仮初十六夜問答


【4】

 一つ大きく息を吐いてから窓を見上げる。新月へ向けて欠け始めた月が柔らかな光を放っていた。
 瞼を閉じれば薄っすらと虫の唄う音が響く。流れていく穏やかな空気と体に残った血の匂い。先ほどの騒動が嘘のようだ。
(このまま、俺も寝ちまうか、)
 曲者の気配を察してから、屋敷の周囲にも結界を張ってある。だがそれが効果を発するのはあくまで外部の侵入者に対してだ。屋敷内に間者が居るようでは役に立たない。
「まあ、無いよりはマシだろ」
 銀時は乱雑に帯を締め、小走りで部屋へと戻った。頬が妙に熱いのはきっと酒のせいだ。
 熱を散らすようにして頭を振り、音を立てないように戸を開く。中に灯りは点いていない。着物を被って寝入っている子供二人の姿が目に入った。お腹いっぱい、と寝言で笑う神楽と、鼻唄を口遊みながら丸まっている新八の無防備な姿に思わず笑みが漏れてしまう。
 人間に仕えるなんて突拍子もないことを言い出した自分を、二人は少し呆れながらも笑ってついてきた。もしも一人だったとしたら、どうしていただろうか。土方を護りこそすれ、姿を現すことはしなかっただろう。「どうせなら人間のご飯いっぱい食べたいアル」なんて無邪気な言葉に乗ってしまった。
「ま、なるようになるしかねェな」
 寝返りを打って蹴飛ばした着物をかけ直してやりながら、銀時は漸く落ち着いて窓辺に腰を下ろした。懐から取り出した酒に直接口をつけて一気に呷る。焼け付くような熱が喉元から体の中心を奔っていった。
 下弦へと向かう月を見上げながらもう一度息を吐く。
「何やってんだか、」
 朧気な光は何処までも優しい。だが、何か答えをくれることは決してない。思考を放棄して瞳を閉じると、今更のように眠気が襲ってきた。うつらうつらと身を任せて伸びをする。するとパタパタと渡りを走る音が聞こえてきた。軽やかとは言えないがどこか生真面目さを感じる音。おそらく鉄之助だろう。足音の主は案の定銀時の部屋の前で止まり、遠慮がちに戸が開かれた。
「あ、やっぱりココに居たっスか。坂田さん、勝手に戻らないでくださいよ」
 鉄之助は何故か焦った様子で小声ながらも捲し立てる。
「何でだよ。もう俺の用は済んだだろ?賊は捕まえたんだしよ」
「えっ、何言ってるんですか!だからこそ夜はこれからでしょうが!」
「はあ〜?」
 あの騒動の後に一体何を、どの口がほざくのか。思いもよらない言葉を受けて、飛び出すのは盛大な舌打ちだ。
「いやだから!俺を寝所にっていうのは最初っからアイツらを捕まえる為の芝居だろ?」
 思わず声を上げると、鉄之助は心底驚いたように只でさえ大きな瞳を丸くした。
「え、あの、もしかして」
「そう!そのもしかして!」
 自分は勿論、土方にもそんな気は毛頭ない。これで漸く誤解が解ける。
 ホッと胸を撫で下ろすが、銀時の意に反して鉄之助ははにかみながら再び頬を掻き始めた。
「いや意外っス。坂田さんって初心なんスね」
「はああああ?」
 繰り出された言葉に危うく外れた顎が床に落ちるところだった。この流れでまだ何を続けようというのか。唖然とする銀時の戸惑いが伝わったのか、鉄之助が一つ咳払いをする。向けられる視線は何故か同情に満ちていて、腹立たしいことこの上ない。
「そりゃイイ所を邪魔されて気まずいのもわかりますけど、寝所から逃げるだなんてお館様が可哀想っスよ」
「オイちょっと、俺の話聞いてた?」
「さ、別室の用意ができましたんで参りましょう!心配いらないっス、怖かったら遠慮なく言って大丈夫っスよ。無体を働くような御人じゃないっスから」
 力説を続ける大きな瞳に映る己の姿を見つめながら、途方に暮れる。一体何故なのか。確かに今、自分は人間の姿をして、人の言葉を喋っている筈だ。それなのに一向に話が通じない。まるで質の悪い狐につままれているようだ。狐は俺なのに。
 再び涙目になりかけていると、寝返りを打った神楽がむにゃむにゃと何かを呟いて顔を顰めた。
「うるさいアル、」
 寝惚け眼を擦りながら、傍に会った箒の柄を握り締める姿。ぎくりと悪い予感が体を奔る。そう、寝起きの悪さは他の妖怪と比べても類を見ないからだ。
「銀ちゃんまだウダウダ文句言ってるアルか。往生際が悪いネ!」
「ぎゃーーー!!!」
 繰り出された攻撃は避けることもできなかった。脳内で椿の花がぽとりと落ちる。もうお婿に行けない。
 深々と尻に刺さった柄を恐る恐る抜きながら涙に濡れる。当の本人は何もなかったように再び眠りに落ち、静寂と仄かな月明りだけが部屋を満たしていた。
「なあ、コレ、尻割れてない?確実に割れたよね?」
「大丈夫っスよ。元からっス」
 ズルズルと袖を引かれながら肩を落として渡りを歩く。これはもういくら弁明したところで無駄だろう。今は大人しく言うことを聞いて、後から土方に説明してもらえばいい。あの男だって誤解されたままでは困る筈だ。
「こちらです。それじゃあ自分はまた朝に。あ、大丈夫っスよ。お二人の了承が出るまで中には入りませんから!頑張ってくださいね」
 既視感のある視線を向けられて、銀時は閉口しながら頷くことしかできなかった。どいつもこいつも人をまるで臆病者扱いするのはどうしたことか。
「おーい、入んぞ」
 痛む尻のせいもあってか、最初の緊張はいつの間にやら何処かへ吹き飛んでしまった。
 もし土方が礼儀や作法を重んじる人物であれば、こうして傍に仕えることなど叶わなかっただろう。その点については素直に有難いと思える。足音を抑えることもせずに部屋へ入っていくと、屏風を隔てた奥の間に土方が横たわっているのが見えた。流石にもう休んでいるのだろう。
(寝てんのか、じゃあ別に俺来なくてもよかったんじゃ……いや、まあ心配か、)
 鉄之助は夜の勤めばかりを強調していたが、本音は単純に土方のことを心配しているだけなのだろう。屋敷に間者が居るとなれば尚更だ。
(……何か、色々一人で背負い込みそうな感じするしな。コイツ、)
 銀時たちのことも、部下の反対を押し切って迎え入れた。賊に気付いていながらも、他の者には告げていなかった。何でも一人で決着をつけようとするのが常なのだろう。ならば自分も、警護に励めばいい。護る、それこそが今の己の勤めなのだから。
 だが、僅かに漏れ聞こえる呼吸音がおかしい。違和感を覚えて、銀時は衝立から土方の様子を覗き込んだ。
「オイ、大丈夫か」
 額に浮かんだ汗を拭おうと手を伸ばす。触れた肌は酷く熱い。指が触れる感触で漸く銀時の存在に気付いたのか、土方が重そうに瞼を持ち上げた。
「……何だ、テメーか。部屋に、戻ったんじゃねェのか?」
「お前の小姓に呼ばれたんだよ。んな事より酷ェ熱じゃねえか。今人呼ぶから待ってろ。毒じゃねェな?」
 意識を確認しながら、声をかけて立ち上がろうとすると、熱を持った手が銀時の腕を引いた。
「駄目だ」
 虚ろな瞳の奥には確かな意志が宿っている。
「さっきの騒ぎの後だ。屋敷に間者が居る可能性がある。わざわざ餌くれてやる必要はねェ」
「けど、そのままにしたら治るもんも治らねェだろ。せめてお前の小姓に言って薬師呼べば、」
「駄目だ。アイツは嘘吐くのが下手なんだよ。少し寝てりゃ治る。ここんとこ戦続きだったから疲れが溜まってるだけだ。いいか?絶対に誰にも言うな」
 銀時の腕を掴んでいる指に力が籠る。土方は目付きを鋭くしてそう言い放つと、ゆっくり瞳を閉じた。
(……野郎、半分意識失ってんじゃねェか)
 掴まれた手の熱さが不安を煽る。寒気を感じているのだろう。時折苦しげに身体を震わせる姿は、これからまだ熱が上がるだろうと予想できた。となれば一晩で回復できるとはとても思えない。本当にただの疲れなのだろうか。
「痘瘡とかじゃねェよな?」
 少なくとも屋敷に病人が出ているとは聞いていない。致死率の高い流行り病でないことを願いながら、再び額に浮かんだ汗を拭った。
 妖力を使って治す?いや、人間が九尾の力に耐えられるとは思えない。治しても必ず反動が出てしまう筈だ。
「せめて、何か温めるもんがありゃな、」
 毛皮でもあれば、と考えてふと気付く。
「あ、あるわ。毛皮」
 それもとびきり上等なヤツが。思わず手を叩いて自身の帯を外す。そのまま土方の隣に横たわると、己の尻尾を広げて包み込んだ。
「男と同衾なんて不本意だけどよ」
 起こさないように注意しながら、そっと肩口に顔を埋める。煙草混じりの柔らかな匂い。
(なんか、最初っから思ってたけど、コイツの匂い、落ち着くっつーか。何か、わかんねェけど、)
 湧き上がる衝動は上手く言葉にできなかった。落ち着くだけではない。どこか、切なく疼くような。
(……って何考えてんだか。変なの、)
 出会ってから浮かんでは消えていく疑問に揺られながら、眠りの淵を探す。多少の重さは仕方ない。数本の尾は下敷きにして擦り合わせながら傍らの身体を温めた。手拭いで汗を拭いては熱を測り、周囲の気配を探る。そうして一睡もせず繰り返していると、いつの間にか外の様子が変わってきた。窓から差し込む光が、穏やかな朝の訪れを告げている。外を覗けば東の空が白々と明けていく様が見えた。
「やっぱまだ下がってねェな」
 額に手を当て、苦しげに寄せられた眉間の皺を伸ばすように撫でる。
「どうするかねェ」
 朝日と土方の顔を交互に見つめながら溜息を吐く。もう一、二刻もすれば鉄之助が自分たちを起こしに来るだろう。すぐに部屋に踏み込むようなことはしないと言っていたが、このまま誤魔化し続けるのは難しい。腕組みをしながら唸っていると、案の定渡りの床が鳴った。
「失礼します、お館様。入っても?」
 どこか恐る恐るかけられた声にぎくりと身を強張らせる。同時に先程の「誰にも言うな」という言葉が銀時の脳内に響く。
 こうなったらヤケだ。後のことは後で考えるしかない。半分以上投げ遣りな気持ちで印を組み、狐火を灯す。そのまま淡い炎で自身の姿を取り巻いた。
 己の物ではない真っ直ぐな黒髪。黒曜石のような切れ長の瞳。変化した姿は土方そのものだ。
「テツ、静かにしろ。起こさないようにしてくれ」
 部屋の奥が見えないように入り口に立ち塞がる。なるべく声を落としてそう話しかけると目の前の顔が真っ赤に染まった。
「えっ……は、はい!スイマセン!」
 どうせ何重目かの誤解の上塗りだ。だったらもうそういうことにしてしまえばいい。
「具合悪いみてェだから、此処に寝かせとく。今日は誰も近寄らないようにしてくれ」
「え、でも、それなら自分がお世話を、」
「いや、俺がするからいい。水差しと重湯を用意して此処に置いといてくれ」
 反論を許さないように一息で言葉を紡ぐと、目の前の表情が驚きに満ちていく。大きな瞳が限界まで見開かれたようだ。戦慄く唇がその心情を示している。
「そ、そんなに、うわ〜」
「ああ?」
「あ、スイマセン、土方さんのそんな締まりの無い顔、自分初めて見たんでビックリして、よっぽど坂田さんとその、アレ、良かったんスね」
「ああああ?」
「あー余計なことを!大丈夫っスから!言われた通りするっス!」
 何が大丈夫なんだ。アイツと全く同じに変化したつもりなのに、締まりの無い顔ってどういうことだ。失礼な。
(もっと目と眉寄せる感じか?何なんだよ畜生、)
 走り去る背中を恨めしく見送ってから術を解く。土方の元へ戻ると、だいぶ汗をかいた着物が目に入った。このまま冷えてしまえばまた熱が上がってしまう。着替えたほうがいいだろう。
「おい、土方、」
「……ん、」
「汗かいてっから、着替えねェと、」
 そっと肩を揺らして、湿ってしまった襟を示す。すると、土方はゆるゆると目を開き、銀時の姿を認めて固まった。
「どうした?大丈夫か?」
「お前、その格好、」
 驚愕に見開いた瞳が揺れる。
(え、何で?変化も戻したし、尻尾も引っ込めたし、何をそんなに驚いてんの?)
 意味がわからずに首を傾げた。不審な点は無い筈だ。
 だが、銀時の困惑を余所に、土方は何故か辛そうに頭を抱えている。そして肩に触れていた銀時の手をそっと握り込んだ。
「……すまねェ、」
「は?」
「朦朧としてたとはいえ、無体を、働いちまった」
「へ?」
 訳が分からないままに腕を引かれ、そのまま土方の腕の中へと倒れ込む。思わず反射的に逃れようとして仰け反ると、改めて互いの姿が目に入った。具合の悪い土方が汗に濡れているのはまだしも、銀時は尻尾を出す為に帯を外していた為、長着だけを引っかけた姿である。
「いや、これは違くて、おま、何か誤解して、」
 腕の中から逃れようとして傍らに尻餅をつく。これが重ねて悪かった。
「っ、痛って、」
「どうした、大丈夫か?」
「いや、尻が、」
 神楽に箒の柄を突っ込まれた尻が痛み、思わずそう口に出したところで気付く。そう、盛大な勘違いを決定的なものにしてしまったのは銀時自身であった。
「……乱暴にしちまったのか。すまねェ、どんな責でも負う」
「はああ?」
 反論は腕の中に封じられ、耳元を熱い吐息が擽る。
 途方に暮れた銀時に新しい一日が訪れ、朝日が爽やかに二人を照らしていた。

 ああ、何故この屋敷には人の話を聞く奴が居ないのだろう。

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