仮初十六夜問答


【2】


 草木も眠る丑の刻は常世へ繋がる時間だとされている。陰の丑と陽の寅、その境目である丑寅の時刻は鬼が現れる、と。
 何が鬼だ、と土方は鬼門と呼ばれるその方角へ向かって煙管の煙を燻らせた。恐ろしいのは人だ。鬼とは、人だ。人が鬼になり、そう呼ばれているのに過ぎない。
 戦場で土方に対峙した敵は皆、事切れる瞬間に「鬼だ」と呟く。そうだ。本当の鬼は常世へ行くのもままならない。
 辺りはまだ暗くとも、虎の刻を過ぎれば家人が徐々に起床する。戦の後は特に朝が早くなる。残党による夜襲を警戒するからだ。今日は登城の予定はないが、すべきことは山積みだった。昨日の戦で得ることになるだろう領地の整理も始めねばならない。
 行水を済ませ家人へ用事の申しつけをしていると、誰かが慌ただしく部屋へ向かってくる気配がした。
「ひ、土方さん!じゃなくてお館様!大変です!」
 襖を叩くなり、返事を待たずに山崎が顔を出す。
「何だ、騒々しいな」
 戦の為、強ければ身分は問わない。そう通達しているせいで、土方の部下は荒くれ者が多い。家人同士の喧嘩やいざこざは日常茶飯事だ。今日もまた誰かが暴れているのだろう。うんざりしながら溜息を吐くと、山崎の返事は予想に反したものだった。
「それが、妙な者がお目通りを願いたいと暴れてまして、」
「兵の志願か。それが何で騒ぎになってんだ」
「いや、そうなんですが、その、女子供が混ざってまして、」
「はあ?」
 手っ取り早く力を示せば雇われると考えている輩の仕業ではないのか。眉を顰めて徐に立ち上がると、庭の松が小さく枝を揺らすのが見えた。
「ってことは何だ、山崎、」
「はい……」
 傍らの刀掛けに据えてあった愛刀をゆっくりと手に取る。鍔を鳴らせば山崎がぎくりと肩を震わせた。
「……その女子供に歯が立たねェ、なんてこと言うつもりじゃねェだろうな?」
「ひぃぃぃ!スイマセン!その通りです!」
「恥もなくそんなこと報告しにくるたァ、切腹の覚悟はできてんだろうな?」
 土方の言葉に山崎は顔を青くしながらも、両手を合わせて頭を下げた。
「うぅ、恥は承知の上です……切腹なら後でしますけど、とにかく阿呆みたいに強いんですよ」
 困り切った表情と続けられた返事を受けて土方の気分はじわりと昂った。ここまでの物言いは初めてのことだ。流石に戦場に女子供を連れる訳にはいかない。だが、隙があればサボろうとする者がより鍛錬に励む為の起爆剤にはなるかもしれない。少なくとも女子供に負ける時点で鍛錬が足りないことは明白だ。半ば呆れた想いを抱きながらも僅かな期待を持って中門へと足を進める。
「山崎、」
「はい」
「まさか全員が女子供って訳じゃねェんだろ。親玉はどんな奴だ?」
 袖を払って視線を向ければ、山崎は一つ咳払いをしてから神妙な面持ちで口を開いた。
「齢は、土方さんと同じくらいに見えました。体格もそう変わらないと思います。ただ、」
「ただ?」
「目と髪の色が……恐らく南蛮の血でも混ざっているのではないかと、」
「そりゃ珍しいな」
 渡来したとするならば、過酷な船旅に子供を連れてきたとは考え難い。流れ着いた南蛮人がこの地で女に産ませたのだろうか。
 考えようによっては、これは屋敷が襲撃されたに等しい出来事だ。だが不思議と土方に危機感は無かった。門の方から聞こえてくる喧騒に殺気が一切感じられなかったのも一因だろう。落ち着いて辺りを見通すように騒ぎの中へ足を踏み入れる。
「その辺にしてやってくれよ、ここの連中はどうやらてめェらの相手には足りないみてェだからな」
 土方の言葉に、家人たちが一斉に場所を開けて傍へと控える。すると、中心にいた三人組も静かに膝を付いた。まるで、土方が誰であるのか、ここに来る理由もわかっているかのように。
 目の前には眼鏡をかけた少年が一人、珍しい。眼鏡など、南蛮人が持っている姿しか見たことはない。見た目はそう見えないが、やはり渡来人だろうか。その隣には赤毛の少女が一人。そして、
「南蛮?いや、白子、か?」
 銀髪に赤い瞳を持った、青年がふてぶてしい表情を隠しもせずに土方へと視線をむけた。白子、しろひと、八尾比丘尼伝説にも評されたその言葉を思い起こさせるような、白い肌。
「どっちだと思う?残念ながら答えは俺も知らねェけどな」
「何?」
「ちょっと銀さん、そうじゃないでしょ、」
 土方を揶揄っているようにも見える様子に思わず怪訝な表情を向けると、傍らの少年が慌てたように顔を上げた。
「失礼いたしました。あの、僕ら、こちらの噂を聞きつけて馳せ参じた次第にございます」
「噂?」
「こちらの御屋敷は、強ければ身分を問わずに迎えて頂ける、と」
「お腹いっぱい食べさせてくれるって聞いたアル!」
 言葉と同時に腹の音を豪快に響かせながら、少女が瞳を輝かせる。すると山崎が土方の影に隠れながらびしりと人差し指を突きつけた。
「君らねぇ、そんなんで雇う訳ないでしょ。さあ帰った帰った」
「えっ、この人たち倒したらいいってさっき言ったじゃないですか!」
 周囲に倒れている兵を指さして眼鏡の少年が食い下がる。改めて屋敷の惨状を目の当たりにして、土方はたっぷり呆れを籠めながら溜息を吐いた。倒れている者の中には剛の者として名を馳せている者もいる。しかも手加減されているのだろう。白目を剝いて気絶してはいるが、目立った外傷も無い。どちらが煽って始まったのかはわからないが、相当の手練れであることは間違いなかった。
「ったく、そんなこと言ったのか」
「すみません、門の前から梃子でも動かないっていうんで、つい売り言葉に買い言葉で、」
「まあいい、おい、てめェら、此処に来る前は何してた?」
 冷えた風が緩やかに巡る。面倒そうに胡坐を掻いて座り込んでいた男がゆっくりと顔を上げた。男の銀色の髪がふわりと揺れて、陽の光を反射する。朝陽が絡んで遊んでいるようだった。
「えっと、東国で万事屋を生業としていたんですが、先の戦で住まいを失いまして、」
 眼鏡の少年が顔を上げて土方を見詰め返した。どこか、瞳を泳がせている風に見える。不審な様子を感じ取る前に、赤毛の少女と銀髪の男がこそこそと少年に耳打ちした。
「あれ、農家の次男坊が追い出されたんじゃなかったっけ」
「ピン子に村八分にされたっていうの使うんじゃなかったアルか?」
「え、こっちの設定にするって言ったじゃないですか!今更変えないでくださいよ」
 断片的に漏れ聞こえる会話は、明らかに不自然そのものだ。
「設定?」
「いやいやいや、何でもないですよ!せっていじゃなくて、そう、焦って!焦って戦から逃げて来たんです!」
「……こんだけの腕があって、か?」
「ほら、だから無理があるっていったじゃねェか」
「なっ、これ最初に言い出したの銀さんでしょうが、僕のせいにしないでください」
 再びこそこそと慌てる姿に益々疑念が深まる。土方が疑いの目をじっとりと向けていると、傍らの山崎が頷きながら口を開いた。
「土方さん、さすがに怪し過ぎますよ。絶対間者ですって、追い返してくださいよ」
「てめェは何で俺頼みなんだよ。恥を知れ、恥を」
「なら沖田さん呼びます?」
「んなことしたら火に油だろうが」
 もう一度深く息を吐いてから踵を返す。視界の端に三人組が肩を落とすのが見えた。流石に無理だと悟ったのだろうか。
「ひとまず部屋用意してやれ、」
「は?何のですか?」
 きょとんと首を傾げる姿に思わず苛立ちが込み上げる。やるべきことが今日は山積みだ。これ以上時間を取られるのは勿体無い。土方は山崎の胸倉を掴むと、一語一句を強調するように音を乗せた。
「あの三人に部屋用意してやれって言ってんだよ」
「え、えええええー!!何でですか!あんなに怪しいのに!」
「てめェらだって似たようなもんだろうが。そもそも此処にはゴロツキしかいねェだろ」
「なっ、そうですけど!間者だったらどうするんですか!子供連れだって油断させて土方さんの寝首掻きにきたのかもしれませんよ!」
「そしたら俺がその程度だったってことだろ。てめェの見る目の無さを恨むんだな」
「土方さん!もう!」
 喚く姿を無視して、土方はゆっくりと三人へと向き直った。ぽかんと口を開けている姿が並んでいるのは随分と間抜けだ。
「名は?」
 視線で指し示せば、子供二人が我に返ったように立ち上がった。
「し、志村新八です」
「神楽アル」
 順を追って目を細める。
「お前は?」
 銀の髪がまたふわりと揺れて、男がふっと息を漏らした。弛んだ口元から僅かに笑みが漏れる。
「坂田銀時でーす」
 どこか、覚えがある気がした。



「チョロいな」
「チョロいアル」
「ちょっと二人とも、油断しないでくださいよ。誰が見てるんだかわかんないんだから」
 新八は宛がわれた部屋を掃除しながら、畳の上でだらけている二人の様子に眉を顰めた。少し油断すればこの有様だ。わかっていても呆れてしまう。だらりと寝そべって日向ぼっこを楽しむ姿はまるで動物にしか見えない。実際、そう言っても間違いではないだろう。何故なら、視線の先にはゆらゆらと揺れる複数の尻尾が緩慢に宙を漂っているからだ。
「だから二人とも尻尾隠してくださいって。普段から隠すの習慣づけとかないと、いざという時に出ちゃいますよ!」
 二又に分かれた赤毛の尻尾に、場所をとる九本の銀色の尻尾。一人掃除をしている身にとっては邪魔な事この上ない。
「何だよ、ぱっつぁん、お前なんか剥き出しじゃねェか」
「そうアル。破廉恥極まりないネ」
「だいたい何だよ眼鏡の妖怪って、意味わかんねェんだけど」
「うるせェェ!僕だって好きでこうなってる訳じゃないんですよ!いいですよね!お二人は天下の九尾と猫又ですもんね!」
 雑巾にしていた襤褸切れを振り回し、唇を噛んで睨み付ける。言ってもどうしようもないことはわかっているが、愚痴らずにはいられない。何故生まれたかなんて愚問だ。
 元々新八は神社に仕えていた男神子で、その神社が祀っていた稲荷が銀時であった。銀時の言い分としては、新八が人としての天寿を全うしようとした正にその時、何故か懐に憑いてしまったということだ。その懐には銀時がたまたま拾った、南蛮人の落とした眼鏡が入っていた、と言うことらしい。知ったことか。因みに神楽は馬で轢いてしまった猫を看病していたら化けてしまったそうだ。
「そうやって蔑ろにしてるといつか罰が当たりますよ。その時は笑ってやりますからね。もう、掃除手伝ってくださいよ」
 ゴロゴロ転がる背中を足蹴にして発破をかける。すると、銀時は狐耳をピクピクと震わせて気持ち良さそうに伸びをした。
「それにしても、よくまああんな問答で納得したもんだぜ。アイツ馬鹿か」
「まあ、さっきも少し言ってましたけど、出自も気にしないみたいだし、逆によっぽど自分に自信があるんじゃないですか?」
「は〜嫌味な野郎だこと」
「その嫌味な野郎に自分で縛られる羽目になったのはどこのどいつアルか」
「うるせーな!そもそもてめェらが人の宝玉捨てるからだろ!」
 そう、事の発端はだらける銀時に仕置きする為に神楽が宝玉を隠したのがきっかけだった。しかも運の悪いことに使いの途中に落としてしまい、それを人間に拾われてしまった。
「もとはと言えば銀さんのせいじゃないですか。人に紛れて市中で賭け事なんて、これで善狐なんてよく言えたもんですよ」
 宝玉を取り戻したのは良かったものの、あの時土方に対して「護る」と言ってしまったため、銀時は自らが放った言霊に囚われてしまったのである。零れた水は盆に返らない。一度言ってしまったことも取り消すことはできない。
「まあ、どのくらいで解けるかわかりませんけど、こうなったら気持ちを切り替えてお仕えしましょうよ」
「何を仕えんだか。あの感じなら別にいらなさそうだろ。戦待つのもおかしな話だしな」
「銀ちゃんなら他にできることいっぱいあるネ。クヨクヨすんなよ」
 バリバリと柱で爪を研ぎながら、神楽も銀時に倣って伸びをする。すると、何かを察したのか二人の耳が同時にピンと立ち上がった。察したように尻尾と獣耳を仕舞って座り直す。暫くすると、パタパタと渡りを走る音が近づいてきた。音は部屋の前で止まり、声と同時に障子戸が開く。
「失礼するっス!」
 膝を付いて一礼すると、青年が部屋へと入ってきた。小柄だが、特徴的な瞳は無駄に輝き存在感を放っている。その眼力に色々な意味で圧倒されていると、青年は手にしていた着物を三人に渡して再び頭を下げた。
「自分、小姓を務めております鉄之助っス!屋敷のことでわからないことがあったら聞いてください!」
「あ、ありがとうございます。あの、僕ら何をしたらいいですか?」
「そうっスね。明日から掃除とか、屋敷の警護とかお願いしますんで。今日は長旅で疲れているだろうから休めと言付かってますから」
 替えの着物や小物を並べながら、にこにこと笑う姿に新八はホッと胸を撫で下ろした。不審に思われてはいるだろうが、少なくともいきなり悪意を向けられるようなことはなさそうだ。だが、渡された小物を受け取って整理していると、一際上等な着物が混ざっていることに気が付いた。
「あれ、こんなに高価そうなの、いいんですか?」
「ええ、ちょっとしたお祝いみたいなものっス!」
「お祝い?」
 広げてみると白地に流水紋の柄が入った小袖が現れる。新八や神楽が着るにしては大きい、ということは銀時への物だろうか。
「正直、女に全く興味を持たないお人だから心配してたんスよ。かといってソッチの気がある感じでもないし、そりゃこういう感じがお好みなら中々他に食指が動かないってのも納得っス」
「は?」
 何の話だろうと三人揃って首を傾げると、鉄之助が少し照れ臭そうに頬を掻いた。
「ココだけの話、もしかしたら不能なのかもって、でもそんな失礼なこと聞けないっスからね!」
「いやだから何の話、」
「行水したらそれに着替えてください、坂田さん、」
「え、俺が何だって、」
 不意打ちで名前を呼ばれ、銀時がますます怪訝な顔をする。頭の上には疑問符が飛び交うばかりか、うっかり尻尾を出してしまいそうだ。銀時の疑問を他所に、鉄之助は上機嫌で顔を赤らめた。
「お館様が、今宵、寝所に参られよと。坂田さんに」
「……は?」
「そんな、みなまで言わせないでくださいよ〜夜のお相手っスよ!」
「へ?」
「黒髪美女じゃなくて、銀髪好きかあ、変わってるっスよね。さすがお館様っス」
 頭の中に入ってくる情報が整理できずに、銀時は忙しなく瞬きを繰り返すことしかできなかった。照れた鉄之助にバシバシと肩を叩かれ、横を見れば新八は驚きのあまりあんぐりと開けた口が閉じられなくなっている。縋るように視線を向ければ、神楽は腕を組んで納得したように頷いてから親指を立てた。
「よかったネ。銀ちゃん、他にできることあったアルな!」
 得意げに微笑むその横っ面を張り倒してしまいたい。

 誰が、誰と、何をだって?

 何って、ナニですよ、などと言われるようなら祟り神になってしまいそうだ。


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