For your eyes only


 夢とも、幻ともつかない時間。

 飽きはしないのかと、己に向かって問い質してしまいそうになる。
 それでも、止められはしない。縋るように伸ばされた指先をつかまえて、しっかりと絡め合う。
 失いたくない、失いたくないと、お互いそればかりを願いながら熱を交わした。抱き合っているのに次々と不安ばかりが沸き起こってくるのは、この瞬間が、今だけだとわかっているからだ。
「今」が過ぎれば消えてしまう。儚い、温度。
 期間を限定されたこの情を、恋と呼ぶにはあまりにも不確かだ。
 不安げに揺れる瞳を覗き込んで、何度も何度も口付ける。
 名前を呼んだ。そうして一つ、約束をした。
 愛するのは、お前だけだ、と。



一. めぐりあい



 出会いが全ての結末を形作る。
 俺とアイツの出会いは正にそうだった。あの出会い。アイツが俺の太刀をかわした、それだけ。
 只それだけのことがきっかけで俺とアイツは顔を合わせる度にいがみ合っている。だが、それも総悟に言わせると、「ムキになってるのは土方さんだけでさァ」ということらしい。何だか納得がいかないが、奴の意見はそもそも客観的、というには程遠いので、無視しておくことにした。
 ふう、と溜息を一つ吐いて胸ポケットから取り出した煙草を一本銜える。
 肺を満たす煙が思考を落ち着かせていく。顔を上げると、数十メートル先にふわふわと風に揺れている銀髪が見えた。同時に、自然と舌打ちをしている自分に気付く。
 どうして嫌だと思っているのに、俺は奴を見つけてしまうのだろう。
 街の何処に居ても、いつもの姿とは違うふざけた格好をしていても、必ず奴は俺の目に入る。
 虫嫌いほど虫を引き寄せてしまうのと同じことだろうか。

 そうして俺は、いつも同じ事を考える。

 もし、出会いが違っていたら、何か変わっていたのだろうか、と。

 考えてもどうしようもない、只の空想だ。そんなこと思うほうがどうかしてる。けれど、この先交わされる一連のパターンを思い返すとどうしても考えずにはいられない。
 いつも俺がこうして奴を見つけた後は、向こうも何かを察したように俺の方を向く。そして、「げっ、」といかにも嫌なものに出くわしてしまったかのように口元を歪めた後、あの手この手で人をからかい始めるのだ。それが、俺たちだった。もう何十回と交わしたであろう会話をまた今日も繰り返すのかと、溜息交じりに煙草の煙を吐く。
 認めたくは無いが、似通った思考を持っていることは確かだ。同族嫌悪という言葉に当て嵌めるのも腹立たしいが、どうやらそうらしい。
「似た者同士なんだから、仲良くやれんじゃねえのか?」
 そう言ったのは近藤さんだっただろうか。
 何を馬鹿なことを、と思ったが、それから俺はたまに考えてしまう。こうやっていがみ合う間柄が確立された今となっては、アイツと仲良く、なんて天地がひっくり返っても無理だろう。

 もし、違う出会いをしていたら。

 そんな有り得ない出来事がこの日待ち構えていることなど、俺に予想できる筈も無かった。
 いつものように、嫌そうな視線が向けられるとばかり、思っていたのだ。
「ったく、またテメーか。」
 呆れを滲ませた俺の言葉を受けて、男がゆっくりと振り向く。
 いつも、この瞬間をスローモーションのように感じてしまう。逃げ出したいような、かかってこいや、と叫び出したいような、矛盾する二つの衝動が体の中を駆け巡る。
 ふわり、と銀色の髪がまた揺れた。
 奴はいつもと違う灰色の着物に、同系色の羽織を着ている。
 珍しい。何処かへ行く途中なのだろうか。それとも、これも何かの仮装のつもりなのだろうか。
 そう考えるのと同時に、目に映った光景に息を呑んだ。
 柔らかな髪の下から覗く包帯と、片手を覆ったギプス。これだけならまだいい。どうせまた面倒事に首を突っ込んで無茶をしたんだろうということで片付けられる。だが、何よりも違和感を覚えたのは、奴が俺を見つけた瞬間の、その目だった。
 いつもの死んだ魚のような瞳も、俺を見つけた時の面倒臭そうな溜息も存在しない。赤い硝子玉のような瞳が只じっと俺のことを見つめ返している。
 何処か虚ろな瞳は戸惑うように揺れ、それでも何かを感じたのか、奴はじり、と後ろに一歩下がった。
「何してんだ、」
 一体何の芝居かと、憮然とした態度で問い詰める。勿論、警戒は怠らない。
 案の定、奴は嘘としか思えない台詞をたどたどしく述べ始めた。
「…あ、あの、僕に言ってるんですか?」
 消え入りそうな声はうっかりすれば聞き逃してしまいそうになる。自分の耳に入った言葉を即座には理解できなかった。

 ちょっと待て。コイツ今なんて言った?
 もしかしなくても「僕」とか言ったように聞こえたが。しかも敬語とか使っていなかったか?誰に?俺に?
 あまりのことに思わず周囲を窺ってしまう。
 またコイツと総悟が結託して俺をからかっているのではないだろうか。さもなければ、俺の耳がおかしくなってしまったとしか考えられない。
 だが、いくら辺りを見回してもそれらしき影は何処にも見当たらなかった。ならばやはり幻聴だったのだろう。このところ忙しかったからな、と自分を無理矢理納得させつつ、再び男の前に向き直る。しかし、
「あの、すみません、ひょっとして僕の知り合いの方ですか?」
「は?」
 男は頼り無く俯きながら申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「な、何してんだてめー、頭おかしくなったか?」
 きっと今俺は情けなく左右に目を泳がせていることだろう。
 あたふたと落ち着かない素振りを見せる俺に、男は小さく頷いた。
「…たぶん、そうみたいです。」
「はあ?何言って、」
「僕、何も覚えていないんです。」
 少し自嘲気味に男が笑う。
「今朝交通事故に遭ったようなのですが、病院で目覚めたら全て忘れてしまっていて、」
 確かに今、奴は俺が今までに見たことも無い表情をしている。怪我は、それが原因だったのか。
「記憶喪失…?」
「そうみたいです。」
 ゆっくりと噛み締めるようにぽつりぽつりと続いていた口調が、記憶喪失であることを肯定する言葉だけ、きっぱりと発せられた。何の冗談かと言い返そうとしていた口は半開きのまま固まってしまう。
 今、コイツの中で確かなことは、自分が記憶喪失である、ということだけ。
 そのことだけは、何故か疑う余地が無いと思わせる。妙に説得力のある口調だった。
「…そうか、」
 独り言のように頷くと、今度は男の方が驚いたように目を見開く。
「怒らないんですか?」
 俺の隊服の裾を掴んでそう言うと、すぐに掴んでしまったことを恥じるかのようにパッと手を離す。
「何でだ?」
 逆に問い返すと、気まずそうに手を彷徨わせながら口を開いた。
「いえ、その、信じてもらえるとは思わなくて、」
「嘘なのか?」
「いいえ、本当ですけど、」
 俯く姿が何故か、しょんぼりと耳を垂らしている動物のように見える。思わず、俺は手を伸ばしてその頭を撫でていた。見た目と同じ、柔らかな感触が掌に心地良い。
「…え?」
 驚きに、男が肩をビクつかせるのを見て、俺も慌てて我に帰る。

 何やってんだ、俺。相手は大の大人じゃねえか。
 しかもいがみ合っていた最悪の相手だ。それなのに。

 誤魔化すように一つ咳をして、煙草を一本取り出す。平静を保つには一番の薬だった。
「それで?万事屋に戻んのか?」
「…いえ、」
 申し訳なさそうに項垂れながら答え始める。
 解散した、と続けられた言葉に、どうしてだと問い詰めてしまいそうになるのを何とか堪えた。あんなに大事にしていたのに、と思っても、当の本人はその記憶を失っている。そのことに一番苦しんでいるのも本人だ。しかも聞けば万事屋に宇宙船が墜落した為、とても人が住める状況ではないらしい。
 確かに、その状態では余計に他人に迷惑は掛けられないと思うだろう。けれど、自分を一人にする他に選択肢が無かったのかと思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。そうしたのは、記憶を失ったからなのだろうか。
「じゃあ、これからどうすんだ、」
「…何処か住み込みで働けるところを探します。」
「その怪我でか?」
「…あ、」
「今日はどうすんだ、もう日ィ暮れんぞ、」
 俺の指摘で漸く気付いたのか、困ったように眉を寄せるのがわかる。また、手を伸ばしそうになっている自分に気付く。この衝動は一体何だろうか。
「やっぱりアイツらのとこ戻ったほうがいいんじゃねえのか?」
「…それはできません。これ以上、あの人たちに迷惑を掛けるわけには、」
 困っていても、口にするのははっきりとした拒絶の言葉。
 帰る意思が無いのはわかった。かといって一応警察の端くれとしてはこのまま放っておくわけにもいかない。どうせコイツのことだ。金を持っているとは思えない。ならば屯所に連れて帰ろうかと思ったが、他の隊士(主に沖田)に何を言われるかわかったもんじゃない。
 どうしたものかと頭を抱える俺を、奴は不思議そうな眼差しで見つめている。赤い瞳を子供のように丸めている様子は、普段のふてぶてしい人物ど同一だとは思えなかった。
 行き場を失った、そう、迷子そのものだ。
 だから、助けたいなんてふざけたことを思ってしまったのかもしれない。
 コイツは、俺の知っている男ではない。俺は、今日初めてこの男に出会ったのだ。
「…迷惑にならない場所ならいいんだな?」
「え?」
 そうと決めたらもう、迷う必要は無かった。着物から覗いていた白い手を取って歩き出す。
「あ、あの、」
「土方だ。」
「え?」
「土方十四郎だ。まだ名乗ってなかったな。お前は?」
 前へと進めていた足をピタリと止めて後ろを振り向く。急に動きを止めた俺の胸に、奴は勢い余って顔面を打ちつけた。一瞬、痛みによって歪んだ顔が、俺の問いを理解してみるみるみる内に赤く染まっていく。
「さ、坂田銀時です。多分、」
「多分はいらねーよ。」
 赤味を帯びてしまった鼻先をそっと擦ってやると、銀時は今にも泣き出しそうにしながら笑った。


inserted by FC2 system