「だから何で原始人なんだテメーは!」
 叩かれた頭を擦りながら目の前の瞳を見つめた。何を怒っているんだか知らないが土方は鼻息荒く苛立った表情で俺を睨み付けている。口説き文句なんて人それぞれなんだから別にどんな答えが返ってきたっていいではないか。恨めしそうに頬を膨らませると、土方はまるで俺が悪いと言わんばかりにたっぷりと呆れを込めた溜息を吐き出している。
 ほろ酔い気分がそうさせるのか、叩かれたというのにあまり怒りは沸いてこない。空になったコップに酒を注ごうと手を伸ばすと、土方はそれを察して酒瓶を掴み、そっと俺の杯を満たしていった。鋭い瞳がふと伏目がちになる。睫毛が薄っすらと影を作るのを俺はじっと見つめていた。別に見ようと思っていた訳じゃないのに何故か目が離せなかった。
「だったらオメーはどんなんだよ。」
「は?」
 理由はわからない。だが何かを盗み見てしまったような罪悪感がじわりと背筋を這い上がる。胸に渦巻き始めた決まりの悪さから逃れようと酒を呷り、殊更からかうような響きを込めて口を開いた。
 土方は女にモテるらしい。俺とそう大差ないと思うのに、一般的な女は俺より土方を選ぶらしい。ならば単純に口が上手いのだろう。硬派の仮面を被ったロマンチストがどんな言葉を吐くのだろうと気になった。モテない男の悲しい興味本位だ。それだけだ。

 それだけの筈なのに、俺は緊張していた。
 そうして馬鹿をやってしまった。

「俺を口説いてみろって言ってんだよ。」

 土方の目がゆっくりと驚きに見開かれていくの目にして、俺はようやく「しまった」と思った。慌てて「女に言うつもりでな」と付け加えてみたが、咄嗟の機転は白々しい響きしか持たなかった。不自然に浮き上がった言葉が空気の色と温度を変えていくように感じる。
 逃げ場を失ったことを悟った俺は少し視線を落として祈るように土方の首筋辺りを眺めていた。「何言ってんだテメー。男相手に言えるかよ、気持ち悪ィ。」そんな言葉が土方の口から出るのをずっと待ち続けた。コレはただの冗談なんだから早くそう言って終わりにしてくれ。そしたらもっと面白い話題を出してやるから。三百円あげるから。そう願ってた。針の筵に居るような時間だった。

「…オイ、」

 目の前がチカチカする。土方の声がやけに遠く聞こえる。早く終われと願いながら、俺はまだ顔を上げられない。酔ったフリをしながら船を漕ぐ。

 暫くして、ふわりと何かが髪に触れた。桜の花弁かと思ったそれは確かな感触を俺に与え続ける。ゆるりと視線を泳がせると、それは土方の手のひらだった。武骨な手が俺の髪を撫で、毛先を指先に巻きつけるようにして玩んでいる。柔らかな感覚に半ば夢心地だったが、土方の指がするりと俺の頬を撫でた瞬間、俺の意識は覚醒した。
「おまっ、何、」
 逃れようと後ろに仰け反った体は腕を引かれてあっさりと元の位置に戻される。そうして今度は両手で頬を掴まれた。心臓が煩過ぎて周囲の音が聞こえない。熱い頬は夜の闇に紛れて見えなくなっていればいいのに。俺が言い訳ばかりを必死に考えていると、土方の夜のような瞳が真っ直ぐに俺を見つめていた。ああ、ブラックホールみたいだ、と思った。逃れられない。

 ゆっくりと土方の唇が動いた。たった一言。

「銀時、」

 そう、一言。

 何て卑怯な手を使いやがる。
 泣き出したくなるような甘い響きに、俺は静かに瞳を閉じた。

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