5月5日の懺悔



 トントン、と踵を鳴らして玄関の戸を開ける。
 澄み切った高い空。階段の手摺で遊んでいた雀の家族が一気に羽ばたく。
 緩やかに吹き付ける風を感じながら、スクーターに跨りエンジンをかけた。
 いつもの風景。いつもの日常。毎日同じ穏やかな毎日の繰り返し。

 そう、俺だけを残して。



 今日が何年の何月何日なのかわからない。しかも、俺だけがわからなかった。
 昨日までは「昨日」であった筈なのに。今朝起きてみたら、昨日は「昨日」でなくなっていたのだ。真っ先にタイムスリップを疑ってみたが、道行く人々はいつもと同じで別に全く話が通じない訳じゃない。共有している記憶は同じなのだ。ただ、俺にとっての「昨日」が彼らにとっての「二年前」だった。それだけの違いだ。

 それだけの違いなのに、同じ時を過ごした記憶を持っているのに、皆が別人だった。

 減速したスクーターを路肩に寄せてブレーキをかける。エンジンを止めると同時に溜息を吐いてしまうのは仕方がないことだと何度自分に言い聞かせたことだろう。それでもいいと会いに来ているのは自分なのだから。

「やあ、早かったね。」

 慣れない言葉運びに、びくりと肩を震わせながらできるだけ時間をかけて振り向く。振り向いたら気が滅入るとわかっていても俺はコイツとの繋がりを絶つことができなかった。
「今日は…あ、ドラゴンボールのヤムチャだね。いやあ、銀さんは何でも着こなせちゃうから羨ましいよ。僕も何か着てみようかな。あ、そうだ、伊達政宗なんてどうかなあ、」
「…似合わねえよ、」
「あはは、手厳しいなあ。銀さんは真田幸村とか似合うと思うんだけど、」
 うるせえ、何が銀さんだ、と怒鳴りそうになる衝動を必死に堪えた。土方なのに、土方じゃない。しかもその事実を俺以外は当たり前のこととして受け入れている。俺だけが、ひとり。
「どうかした?」
「……何でもねえよ、」
「具合でも悪いのかい?今日はもう止めて送って行こうか?」
 土方じゃないと思うなら、関わらなければいいだけのことなのに。

「銀さん?」

 何が銀さん、だ。
 そんな呼び方をするお前なんか知らないと、突っ撥ねればいいだけのことなのに。
「……何でもねえ、大丈夫だから。」
 差し出された手を、どうして俺は握ってしまうのだろう。
 唇が戦慄く。どうして、と。土方を責める気持ちと、己をを責める気持ちがせめぎあって、頭が爆発しそうだ。「昨日」までは、意地を張っていてもお互いの考えることなどお見通しだった筈なのに。わかっていて意地の張り合いを楽しんでいたのに。決まった言葉を投げ合って、アイツが先に負けたようなフリをして、俺のわがままを受け入れてくれたのに。今は。
「っん、や、っ、」
「嫌?ゴメンね、じゃあ止めようか、」
「…っ、ふざけんじゃねえよ、誰、が止めろ…って、言った、」
 腰を震わせながら、離れていこうとする身体を必死に引き止める。
 どうして。変わってしまった。いや、どうして俺だけが変わらないんだ。
 酔っ払って屯所に押しかけた俺を抱きとめてくれた腕。意地の張り合いが一瞬だけ消えたあの日。初めて触れたあの日を懐かしそうに語るお前は、あの日のお前とは別人で。
「あっ、ひじかた、っ、ひじかた、ぁ、」
 やっぱり、俺だけがおかしいのか。
 お前の魂は別人だと感じているのに、お前の姿をしているだけでどうしようもなくなってしまう。
 なあ、土方。俺は、お前の何を、



『ただの、イボの織り成す世界です!!』

 道が開けた。

 と、同時に脱力せずにはいられなかった。何でイボ?
 道を阻む人々をハリセンで薙ぎ倒しながら、ビルの屋上へと進む。

 アレもイボ。コレもイボ。きっとイボ。
 何でもっと早くに気付かなかったんだ俺は。アイツがアイツじゃなくなっていることくらい、その日からわかっていた筈なのに。いや気付くほうがおかしいんだろうけど。だってイボに乗っ取られたなんて仮説に辿り着くほうがどうかしてるだろうが。あーでもイボとヤッちゃったよ俺。コレって浮気になんの?いやでも元は土方だからセーフか?でも土方の意思でヤッたわけじゃねえしなあ。その辺のデリケートな部分追求されたらさすがの銀さんも弁解できないっつーか。だって中身は別人なのに土方と攻め方一緒だしよ。なのに一々こっちを気遣い過ぎて、じれったい感じが逆に興奮し、…って違うからね!浮気じゃねーぞコノヤロー!!
 そもそもイボなんぞに身体乗っ取られるほうが悪い。俺は断じて浮気してねえ!

 うだうだと心の中で言い訳しながら、気を失っている土方の頬をペチペチと叩く。
 ヅラが見つかると厄介なので予め屋上から落としておいた。まあコレくらいじゃ死なないだろう。ゴルゴ面した宇宙生物が地上にトランポリン敷いてたし。

「オイ、起きてんのか、」
「…ぎん、とき、?」

 目を見ればわかる。正気に戻った土方の顔が目に入ると同時に体中の力が抜けた。

「ったく、世話かけやがって、」
「…ああ?つーか何で俺はこんなとこにいんだ、どこだココは、」

 ああ、もう、二年くらい待った気分だ。

「なあ、」

 隣のデパートの屋上に目を向ければ、ハタハタと気持ち良さそうに鯉のぼりが泳いでいる。

「説明してやっから、今日ウチに飲みに来いよ。いい酒あんだ。」

 間に合って、よかった。




「へー、向上心に取り憑くイボねえ、」

 納得がいかないのか何度も資料と俺の顔を交互に見ながら、土方が首を傾げる。おそらく自分が取り憑かれたことが悔しいのだろう。
「まあ、万が一にでもテメーは発症しねえだろうな。」
「大きなお世話だ。誰に助けられたと思ってんですかテメーは、」
「ああ?俺を戻したのはメガネのイボだろーが。後で礼しねえとな。イボに。」
 発せられた言葉にイラついたら負けなので、口を塞ぐ為にケーキを頬張る。今日ぐらい、と思っているのに、やっぱりこの男と居ると口が出てしまいそうになる。

 何で、一緒に酒飲んでるんだろうな。
 何で、喧嘩するってわかってんのに口を開かずに居られないんだろうな。
 何で、俺はお前じゃねえとダメなんだろうな、

 お前がお前じゃなくなっても、俺にはわからなかった。

 言いたいことは言葉にすれば、支離滅裂でいつまで経っても結論がでない。
 それはきっと明確な結論を出すのを俺自身が避けているからだ。
 だったらそれでいいじゃねえか。俺の結論が出るまで、俺の中に仕舞っておけばいい。

 悪態を吐きながら、土方が持ってきたウィスキーを一気に煽る。
 ようやく帰ってきた当たり前の日常を愛しく思ってしまったら、何だか負けな気がした。少なくとも俺とお前の間では。
 そんな密かな俺の葛藤を余所に、土方は手の中のグラスを玩ぶ。
 冷えた夜には氷のぶつかる音がやけに響いた。まるで土方の声に溶けるように。

「…美味い酒がある、」

 カラン、とグラスの中で氷が鳴る。
 薄まったアルコールを混ぜるように、土方は丸い氷の表面をそっと撫でた。

「美味い肴もある、」

 時計の針は11時50分を過ぎたところだ。
 一定の速度を刻み続ける針を見つめながら、俺は酷く落ち着かない気持ちで息を吐く。足りない。全然足りない。ちっとも酔いが回らない。今から起こることなんてわからない。それでも、素面なんて拷問だと思うのは確信だった。ああせめて俺がダメならせめてお前が前後不覚になるくらい酔っ払ってくれればいいのに。何で今、お前までそんなに、

「それを楽しめる静かな時間があって、」

 静かに続けられていく言葉に胸が苦しくて堪らない。
 ああほんとにお前なんだな。土方十四郎なんだな。
 そう思ったら、じりじりと目頭が熱くなってどうしようもなくなった。溢れ出る感情を唇ごと噛み殺して、膝に置いた拳を握り締める。俯いた俺を不審に思ってか、土方がゆっくりと俺の方に顔を向けた。
 向けられる視線を返せない。今顔を上げたら、取り返しのつかないことを口走ってしまいそうだ。

「銀時?」

 名を呼ばれて、ゴツゴツとした指が頬を滑っていく。たまらなくなって猫のように頬を擦り付けながら、口元を擽っていた指先に甘く噛み付いた。嗅ぎ慣れた煙草の匂いがする。すごく、久しぶりな、

「…後は?」

 旋毛を擽る吐息がこそばゆい。
 顔を見られたくなくて土方の胸に突っ伏しながら、もう一度深呼吸をした。

「…美味い酒と肴があって、のんびりする時間があって、煙草があって、」

 素直になんてなれっこない。
 そんな俺を目の当たりにしたらお前だって気持ち悪ィと思うだろう?


「後は、こうやって傍に銀さんが居たら完璧なんじゃねえの?」


 口調だけは挑発するように。
 でも少し声が掠れてしまったことを、きっとコイツは気付いている。
 気付いていて、きっと俺の期待する言葉を返してくれる。


「…ったく、テメーは、……上等だ。」


 噛み付くようなキスをお互いが仕掛けたら、勢い良く歯がぶつかって、しばらく悶絶する羽目になった。
 ああこれも何度目のことだろう。なあ、土方、



 誕生日おめでとう。お前が好きだよ。


【END】

The happiest day of your life

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