仮初十六夜問答


【3】

 衆道、と。そういった風習があることは知っている。

 三人とも人間より長い年月を生きてきたのだからある意味当然だった。

 戦乱の世だ。戦場が女人禁制であることは勿論、女は穢れがあるとして、戦の前に契りを交わすことも不吉だとされている。となれば手近なところで、というのは自然の流れなのだろう。

「ちょっと前まではそんなんお公家様と生臭坊主の趣味だと思ってたのによ、」

「だいたい季節も関係なく年がら年中盛ってんのは何なんだよ。面倒臭ェな人間は」

「銀ちゃん、」

「おかしいだろ。雄だよオス!混ぜんじゃねェよ、頭おかしいんじゃねェの?」

「……銀ちゃん、怖いアルか」

 焦りを含んでどんどん早口で捲し立てる銀時に向かって、神楽が冷静な口調でそう投げ掛ける。たちまち冷や水を浴びせられたように黙り込むその背中が痛々しい。新八は傍らに膝を付いて、小さく息を吐いた。

「嫌なら嫌って言ったほうがいいんじゃないですか?聞いてくれそうじゃないですか。土方さん、無理強いしそうな人には見えませんよ」

「そうアル。未通女だから優しくしてって言えばいいネ」

「っ、オメーは黙っててくんない?」

 そわそわと落ち着かない様子で後頭部を頻りに掻いている姿は益々哀れだ。

 それにしても、と新八はつられるようにして首を傾げた。いきなり屋敷に押し掛けた不審人物をその日のうちに褥に迎え入れるなんて、いくら何でも不用心過ぎるだろう。それとも、そもそも銀時のことが好みだったから三人を雇うことしたのだろうか。その可能性もあるかもしれない。

 もしくは、武士はどちらが上であるか、主従関係を示す為に関係を結ぶこともあると聞いたことがある。不審人物である銀時を手籠めにすることによって、反抗されることの無いように最初に釘を刺すつもりだろうか。それも考えられないこともない。

「なら、幻術でも使ったらどうです?」

「幻術ねェ……それも考えたんだけどよ、」

 我ながら良い提案をしたと思ったが、何故か銀時は気まずそうに頬を掻いて言い淀んだ。

「何が問題アルか?」

「……だろ、」

「え?何ですか?」

 ぼそりと発せられた言葉はあまりに小さく籠って聞こえない。思わず聞き返すと、二人を見つめる視線がみるみる内に吊り上がった。

「幻術って奴はよ、俺が、アイツに幻を見せる訳だよ」

「そりゃ、そうですね。それが?」

「何アルか?まどろっこしいネ」

「だーかーらー!てめーで想像できねェもんを!相手に見せれる訳ねェだろ!俺が!アイツとヤる幻なんざ想像できるかァァァ!」

 握った拳で床を打ち付け、銀時が頭を抱えた。

「よしんばできたとしてもな?その後アイツは俺としたって思う訳じゃん!実際は何も無いのに何かふわふわした感じになるじゃん!ウアアアァァァ!」

 ゴロゴロと床を転がり壁に頭を打ち付ける。ゴン、と鈍い音が響いて眉を顰めた。これは痛そうだ。どうしたものかと考えあぐねていると、神楽が溜息を吐いて立ち上がった。

「往生際が悪いアル。変に格好つけようとするから面倒なことになるネ。嫌なら嫌って頭下げるだけの話ヨ。腹括るヨロシ」

 至極冷静に突き付けられた言葉に反論する術は無い。横目に映る銀時はぐうの音も出ないというように唇を噛んでいる。

(……尤もだけど、銀さんの気持ちもわからなくはないからなぁ、)

 正論は時に人を傷つける。そんなことを思っていると、神楽は男らしく裾を払って更に言葉を続けた。

「何なら私が銀ちゃんの代わりに行ってくるアル」

「なっ、んなのダメに決まってんだろ!何かされたらどうすんだ!男は獣だぞ!」

 勇ましく歩き出そうとする首根っこを引っ掴まえて、銀時が叫ぶ。すると、神楽はまるで母猫に項を噛まれた猫のようにだらりと力を抜いた。そのまま無垢な瞳をくるりと瞬かせて銀時を見上げている。

「そんなこと言ったら私も銀ちゃんも獣ネ」

「そうだけど!そうじゃなくて!とにかくお前はダメ!新八もダメ!わぁったよ!俺がちゃんと断ってくっから!」

 意を決したのか手拭いと渡された小袖を持って足を踏み出す姿にじんわりと胸が温まる。いつもそうだ。自分のことになるとグダグダと後に回ず癖に、他人の為なら躊躇うことをしない。もし初めから神楽か新八が指名されていたとしたら、銀時は魂を喰らう勢いで土方の元へ乗り込んでいっただろう。

「銀さん、行水済ましたら鉄之助さんのところに寄ってくださいって。そこでお酒と台の物をお館様へ持ってってくれって」

「お、おう」

「頑張れ銀ちゃん!しっかりケツの穴洗ってくるヨロシ!」

「だからオメーは黙ってろって言ってんだろうがァァ!」

 

 

 戦場へ向かう気持ちというものは妖である銀時には今一つ理解できない。同族で殺し合うなど無駄としか思えないからだ。獣の縄張り争いと同じものだろうかとも考えてみるが、同族間の獣の争いはあくまで一対一だ。食料を得る為、己より巨大な生物を仕留める為なら複数で挑むのもまだ理解できる。だが、人間は狩りでもないのに、大勢の命を犠牲にする。一体、何の意味があるのだろう。子孫を残すことが生き物の習わしであるなら、徒に種族を減らす行為など本末転倒だ。

そう、人のことはよくわからない。が、しかし。今の自分は正しくその戦場に向かう者の気持ちであるのではないだろうか。そんなことを思いながら、静かに瞳を閉じてゆっくりと深呼吸をした。

 

(……やっぱ帰りてェェ、何だよ夜のお相手ってよォォ、)

 

 じわりと目が潤んでしまう。不安で仕方ない。紛うことなき涙目だ。普段ならそれこそ適当に化かして逃げればいい。だが、あの男を護ると誓ってしまった。男が本心から望めば自分は拒否できないのではないだろうか。ゴクリと喉を鳴らして唇を引き結ぶ。そうして暫く逡巡した後、銀時は漸く奥の間に向かって声をかけた。

「えっと、失礼、酒をお持ち、」

 しました、と続けるつもりが勢いを続けることができずにゴニョゴニョと語尾が濁る。月明りに照らされた室内で、応えるように影が揺れた。

「ああ、来たか。入れよ、」

 低い声が穏やかに響く。導かれるように銀時はそろそろと足を進めた。黒の小袖は闇に紛れてしまいそうだ。秋の風がゆるりと吹いて、宥めるように頬を撫でていく。土方の視線が示す通り、傍らに膝をつくと床の間に花が活けてあるのが目に入った。

「どうした、萩が珍しいか?」

捨てられてもよい、そう思って銀時が届けた萩の花だった。一時でもこの屋敷に在ればこの男への御守になるだろう。そう思っていた。

それが捨てられていないばかりか大事に飾られ手入れもされている。思わぬ事実に湧き上がるむず痒い感情に囚われながら、そろりと男へ視線を向ける。艶めく黒髪、鋭い黒檀の瞳。

(…脂ぎったオッさんじゃなくてよかったな。って、いやいやいやそうじゃなくて、違うから、俺じゃなくて世間一般の女はそう思うだろうなっていうアレだから。断じて俺じゃないから、)

 おかしい。どうにも調子が狂う。これではまるで抱かれることが前提のようではないか。しっかりしろ、と思わず頭を振った。

黒い着物はよく見れば同色で青海波らしき模様が入っている。まるで夜の使いのようだ。

「……いや、じゃなくて、いいえ、」

「別に畏まらなくていい。見ただろ、まともな言葉遣いできるような奴は居ねェからな。てめェも好きにしたらいい」

「…っと、じゃあ遠慮なく、」

 だったらいいか、と開き直って正座も崩す。そうだ。そもそもこんな風に畏まって遜る素振りなどしているから思考が変な方向へと進んでしまうのだ。自分は生まれてこのかた誰かを主にした覚えはない。仕えるということに不慣れなあまり不安になってしまっているだけだ。

 胡坐を掻いて息を吐くと、土方は少し呆れたように笑った。どこか、ホッとしたようにも見えた。お互い同じ想いなのかもしれない。

「酒はやるか?」

「え、いいの?やるやる」

「いきなり遠慮がねェな。まあいい、そのつもりで呼んだからな、」

 そのつもりって、どのつもりだよ。

ぎくりと跳ねる体に気付かぬふりをして、渡された盃を受け取る。自分が先に、しかも主人に酌をさせるなどと、一瞬咎める思考が浮かぶ。だが、むしろ先に口をつけるべきなのだろう。杯は一つしかない。毒を盛っていないと証明するには体で示すのが一番だ。

「んじゃ、お先に頂きまーす」

 なみなみと注がれた酒を一気に呷る。喉を焼く久しぶりの味に思わず目を細めてしまう。酒は昔から好きだった。社に居た頃は奉納される度に待ちきれずに開けてしまい、新八に大目玉を喰らうのが常だったほどに。

「美味いか、」

「おう、キレがいい。どこの酒?」

「近くの寺院に作らせてる。てめェ、畏まるなとは言ったが、不躾過ぎんだろ」

「何だよ。テメーで言ったくせに」

 不満げに唇を尖らせながらそう言い返すと、土方は銀時の盃を奪って自らも酒を飲み始めた。

 形式や身分を気にしないというのは本当なのだろう。それでいて兵の統率も取れている。今時分には珍しい武将だ。元を辿れば、彼の主である近藤が家を継げずにやさぐれている農家の次男坊や三男坊の悪餓鬼を集めて兵を挙げたのが成り上がったきっかけなのだと新八が話していた。

 職業としての兵を結成したことで、それまで戦の度に駆り出されていた農民の負担も格段に減ったらしい。領内の商いも自由にさせ、何より領民を潤わせることを最優先にする。噂を聞きつけて他国からも人が集まり、また国が豊かになる。そして豊かになったからこそ近隣諸国から目をつけられるようになった。その繁栄を支えているのが彼の右腕である土方十四郎なのだ、と。

「こういう酒を飲んだことがあるのか?」

 物思いに耽っていると不意にそう声をかけられる。しまった、と盃の中を覗き込んだ。濁酒ではない、諸白と呼ばれる透明な清酒。庶民が口にする機会などまず無いだろう。

「おう、前にデカい神社で祭りの手伝いした時にな。神主のオッさんが気前よく分けてくれたことがあってよ。ほら、俺、万事屋だから、」

「……そうか、万事屋だったな」

「でもやっぱアレは古くなってたから分けてくれたんだな。こっちのほうが断然美味い」

 見えない背中に冷や汗を流しながら無理やり笑う。よくもまあ口からでまかせがこうスラスラと出るもんだと自分自身に感心した。嘘を吐く時、人は饒舌になるとはよく言ったものだ。狐だけど。

 不審がられていないか目を泳がせていると、土方は一言「そうか」と呟いて頷いた。どうやら誤魔化されてくれたらしい。

「濁り酒も悪くねェけどな。あれは悪酔いすることもあるからよ」

「ふうん、そういうもんか」

 煙管に火をつけ煙を燻らせる姿を見つめながら再び酒を舐める。秋風が戯れに吹き、土方の吐いた煙が届く。どこかむず痒い、妙な空気だ。うっかりくしゃみでもしてしまえば尻尾を出してしまうかもしれない。

 鼻先に袖を擦りつけてやり過ごしていると、吹き込む風に仄かに別の匂いが混じり始めた。思わず神経を研ぎ澄ませる。銀時でも土方でもない、別の人間の気配。ゆっくりと、まるで一寸ずつ進んでいるような速さで床下を這う者がいる。気配は二つ。そして、天井にも一つ。

「おい、ひじか、」

 乱暴に盃を置いて立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。腕を引かれて、土方の胸元に抱き寄せられる。差し入れられた指が耳朶を擽り、もう片方の耳には熱の篭った吐息が吹き込まれた。

「万事屋、」

「っ、あ、なに、」

「……男とは?」

 耳朶を弄っていた指が頬を辿り、そのまま首筋へと這う。言葉の意味を察すると同時に熱が昇り、頬に含羞の色を浮かべてしまう。反応が答えだと察したのか、土方が喉奥で笑うのがわかった。

「なら、優しくしてやるからよ、」

「ち、ちが、今んなことやってる場合じゃ、」

 着物の袷を開かれ、直に触れられて身体が跳ねる。肉刺のできた節くれ立った指が、肌を確かめるように撫でていく。曲者がいるのだと訴えたいのに、腰の、本来は尻尾の付根である場所を揉まれた瞬間、ビクビクと体が跳ねた。

「ここ、いいか?」

「っ、や……っ、ん、」

…なんだ、これ、)

 ぞくりと背筋を奔る快感に流されてしまいそうになる。今まで人間と肌を重ねたことなど無い。初めての感覚だった。

 どうにか正気を保ちたくて、肌に悪戯する手を咎めるように抓る。すると、土方は嬉しそうに目を細めて再び銀時の耳元に唇を寄せた。

「それとも酷くされんのが好みか?」

 燃えるような羞恥に包まれて、視界が潤む。悔しいのか恥ずかしいのかよくわからない。

(そうじゃなくて、曲者が居るってんだよバカ野郎!)

 途切れ途切れの思考を拾い集めて辺りを見回す。床の間の刀掛けに太刀と脇差が一本ずつ。後は己の腕っぷしだけだ。そうこうしている内に床へと押し倒され、帯を解かれてしまう。これ以上は駄目だ。だが、胸元に口付けている土方の顔を掴み、無理やり目を合わせようとして銀時は息を呑んだ。土方の表情に、欲情の色は一切見えなかったからだ。

「わかるか、」

「え、」

 疑問を口に出そうとすると、手のひらで口を塞がれ、また耳を食まれる。だが、今度はその吐息に混じって羽虫のような囁きが吹き込まれた。

「……何人だ、」

 睦言のように甘く、低く響く声。だが、声色に反した冷静そのものの瞳。呟かれた言葉の意図を汲み取って、銀時は瞠目した。

(コイツ、気付いてやがる。そういうことか、)

 全ては敵をおびき寄せる為にすぎない。夜の戯れの為に銀時を呼んだのではなかったのだ。

 互いの思考が視線を交わすだけで理解できてしまう。そのことに気付いた瞬間に体が昂る。性的なものとは全く別の興奮が、銀時の体を取り巻いていく。衝動のまま、その深い闇色をした瞳に吸い寄せられる。頬を寄せ、己の肌を弄る土方の手を取った。

「もっと、下、」

 人差し指と中指に口付けて、そっと咥える。つまり床下に二人、と示す。土方の瞳が満足そうに煌めいた。

「……上は、いいのか?」

「や、上も、」

 天井には、一人。愛撫にむずがるようにしながら、人差し指を土方の唇に当てた。

「可愛いことすんじゃねェか」

「……ん、」

 頷いて唇を寄せる、同時に床板が外された。ダン、と激しい音と共に床下から黒い影が飛び出してくる。銀時はそのまま懐に入り込むと、巴投げのごとく土方を投げ飛ばした。

「何すんだコノヤロー!主を投げる奴がいるか!」

「うるせー!言ってる場合か!」

黒装束に身を包んだ曲者の顎を蹴り上げ、立てないように両膝の皿を割る。同時に床の間の脇差を土方が投げてきた。振り向きもせずそれを掴むと、刀の柄でもう一人の鳩尾を抉り、後ろ手にして肩を外す。すると、天井の板が壊され、新手が土方に斬りかかってきた。刀を投げつけ男の太腿に突き刺すと、土方がその体を斬り伏せる。崩れ落ちる身体から噴き出る血を一瞥して、ゆっくりと刀を抜いた。

「ったく、昨日からチョロチョロしてやがってよ。その割には手ェ出してくる訳でもねェから目障りだったんだよ」

 刀に付いた血を拭いながら土方が舌打ちする。どこか釈然としない想いを抱いて銀時は唇を尖らせた。

「のやろー、てめェ謀りやがったな?人を試しやがって、」

 そう、この男は銀時を試したのだ。銀時がこの男たちの仲間ならば褥に入ることは絶好の機会。土方を油断させるように誘うかどうか、敵かどうか見極める為に呼んだのだろう。

「試してねェよ。酒飲んでるあのアホ面が演技だったっていうなら感心するけどな」

「うるせェ、悪趣味なことしやがって、」

 今度は怒りで頬に朱を注ぐ。なんて見っともない姿を晒してしまったのだろうか。思い出すだけで憤死しそうな勢いだ。

「土方さん!何ですか今の音は!」

昏倒している男たちを縛り上げていると、バタバタと足音を響かせながら家人たちが一斉に集まってきた。

「ああ、鼠が紛れてやがった。始末しとけ、」

「ええー!」

「コイツの手柄だ。後で褒美を取らせる」

 そう言って土方が銀時を顎で示す。すると、つられるように銀時を目にした家人たちの顔がみるみる内に真っ赤になった。疑問に思って視線を落とすと、改めて自分の有様が目に入る。解けた帯。はだけた胸元に散らばる赤い痕。先ほどまで受けていた愛撫を証明するものに他ならない。

「っな、」

「で、では、別室を用意しますので、今宵はそちらで二人、お休みください」

 一斉に目を逸らされ、気まずい空気が漂う。

 

(結局フワフワした感じになってるじゃねーかァァァ!!)

 

 力の限り叫び出そうとして、銀時は唇を噛んだ。

「てめェ、覚悟しとけよ、」

 苦し紛れにそう吐き捨てれば、土方が挑発的に目を細める。

「てめェこそ、人をぶん投げといて只で済むと思うなよ」

「なっ、助けてやったんじゃねェか!感謝しろよ!」

「ああ?やんのかてめェコノヤロー!」

 揺れる萩の花が、猶予う月を手招く。

「わあ、二人ともいつの間にそんなに仲良くなって、嬉しいっス」

「「仲良くねーよ!」」

 目を輝かせる鉄之助の頭を同時に叩いて、顔を見合わせる。すると、土方の形の良い唇が目に入る。先ほどまで己の肌を這っていたことを思い出し、じわりと熱が沸き上がった。誤魔化すように、咄嗟に顔を背けてしまう。

 

(あーもう、調子狂うぜ、)

 

 これから一体どうなることか。

 

 胸に過ぎるのは、不安か。それとも──。

 思考を放棄して銀時は余った酒をこっそり懐に仕舞い込んだ。褒美など、この酒一つで充分だ。


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