Pale moon, Collapsing star



 窓から覗く月は酷く冷えていた。
 温度の無い月光を身体に浴びながら空を仰ぐ。
 部屋の中を駆け回る風が、傍にあった文庫本のページを悪戯っぽく捲っていった。

 ページはいつもあの日で止まる。
 何度目かの偶然に瞳を伏せて立ち上がった。

 開けっ放しのドアが戸惑うように小さく揺れた。
 振り払われた手はまだ鈍く痛んでいた。

 月が落ちる。

 腕には、まだ、あの柔らかな香りが残っている。




1. Such a fateful encounter




 人生の区切りの日はいつも、きちんとした形で迎えたいってもんだろう。
 いつもは遅刻ギリギリの登校を繰り返しているが、今日は始業式。しかも高校生活最後の年だという意識が働いたのか、珍しく俺は夜明けと共に目を覚ました。妙にスッキリと目が冴えていて、二度寝をする気にもならない。本当に珍しい。
 のんびりと朝食を作りながら鼻歌まで出てくる始末だ。成程早起きは得だというのはこういう気持ちの問題なのだろうか。できれば三文も頂きたいな、と思いながらテレビをつける。

『てんびん座のアナタ。今日は紙一重で運命の人か死神に出会えます!死なないようにご注意!!』

「はあ?」

『ラッキーアイテムはウォール街のハリボテ!これでアナタもニューヨーカー!』

「…何言ってんの。つーか誰がそんなの持ってんだよ、」

 笑顔で伝える結野アナはやはり可愛かったので、静かに突っ込むだけに留めておく。
 まあ所詮占い。いい事だけ信じて悪い事は見なかったことにするのが俺のルールだ。味噌汁を啜りながら納得しつつ、引き続き天気を伝えている結野アナを見詰める。あーあ、こう画面越しの運命の人じゃどうしようもねえってもんだろ。

「っし、行ってきますっと。」

 後ろ手でアパートのドアを閉めながら、カンカンと音を鳴らして階段を降りる。
 朝食をとるのも久しぶりだったせいか、腹が膨れた途端に眠くなってきた。うーん、と伸びをして肩を回しながら足を進める。3年か。もう1年しかない。それとも、1年もある。どちらの感情が相応しいのだろう。
 ふと襲い来る記憶を再び封じて自転車に跨った。俺は、大丈夫。

「銀時ィィー!!」
「…げ、」
 只ならぬ様子の声と共に、長髪を振り乱しながら近寄ってくる影を見て、思わずペダルを漕ぐスピードを上げる。
 コレは間違いなく嫌な予感だ。コイツに関する俺の嫌な予感は外れたためしがない。振り切ろうと立ってペダルを漕ぎ始めると、桂もまたスピードを上げた。
「ちょ、待て!何故逃げる!」
「テメーが追ってくるからだろうが!!」
「ふはははは流石の危機察知能力だな!とりあえずちょ、止まって!助けて!」
「何か知らねぇけど絶対ヤダ!!」
 どんな脚力だと突っ込む前に、桂はいつの間にか並走している。
「今ソコでカツアゲされている中学生を助けたのだがな!俺まで犯人にされてしまったのだ!」
「その子がそう言うんならお前犯人なんだろーよ、俺を巻き込むんじゃねェェ!!」
「何だと!お前のような者が居るからこのジャパンは腐敗するのだ!」
「うるせぇ!うぜえ!何だジャパンって!」
 隙あらば自転車の後ろに乗ってこようとするのを足で蹴落として前へと進む。すると後ろから酷く怒りに満ちた声がもう追いかけてきた。
「こらー!そこの学生!待て!」
「俺は関係ねぇ!犯人はコイツでーす!」
「貴様ァ!友を売るかァ!!」
「うるせー!テメーと友達になった覚えはねぇ!!」

 
何だって朝からこんな目に遭わなきゃならねえんだ。ちくしょう。
 これだったらいつも通り遅刻ギリギリに家を出たほうがマシだったじゃねぇか。

 自転車の後ろを掴んで半ば引き摺られるように走っている桂に恨みを込めつつ左右へと蛇行する。
 つーか何で逃げてんだ。コイツだけ引き渡して俺は学校へ行けばいい話だろう。自分で何とかしやがれ、と言いかけると桂はブツブツと一人で何か呟いていた。

「くっ、こんな時に限って隠れ身用のウォール街を忘れるとは…!」
「お前かァァ!つーか普段持ってんのかよ!!」

「待ちやがれェ!そこの長髪!!」
「「ぎゃああああ!!」」

 低く鋭い声が響いて、俺の顔の横をビール瓶が飛んでいく。
 がっしゃんという音に慌てて振り返ると、スーツ姿の男が距離を詰めて追ってきた。

「何だありゃあ!?」

 攻撃を交わそうと左右に大きくハンドルを切ってしまい、バランスが崩れる。転ぶのを避ける為、咄嗟に路地裏に入ると冷や汗が噴き出した。しまったと気付いてももう遅い。後50メートルも進めばこの先は袋小路だ。何てこった。俺は関係ないのに。だったら大人しくコイツを引き渡そう。その方がいい。よし、と気合いを入れて方向転換を試みた俺に桂が怒鳴り声を上げた。

「銀時!貴様ァァ!」
「付き合ってらんねーって言ってるだろ!もう捕まるなり誤解を解くなり勝手にしろ!」
「この裏切り者が!!」
「俺は関係ねえ!!」

 振り切るようにペダルに足をかける。そうはさせないと桂が勢い良く俺のシャツを掴む。反動で自転車が倒れる。一連の流れはゆっくりと視界を過ぎていく。どうしてこういう事故は勝手に脳内スローモーションへ変化するのだろう。なんてどうでもいいことを思いながら、俺は衝撃を避ける為に空中で体を捻った。
 次の瞬間、

 しまった、と再び口にしたところで遅すぎる。

 俺たちを追いかけてきた男が、角を曲がって飛び込んできたところだった。
 俺の頭は勢い良く彼の額に打ち付けられ、不幸にもさらに体を捻ったせいで俺の肘は男の鳩尾にクリーンヒットだ。ガッシャン!とか、ぐえ!とか、けたたましい物音と蛙の潰れたような声が辺りに響く。

「ってぇ、」

 幸か不幸か俺の体は彼に抱きとめられる形となって、俺自身は全くの無傷だった。

「…あ、あのー、大丈夫ですか?」

 仰向けになってピクリとも動かない男をそっと覗き込む。恐る恐る声をかけると、男の目がカッと見開いた。俺は思わず叫び声を上げてしまいそうになるのを寸でで堪えた。目にした男の瞳があまりにも恐ろしいものだったからだ。
 なんつー目つきしてんのこの人!これ間違いなくその筋の人だよ、ヅラの馬鹿ちんが!

「…て、」
「て?」
「……テメーら、ぶっ殺す、」

 俺と視線をがっしりと合わせて、男はそう唸るとカクリと気を失った。
 振り返って桂の胸倉を掴み上げる。ガクガクと肩を揺するが桂は何故か既に落ち着き払っていた。

「ちょ、ヅラ!!どーしてくれんだ!テメーらって言ったよコイツ!」
「ヅラじゃない桂だ。案ずるな。大丈夫だ、俺は顔を見られてはいない。」
「俺が見られただろーがァァ!!!」
「よし、後は俺に任せてお前は学校へ行け。見たところたいしたことはなさそうだ。」
「俺がたいしたことあるだろーがァァ!!つーか初めから俺を学校へ向かわせろォ!!」

 あまりに勝手な言い分にキレそうになるが、ここで暴れて目を覚まされたらそれこそ厄介だ。ぐっと堪えて俺は学校へ向かうことにした。畜生、後でボコボコにしてやるからなと桂に吐き捨てて自転車を拾う。

 ああ何てこった。こんなことならウォール街を持ち歩いてりゃよかった。
 明日から絶対持ち歩こう。そんでもしあの男を見かけることがあったら即隠れよう。
 ああもう何で俺がこんな目に!




「銀ちゃん!こっちこっち!」

 ざわついた教室内を見渡すと、小さな手が自分に向かって振られているのが目に入った。疲労した体を引き摺りながら、ゆっくりと近づく。少女は嬉しそうに一番前の席に陣取っていた。
「早い者勝ちネ!銀ちゃんも早く席取るヨロシ。」
「ああ?」
「教室来た人から順に自分の席決めていいんですって。銀さんラッキーでしたね。」
 今日に限って遅刻しないでくるんだから、と新八が苦笑する。
 遅刻した方が何倍もラッキーだった筈だ。畜生ともう一度舌打ちする。騒がしいから気付かなかったが、まだ生徒は半分以上登校していないようだった。いつもの倍以上のスピードで自転車を走らせたからだろうか。
「んー、どうすっかな、」
 気を取り直せ、と自分に言い聞かせる。空いている席をくるりと振り返って、探すのは勿論授業中睡眠を取れる場所だ。開け放してある窓から爽やかな風が廻る。自然と窓際の一番後ろの席に目が行った。桜の花弁が一枚、風に乗って机の上に落ちる。中々風情だと思いながら、迷わずその席を選ぶ。
 気持ちがいい。色々あって疲れたし、早速寝入ってしまいそうだ。
「ちょっと銀さん、もう寝ないでくださいよ。」
 まだ授業どころか始業式も始まってないと小言を言う新八に、眉を顰めて顔を上げる。
「あー?いいだろうが別に。どうせ担任だって去年と一緒だろ?」
「それが変わるらしいですよ。」
「へ?そーなの?ババア終業式ん時同じだって言ってなかったっけ?」
「その予定だったみたいなんですけど、キャサリン先生が産休取ったんで1年間代わりの先生が来るらしいです。」
「産休ぅぅぅぅ!!!??」
「びっくりですよね〜、」
 せっかく眠れそうだったのに思い切り目が覚めてしまった。
 世の中には本当に奇跡があるのか。すげえ、何かいろんなもん通り越して宇宙ってスゲエ。
「でも代わりの先生が凄い怖いらしいんですよ。」
「へ〜、女?男?」
「僕はまだ見てないんですけど、男らしいです。さっき理事長に『せいぜい根性叩き直してもらいな』って言われて…あの理事長がそう言うくらいだからよっぽどなんじゃないかと…、」
「…女じゃねぇならどーでもいいや、」
 ババアが男を気に入るなんて珍しい。その点は少し気になったが、女教師じゃない時点で俺の興味は80パーセント以上削がれてしまった。やっぱり教師はちょっとムチっとして、シャツから胸の谷間が覗いて、際どいスリットが入ったタイトスカートだろう。あーあつまんねえ。
 再び襲い来る眠気に逆らわずに机の上に突っ伏した。
 頬を撫でる風が、ほのかな桜の香りを連れてくる。

「オラ、席つけー、」

 ふわふわと漂う意識の片隅で、聞き慣れない声が響く。例の新しい教師が来たんだろうとわかったが、瞼を上げる気にはなれなかった。クラスメイトの名前が順に呼ばれていくのをぼんやりと聞く。
 自分の時にちゃんと起きて返事すればいいだろう。とにかく眠い。疲れた。

「えーと、次は〜、坂田。オイ、坂田〜いるか?」

(…あ、もう俺か、)

「あ、はーい、」

 瞼を擦りながら慌てて顔を上げる。
 と、同時に真っ二つに折られたチョークが頬を掠めて飛んでいった。

 そう、俺は、
 そこで、また、思い出したのだった。


「…テメーが坂田か。」

 ひやり、と汗が背中を流れていく。見覚えがあるなんてもんじゃない。もう二度と出くわさないように今朝誓ったばかりだというのに、どうしてこんなことになるんだ。ヅラの馬鹿野郎ォォ!!!

「よーく覚えとくぜ。俺は土方十四郎だ。よろしくなァ、」


『てんびん座のアナタ。今日は紙一重で運命の人か死神に出会えます!死なないようにご注意!!』


 オイオイ今まで当たった例がないのに、初めてのビンゴが死神ってどーいうことだ。
 再びウォール街のハリボテを持っていないことを嘆いても、そもそもここはニューヨークじゃねえ。



2008.05.18
パラレルリクエストアンケート第1位「逆3Z」

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