Midnight Mass
土方とこうなったのはいつのことだっただろうか。
顔合わす度にガキみたいに喧嘩して、アイツがオフの場合は昼間からでも飲み比べが始まる。お互い前後不覚になるくらいまで飲んで、道端に転がったまま夜明けを迎えることも少なくなかった。
「テメーも懲りねえ野郎だな。何回俺に負かされれば気ィ済むわけ?」
「ハッ、そりゃこっちの台詞だ。毎回泣いて勘弁して下さいって言ってんの忘れたのか?」
「んだとぅ、勝手に記憶改ざんしてんじゃねーよ!」
「上等だ、改ざんかどうかわからせてやるよ、」
バカみたいに煽り合って、結局二人とも潰れる。毎回その繰り返し。
何だかんだ言いながら俺は楽しんでた。しかも気付けば支払いがほとんどアイツ持ちになっていたから内心は喜んで勝負を受けた。
アイツもちょっと楽しそうに見えたから、余計楽しかったのかもしれない。
そんな風にして、ちょっとずつ、アイツが心の中に棲みつくようになった。
最初は眠る前にその日のやり取りを思い出して、馬鹿だなあなんて他人事のように笑っていた。二日酔いの時は出くわしたくねェな、と思いながらも街に出ればアイツと偶然会った場所ばかりに足を進めた。
黒い影を探して、また出会えれば迎え酒。会えなければ会えるまで何度も同じ場所に足を運ぶ。
似たような日々を繰り返しながら、けれど一緒に居れば居るほどアイツが心を占める割合が高くなってきて、さすがに少し怖くなったのを覚えている。
「万事屋?」
「あ?何でもねーよ。」
恋じゃないと、違うんだと何度も何度も言い聞かせて、絡み付く視線から逃れた。俺を見つめる土方の瞳が熱を持っていることに気付いたのは丁度その頃だったと思う。錯覚だと感じるには少し遅かった。
俺もまた、自分が同じような瞳でアイツを見つめていることに気付いてしまったから。
「…土方、」
「ったく、ちゃんと座れ、」
酔ったフリをして(フリじゃ無いほどには酔っていたけれど)、土方の肩口に顔を埋める。思い切り息を吸い込むと、煙草の匂いに混じってコイツの匂いが届く。優しい香りに泣きたくなる。
一緒に居る時間の中でこの瞬間が一番好きだった。土方が、この時は真選組ではなく俺の為だけに存在しているかのような、そんな錯覚を味わえるから。
ちゃんと座れ、なんて口では言っていても、土方はいつも優しく俺の髪を撫でた。
お互い好き合っていることは、とうに察していた。
「ひじかた、」
「…もう、寝ちまえよ。送ってってやるから、」
いつしか、それが合図になっていた。
土方がそう言うと、俺は目を閉じてアイツの着物の袖を握り締める。寄りかかっていた身体からさらに力を抜いて、ずるずると倒れ込み、土方の膝を枕にして熱を逃がすように息を吐く。すると、土方は徐に指を俺の肌に這わせ始めるのだ。
熱を持った指先が額から鼻筋を辿り、頬を滑る。顎を擽りながら、親指で唇を何度も往復する。睫毛を数えるかのように瞼を掠めて、指の背でまた頬に円を描く。
それだけで、ゾクゾクと背筋が震えた。
首筋、鎖骨の窪み、袖を通していないほうの腕。
耳朶、手足の甲、指先。一つ一つの爪の間さえ、優しく、犯すように。
決して服を脱がそうとはしない。だが、肌が出ている場所を執拗に弄っていく。甘やかな刺激に俺が時折身を震わせて小さく喘ぎを漏らすと、その場所ばかりを弄られる。
二人きりの居酒屋の個室で繰り返される、異様な時間。
俺が寝ている(フリをしている)間は勿論、居酒屋を出ても、その時のことは二人とも決して口にしない。
世界から隔離された音の無い空間が存在する。二人だけの世界が。
まるで微量の毒を目の前で食事に盛られているようだった。
毒が入っているのを知っていて、俺はそれを口へ運ぶ。毒は少しずつ蓄積されて、次第に体を蝕んでいく。
「…っ、ぁ、」
恐ろしいことに、その毒は依存性の高い麻薬だった。触れられれば触れられるほど欲しくなる。じりじりと魂を焼かれていく。燃えるほどに残った灰は再び毒として体に残る。
もっと触って欲しくて、触って欲しくて仕方なくて、俺は土方に会う度に胸元のファスナーを少しずつ下げていった。
会う度に、土方に触れられていない箇所が段々と少なくなっていく。一度、夜の飲み屋ではなく、昼間にばったりと町中で出くわしたことがあった。土方は「決着つけてやるから今夜いつもの居酒屋に来い」と上から目線で喧嘩を楽しむように俺を煽った。事前に誘われたのはそれが初めてだった。
「うるせー尻尾巻いて逃げんなら今のうちだぜ、副長さんよ、」
間髪入れずにそう返しながら、それだけで俺の身体は甘い期待に打ち震えた。鼓動が煩くて、顔から爪先から全てが熱くて堪らなくて、その日はいつもの黒いインナーを着ずに着流しだけでアイツの前に現れた。着物の袷と裾が大きくはだけた俺を一瞥して、土方は「今日は暑ィな」と紫煙をくゆらせながら目を細めた。それ以上は何も、言わなかった。
「…万事屋、」
季節はもう、秋口だった。
「もう、寝ちまえよ、」
真夜中の呪文。鎖のように身体を縛る。
今まではインナーに覆われていた、触れられたことのない場所に土方の指先が這う。立ち上がってしまった乳首が布に擦れてもどかしさに身を捩る。薄い着流しの布だけではそこが固くなってしまっているのもきっとバレているだろう。ちらりと覗いた太腿の奥が兆しをみせている事実もあの瞳が見逃している筈がない。それなのに、それ以上は決して何もない。肌が出ている場所しか触ってもらえないのだ。
「ふぅ、っん、」
もし、俺が今この着流しを脱いだら触ってもらえるのだろうか。どんな風に、どこまで触ってもらえるのだろうか。身体の奥まで、自分ですら触れたことのない奥まで、あの手が暴いていくのだろうか。
「っ、ぁ、んっ、んっう、」
肌を滑る指。それだけの事実に興奮するようになって、会えなかった一人きりの夜はあの手を思い出しながら自らを慰めるようになっていた。土方がまだ触れてない箇所に触れるところを想像して、下着に手をかける。欲を湛えて期待に震えるそれをそっと握り込みながら、これは土方の手なのだと己に言い聞かせるだけで簡単に達してしまう。
アイツの吸っている煙草に火を点けるだけで、どうしようもなく興奮した。
「んっ、ひじかたっ、ひじかたぁ、」
もっと、もっと奥まで、
もっと、もっと触って欲しい。この存在すら、塗り潰すように。
けれど、そんな日々は長く続かなかった。瓦解は、ある日突然に訪れた。
穏やかな日差しがドア越しに玄関を照らしている。吹き込む風はいつもより冷たく、静かな冬の訪れを告げていた。
「好きだ。」
そんな時にアイツが真昼間から必死な顔して押しかけてきて、俺の両肩を掴みながらそう言った時は一瞬何を言われたのかわからなかった。
「あ、何?マヨネーズの話?」
思わずそう返して首を傾げると、見る見る内に土方の目が吊り上る。
「テメーふざけんなよ!いちいち説明しなきゃわかんねーのか!惚れてんだよ!」
告白しているのか喧嘩を売ってるのか判断しにくいな、と思いながら、言葉の意味を理解した途端、俺の顔は火を噴いたように真っ赤になった。熱は決して照れからくるものではなく、俺の胸に去来したのは明らかな怒りと失望だった。
何考えてんだこんな真昼間から。
つーか何で今更そんなことをいうのか。
俺はずっと、
俺たちはお互い大事なものがあって、その為には二人の間に境界線を引いておかなければならないと自分に言い聞かせていたのだ。それで充分だと、わざわざ気持ちを伝える必要などないと決めていた。
あの真夜中の異様な時間だけ、二人を隔てる境界が消える。
それ以上の幸せなど、無いのだと。お前もきっとそう思っているのだと信じていたのに。
「銀時、」
そう信じてたのに、何故、今更。そう思ったら止まらなかった。
酷い裏切りだとさえ思った。何故今更その幸せを壊すのかと、同じ気持ちではなかったのかと。なんて卑怯な真似をするのか、何のために今まで何も言わずにいたと思っているのか。
「…泣くな、」
うるせえ、バーカ。ふざけんじゃねえ。誰がテメーなんか。
怒鳴りつけてやりたいのに唇が震えて上手く動かない。ショックを受けているのか、受けたのなら何故なのか、悲しいのか悔しいのかもわからなかった。絡まる想いをぶつける方法などわからないまま、顔を埋めるフリをして土方のスカーフで思いきり鼻をかむ。
「バッ、てめっ、何しやがんだ!!」
「うるせーマヨ野郎が!」
結局その日は新八が買い物から戻るまで、掴み合い、殴り合いの喧嘩をした。
告白があった後の雰囲気なんてどこにもない。俺の生活は何一つ変わらない、筈だった。
「じゃあ僕ら行きますけど、二人ともまだ飲むつもりならくれぐれも喧嘩しないでくださいよ!」
「喧嘩したらアネゴの卵焼きの刑アル!」
びしりと子供二人に人差し指を突きつけられて、居た堪れなさに目を逸らす。喧嘩の延長で昼間から既に酔っ払ってしまった俺たちが歓迎されるわけもなかった。ぴしゃりと玄関のドアが閉まり、しん、と沈黙が降りてくる。
「あーあ、とりあえず飲み直そうぜ、」
そう言って土方の手を引きながら和室へ戻る。
ごろりと横になってグラスを取ろうとした瞬間、土方が俺のこめかみにそっと触れた。
「…もう寝ちまえよ、」
ビクリと全身が跳ねた。あの、真夜中の空気が一気に部屋の中を満たしていく。
土方のその低い囁きだけで、体がじわじわと熱を帯びていく。体に溜まった甘い毒が疼き始める。
「…ぁ、」
土方の指先が頬を撫ぜる。
口では寝ろ、と言いながら、土方は俺に目を閉じることを許さなかった。あの指が、初めて視界に迫ってくる。
割れんばかりの鼓動で何も聞こえない。何もしていないのに息が上がっていく。熱を逃がそうと浅い呼吸を繰り返していると、土方は薄く開いた俺の唇に初めて指を差し入れた。熱い指先が粘膜に触れて思わず舌を引くと、ゆっくりと歯列を確かめるように動く。ゾクゾクと背筋が震えて、腰に重たい痺れが奔った。煙草の香りが仄かに鼻先に届く。いつもは冷静な漆黒の瞳が蒼い炎のような熱を孕んで肌を暴いていく。今まで俺が瞼を閉じている間もそんな顔をしていたのだろうか。途端に乱れていく身体をまじまじと晒されて、じわりと唾液の量が増した。
「…ぅ、ん、」
熱っぽい視線が全身へ絡み付く。動けない。逃れるという選択肢はもう存在しない。口端からみっともなく涎が垂れる。
また、いつものように肌を出せば触ってもらえる。頭の中はさんざん覚え込まされたその事実のみに支配されてしまっていた。まるで操られているかのように、土方の視線と指の動きに導かれるまま服を脱いでいく手を止められない。
触って欲しい。もっと深く。もっと奥まで、
全部。早く、滅茶苦茶に、
下着だけになった時はもう、そこは完全に欲を湛えて形を変えていた。
「っん、ぁ、は、ぁ、」
はあはあと熱の篭った吐息が漏れる。鼓動が割れんばかりに鳴り響いている。
肌を這い回っていた指が眼前に差し出された。再び口内へ迎え入れ、必死に舌を這わす。気付けばピチャピチャといやらしい音を立てながら土方の指を吸い、覆い被さってきた体に自ら擦り付けるように腰を振り始めていた。
初めてなのにこんなに仕込まれて、
誰かが耳元でそう囁いたような錯覚に襲われるが、羞恥は興奮を煽る材料でしかない。
「ひっ、ん、ぅぅ、」
土方の指をしゃぶりながらだらしなく涎を垂らす。まるで、動物のようだ。欲望のままに行動する獣。そう考えて、そういえばこの体勢は服従のポーズだな、と思い出す。腹を曝して、足を広げて、好き勝手に弄られる。
「…銀時、」
ドロドロに溶けきった体に灼熱の杭を擦り付けながら、土方が後ろから俺の耳朶を甘く噛む。俺は肘を立てることすらできなくて、腰だけを突き出したまま浅ましく体を揺らす。声を抑えることもできず、女のような嬌声を上げながら期待に身をくねらせた。
「ア、ア…っん、やっ、んっ、」
ローションを纏わせた熱い指が入り口をゆるゆると引っ掻く。水音を立てながら浅く抜き差しされると、そこは厭らしくきゅうきゅうと土方の指を締め付けてしまう。
耳朶を執拗に舌で嬲りながら、土方が荒い息を吹きかける。
「銀時、」
「あんっ、や…ぁ、」
「やらしいな…すぐ飲み込んじまう、男としたことあんのか?」
惚けた脳にその意味が届き、夢中で左右に首を振る。まともな言葉はもう吐き出せそうになかった。必死で否定の意を示す俺に土方が厭らしく喉を鳴らす。それだけでまた先走りが溢れてしまう。
「や、ぅ、ひじかたぁ、」
「ここ、テメーで弄ってただろ、なァ?」
音で犯すように耳に差し入れた舌を抜き差しされ、意地悪く囁かれた瞬間にもう何も考えられなくなった。
啜り泣きのような嬌声が引っ切り無しに喉から溢れ出す。今度はコクコクと頷いて肯定すると、殊更優しく髪を撫でられた。
「いい子だな、銀時、」
まるで、子供を褒める親のように。
「あ、あ、ん、」
「俺のために広げてたんだろ?毎日してたか?」
「んんぅ、ふ、ぅ、」
言葉の意味を理解しているのかしていないのか自分でもわからないままに只々頷く。
「これからはもう自分ですんなよ、俺がずっと、触ってやるから、」
「…っん、んー!」
前立腺を抉られ、熱い吐息でそう耳を犯されて達してしまう。吐き出した精を拭った指を口元に差し出されても、何の疑問も持たず当然のようにその指をしゃぶった。満足そうに瞳を細める姿に再び身体が熱くなる。
蓄積された体の毒が、神経を麻痺させていた。
長く抑え込んでいた俺の感情を、土方は悟っていたのだろうか。
『好きだ、』
何故今更、と思った。でもそれは違っていた。
コイツは俺がこうなるのを待っていたのだ。俺があの指だけでは我慢できなくなることを見越して、ずっと機会を窺っていた。俺が逃げられなくなるまで、ベルを鳴らすだけで涎を垂らすようになるまで、ずっと。
「あっ、ん、んっ、」
獣のように後ろから激しく突かれ、項を執拗に嬲られる。意識が朦朧としているのに、シーツに濡れそぼった自身を擦り付けるのを止められない。
「ぁ、や、っん、またイく、イくっ、ひじかたぁ、っ…」
何度目かわからない性を吐き出しても止まらない。だらしなく仕舞えなくなった舌を吸われてまた熱が上がる。そのまま身体を仰向けに反されると、またあの視線に犯される。
「…ぁ、っ、」
涎を零しながら土方の手を取り、さんざん弄られた胸元に導く。固く充血した乳首を抓まれ、堪らず頭を振ると土方は咎めるように再び自身を突き入れた。
「っ、ああっ…もっ、イイ、いいっ、アッ、」
「そんなにイイかよっ、」
「あっん、こわい、ひじかた、きもちい、っ、ああっ、」
触って、さわって、もっと、
「…なあ、銀時、」
めちゃくちゃにして欲しい。
酷いことをして欲しい。
まるで罰を、与えるように。
力が入らなくなった身体から引き抜いた熱を俺の頬に擦り付けながら、土方が欲を吐き出す。そのまま肌に塗り込もうとするような動きにも感じ入ってしまう。みっともなく恍惚とした表情を浮かべているのがわかっていても抑えることができない。治まらない熱に震える身体に導かれ、そのまま肌を犯す熱を口に含む。まだ芯を持つそれに夢中で舌を這わせていると、土方はまた優しく丁寧に俺の髪を撫でた。
「銀時、」
「ずっと…俺に、こうされたかったんだろ?」
「…は、い、」
甘い毒が作り出す異様な空間。
この時から、真夜中の空気の中でだけ、俺はコイツに支配されることを望むようになった。
【END…?】